第7話
第七回
太陽の光を遮断した空間の中で緑や赤のネオンの機械の表示器が妖しい光を放っている。今にも未知の生物の誕生の機会に立ち会っているような気が矢口まみりにはする。
「この前の襲撃事件のときには川の横手の石垣の中から隠密怪獣王はトンネルの入り口を掘りはじめている。今度はどこから地中に進入するのだろう」
王沙汰春警部はぽつりとつぶやく。そのつぶやきには何故か重みがある。王沙汰春は生涯最大の敵手に出会う予感を第六感で感じているのかも知れない。矢口まみりには王警部が英雄のように見えた。レーダー装置の前に異常音を拾うためにヘッドフォンを被っているオペレーターが身を震わせて驚いた顔をして王警部の方を振り向いた。
「異常音が微かではありますが聞こえます」
王沙汰春警部はオペレーターの顔を食い入るように見つめた。
「レーダーには映っていないのか」
「レーダーの捕捉できる範囲外にあります」
「ホワイト雑音ではないのか」
王警部は彼特有のぎょろ目をむいた。
「雑音ではないんですか」
何も知らないチャーミー石川はその気になって自分もその会話に参加している。しかし、チャーミーは何もわかっていないのだった。
「雑音ではありません」
オペレーターは緊張から末尾を切りつめるようにして言葉を放った。オペレーターの感情には不安と恐怖がないまぜになった要素が混じっている。確かに過去に自分はこんな経験をしている。それは福井の寂れた漁村から数キロ離れた離れ小島に秘密裏におかれた自衛隊のレーダーソナー装置の捜査をしているときだった。このような雑音が聞こえたときがあった。そのときは最悪の結論が待っていた。その波形もそのときとそっくり同じである。最初はそれが機械自体や自然状態により消えない雑音に重なっていてどんなものなのかよくわからなかった。微かに聞こえるものだった。それが大きくはっきりと対象物の存在が明確になろうとしたときすべては終わっていたのだ。漁村は世紀末の様相を呈し、地面は転変地異といってもいいほどめちゃめちゃになり、家々は破壊されつくしていた。とてつもない破壊力を持った何者かがこの漁村を完全に破壊しつくしたとしか言いようがなかった。オペレーターは自分の顎のあたりから首筋に冷や汗が流れてくるのを禁じ得なかった。結局、防衛庁内部でもその事件は何もなかったようにうやむやとなり、上層部だけでもみ消されたのだった。
「王警部、これはあの事件のときと同じ対象とわれわれは接しているのでは」
「えっ~~~~。そうなの。あいつの仕業なの」
何も知らないチャーミー石川はやはりその会話に参加していた。そして得意のあのポーズ、腕をよじって、それと同時に身もよじってイタリアの方にあるねじれたワインのガラス瓶と同じような格好をした。
もちろん、王沙汰春警部はあの事件を知っている。それはどうしても隠し通しておくことが出来ずに自衛隊の上層部から漏れて警視庁の王警部の耳にも入って来たのである。
「あいつのしわざか。ということは隠密怪獣王とはあいつのことなのか」
「あいつの名前はレインボーーマーーン」
チャーミー石川はまた余計な合いの手を入れた。
王沙汰春警部はもちろんその全貌を知っているわけではない。しかし、それがどのくらい巨大な相手かということはわかる。隠密怪獣王。
「両頭裁断すれば一剣天に・・・」
王沙汰春警部は蒙古の大軍を一人迎え撃つ北条時宗のことを思った。いにしえの将軍が身近なものに感じられる。蒙古軍の襲来に苦慮した北条時宗は無学祖元の言葉を聞いた。王沙汰春警部もまた同じだった。ひとり静かに警察無線のマイクをとった。
「トンネル遮断無限軌道車、全部のエンジンを始動せよ」
「警部、そんなことをしたら騒音で地区住民から苦情が殺到します。できるかぎり短時間しか、無限軌道車のエンジンはかけられません」
「今がそのときではないか、確かに敵は近づいている。今、それをやらずにどうする」
