#2、持ち物は最低限
漸く樹海の終わりが姿を現し始めた頃、フィールの鍛え抜かれた聴覚が、音を拾う。かなり小さかったが、女の声だ。
フィールは鳥のように辺りを警戒し、音の方向を探る。
「いやぁ!」
刹那、悲鳴らしき声を鼓膜が捉える。
次いでフィールの目が音の発生地を特定する。方向はここから西。木々の隙間、そこに丸、魔物らしき存在に取り囲まれた少女がいた。
ツイてる。
フィールの形の良い唇が、にんまりと弧を描く。ご飯と寝床が一遍にやってきた。
垂直に急上昇したテンションのまま、フィールは足を置いていた枝を限界まで後方にしならせ、一気に前に跳ぶ。
少女達の元までは、さほど遠くない。
爆発的な推進力で彼等の元へ向かっていく。目指す場所は少女の前、魔物にとっては後ろだ。
「やぁ」
爆撃でも受けたような豪音と土煙を上げて、フィールは現場に降り立つ。
当然、少女と魔物達はそれに反応した。勿論挨拶を返したのではない。全員が全員、驚きの表情で闖入者へと振り返っていた。
土煙が舞う中、フィールは笑みを浮かべ、その視線を正面から受け止める。
少々見辛いが数は五、いや六。
真ん中奥は少女で、残りはフィールの頭二つ分は大きく屈強な緑の人影三つと背に小さな緑を乗せた巨獣らしき丸いシルエットが一つあった。
並び順は、少女の前に屈強な二人とそのやや後方右に三人目、左側に緑と丸だ。
フィールは何も言わず、素早く巨獣との距離を詰め、その巨体を蹴り飛ばした。
ブーツからばきりと気持ちの悪い感触が伝わり、だがそれもすぐに消える。一拍置き、重い物が何かに勢い良くぶつかったような音が鼓膜を揺らした。
「まずは一体、いや二体。ま、どっちでもいいか」
あっさりと告げ、再度大地を蹴る。今度は反対側、屈強そうな緑No.三に向けて。
少し高く跳び、三の眼前に躍り出る。
「ゲギャ!?」
そこで初めてフィールは魔物の顔を見た。しかし、やはりそれは人のものではなかった。若葉色の皮膚に、爛々と輝く二つの緋。今は間抜けだけれども大きく開いた唇からは二本の鋭い牙が生えている。
とてもお近づきにはなりたくない面だった。
フィールは眉尻を少し上げ、ノーモーションで拳を叩きつける。当てた場所はボディーではなく、顔面。
手を高く打ち鳴らしたような高音を響かせ、殴られた魔物が後ろに倒れる。
「……力入れすぎた?」
拳を突き出し、渋面を作る。
倒れ伏した魔物の顔面は少々口にしづらい様相に変わっていた。どうやら彼等の耐久値はかなり低いらしい。
驚きの速さで絶命した仲間を見て、残りの緑達が狼狽える。いまのは何?、コイツがやったのか? そう言わんばかりの表情で互いに視線を彷徨わせていた。
「(うん。ダメだな)」
フィールは拳についた汚れを払い、失望を露にする。
こういった事態に直面した際、例え司令塔がいなくとも群れの誰かが即座に戦闘か逃走を選ばなくてはならない。
それが出来ないという事は、彼等は経験不足の弱者だ。
早く終わらせてしまおう。
フィールは魔物達に襲いかかった。
「はぁ、歯応えがなさすぎ。お前もそう思わない」
背後に地獄絵図を作り出し、フィールは少女に話しかける。
「ふぇっ!?」
話しかけられた少女が素頓狂な声を出す。
魔物に囲まれたと思ったらいきなりローブを纏った華奢な女が現れてモンスターを一掃した。少女の反応は普通の人間として当たり前のものだった。
だがしかし、世間一般の普通から偉く逸脱したフィールはそれに気付く事はない。
「どうした、そんなに口を開けて。奴等から状態異常でも喰らっていたのか」
「え、あ、すみません。大丈夫です。ワタシ、ミシェルって言います。危ないところをどうもありがとうございました」
持てる気力を振り絞り、立ち上がった少女が頭を下げる。
その顔は幼く、年齢は大体十代前半ほど。長い茶色の髪を後ろで高く結い、顔を上げた際に垂れたそれがぶぉんと元に戻る。ただ髪色と同じ瞳はフィールを警戒してか、何処か不審な色を映していた。
けれどこれも察せられないフィールは何故だろうと小首を傾げつつ、少女の近くに転がっていたバスケットに視線をやった。
植物の葉だろう赤茶けたもの数枚と木の実が顔を覗かせており、見た目から採取したばかりだというのが分かる。
「あ、いけない」
「……何かの素材か」
「はっはい。軟膏の元になるモモネ草とナグリスの実です。じゃない、早く村に戻らないと!」
「何故だ?」
バスケットを拾い上げた少女が怯えつつ、大きな声で答える。
「お兄ちゃんが怪我してるんです。だから」
「お兄ちゃん?」
「はい。魔物に襲われて。だから、だから早く持って帰らないと!」
「なるほど。ちょうど良かった」
「え」
フィールは、にこりと微笑み、今夜の宿に困っていたのだと伝える。
「提案なのだが、道中護衛をする代わりに泊めてもらえるよう口添えして貰えるか」
「えっと」
「勿論無理にとは言わない。だがこの森だ。まだ魔物はいると思うぞ」
「ひっ……わわわ、分かりました。ワタシ頑張って村長さんにお願いしてみます」
「交渉成立だな。私はフィール。急いでいるところ悪いが、あの動物とコイツ等の魔石を回収するから少し待っていてくれ」
村まではそう時間はかからなかった。
お粗末な木造の柵で集落の外周を囲い、内側の中央に井戸、そこから古い家屋がちらほらと点在している。
「ミシェル! お前何処に行っていた!!」
門の入り口、門番だろう武装した若い男を従えた初老の老人が少女を一喝する。
「ひっ、」
怒鳴られた少女、ミシェルがフィールの後ろに隠れる。道中薄々勘づいてはいたが、黙って