刑事のひとりが各車両の無線に連絡をした。
「各車両に告ぐ。エンジンを始動せよ」
するとどういうことだろう。地面が重く振動し始めている。その振動は深く矢口まみりの頭蓋骨にまで伝わる。物理的振動が時間を含めた四次元空間の中の実在として運命を具現化していた。数え切れない力の象徴が足並みを揃えてこの地を揺らしているのだ。矢口まみりはつんくパパの腕にすがった。
「どうなるなり」
「わからん」
つんくパパは答えた。
ただ感情を持たない、自分が完全に破壊されつくす寸前まで対象に向かっていくだろうとおもわれるヤグチマミリ二号だけは平静に立ち尽くし、自分の頭部に内蔵されているコンピューターにあらゆる情報を一寸の間隙もなく収集していた。
しかし、この足下を揺らす振動に感情を揺らしている哀れな存在があった。
「こわい」
それはチャーミー石川である。今でこそアイドルらしい呼び名がついているが前の名前は貧乏石川。石川梨佳のことである。
貧乏石川の過去は悲惨なものだった。父親はパンツのゴムひもの行商で生計を立てていたが、いまの時代、パンツのゴムひもなんかを買う人間はいない、コンビニもスーパーもないような寂れた寒村をまわり、涙ながらに妻と哀れなふたりの子どもを残していることを訴え、おもに哀れみを誘うことによって、パンツのゴムひもを取り替えることが楽しみな年寄りの哀れみにつけこみ、一本、二本とゴムひもを売って生計を立てていた。その金の仕送りを受けた石川の一家は即席ラーメンで糊口をしのぐとい生活を続けていたのだ。その貧乏だったが肩を寄せ合うような石川の一家にも変化が起こった。こづかいの余裕などないような石川の父親が女を作って家を出て行ったのだ。一説には金を持っている女のところで愛人になったとも言われている。
父親を失った一家は仕方なく、母親が働きに出た。母親はいつも憎悪を込めて父親の悪口をチャーミー石川に吹き込んだ。石川はふたつ年下の弟と働いている母親の帰りを待ってボロ家で待っていた。家のガラスはすべてひびが入ってセロテープでつぎはぎがされていた。夏はよかったが冬には木枯らしが家の中に吹き込んできた。電気を止められ電気こたつもたてられなかった石川は弟と抱き合いながら暖をとったものである。
それはある冬の日に起こった。
母親のパートの仕事が遅くなり、夜遅くなっても帰って来ないときだった。冷たい木枯らしが家の中に吹き込み、石川は鼻をたらした弟と抱き合いながら暖をとっていた。そのとき家のガラス戸がガタガタと鳴った。
「お姉ちゃん、こわいよう」
石川は鼻をたらした弟をぎゅっと抱きしめた。
「こわくないわよ。きつねの子供が挨拶に来たのよ」
「ごんぎつねのこと」
「そうよ。ごんぎつねが会いに来たのよ」
「僕、その話、知っているよ。きつねの子供が人間の子供のまねをして手袋をしてくるんだね」
「そうよ。きつねの子供よ」
するとまたガラス戸ががたがたと鳴った。
「きつねさん、きつねさん。ここには何も食べるものがありません」
石川は大声で叫んだ。
心の中で石川はこわい人がいるのではないかと思った。石川の家のまわりには家がない。強盗だったらどうしようと思った。ごんぎつねのことを持ち出したのは弟を怖がらせないための方便だった。
するとまたガラス戸ががたがたと音がする。そこで石川は羊の子供と狼の話を思い出した。羊の子供たちが留守番をしていると狼が来て羊の子供たちを食ってしまい、隠れていた子羊たちが食われなかったとい話である。そこで石川はどこかに隠れることにした。するとうまい具合にボロ家の床の一部が壊れていて床の下に隠れることが出来る。石川と弟は床の下に隠れた。いくら待っても出て来ないと思った侵入者は家の中に上がり込んで来た。石川は恐怖した。そして頭上でなまりの入った声が聞こえる。
「石川さん、石川さん、担任の田舎ずうずうだよ。もう給食費六ヶ月も滞納しているでないか。払ってもらえるように相談に来たんだよ」
その侵入者が石川の担任の先生だということがわかって石川は安心したのだが、それがわかるまでの石川の緊張と恐怖は筆舌には表しがたかった。
そのときの思いでがチャーミー石川の前頭葉の皮下組織に作用した。
「こわい」
チャーミー石川はよろよろとよろめくとつんくパパの腕にすがりついた。矢口まみりはずかずかとチャーミー石川の前に進み出ると石川の胸ぐらをつかんで往復ビンタをした。
「見境のない女なり、これはまみりのパパなり」
石川はよだれをたらしながらへらへらと笑っている。
「うるさい。敵が近寄っている。静かにしろ」
王警部が叫んだ。見物人たちはきょとんとしてひとかたまりの八百屋で売っているりんごのやまのようになって王警部のほうを見た。闇夜の中で彼らの目玉だけが妖しく光っている。
またレーダーのオペレーターから鋭い声が挙がった。
「北東七キロ地点に未確認物体発見」
「かちどき橋のあたりか」
「そうです」
大きな船が通るときは交通を遮断して跳ね上がる仕組みで有名なかちどき橋のあたりから敵はトンネルを掘りはじめているらしい。いまはその橋が跳ね上がることはないが有名な場所あたりから進入をはじめたものである。
見えぬ敵、隠密怪獣王。
「トンネル遮断無限軌道車の出力を最大規模に上げろ」
王沙汰春警部が叫ぶと静かな地鳴りみたいだった状態から確実に感じられる振動が矢口まみりの身体に伝わった。見境のない女、チャーミー石川はまたつんくパパの腕をつかんだが、この状態の変化に気を取られて矢口まみりは気にもならなかった。テントの入り口から頭のタオルを巻いた風呂上がりの六十くらいの女が洗面器を持ちながら怒鳴り込んで来た。
「一体、何をやっているんだね。この振動はなんなんだい。工事の許可はどこで下りているんだよ」
そこへ警官たちが寄って来て女の両腕をつかむとどこかへつれて行った。
頭上でヘリコプターの爆音がする。
「なごみ銀行の全貌をうつせるか」
「ヘリコプターが到着したので可能です」
「なごみ銀行をうつせ」
するとテレビには上空のヘリコプターのカメラから映されているなごみ銀行の姿が映った。
ソナーに映っている侵入物は全然、速度も変化させず、方向もほぼ直線で目標のなごみ銀行の金庫に吸い寄せられるように向かって行く。ソナーの画面にはその侵入物、そして位置がまったく動かないのは銀行の金庫とトンネル遮断無限軌道車だった。そのトンネル遮断無限軌道車を結ぶ線は金庫を中心としている円のようになっている。この侵入者を拒むものは何もなかった。
「信じられない。時速三十キロで地下を進んで行く」
発明家つんくパパは絶句した。
「こわいわ」
チャーミー石川はつんくパパの腕にもたれかかった。
「お前はワンパターンなり」
矢口まみりは苦々しくつぶやいた。
王沙汰春警部は時間を見ていた。その時間は一つしかない。トンネル遮断無限軌道車の台数は限られている。トンネルを遮断するまでに要する時間も有限である。包囲網の境界の内側のある距離に来たとき遮断板を地下に打ち込まなければならない。警部は握っていた拳の中の手の平の汗がにじんでいくのを感じた。地面の震動は相変わらず続いている。
円の内部、ソナーの画面の数センチのところに侵入物が到達した。
「今だ。遮蔽板を打ち込め」
「ラジャー」
すると地面がひっくり返るような轟音が響いた。
ドドドドドトトーーーー
奈落の底に地球の表面が落ちて行くようである。地面が切り裂かれる。遮蔽板についたジェツト噴射機が天上に向かって高温ガスを噴射する。
「三メートルに達しました」
「五メートルに達しました」
「地下十五メートルに達しました」
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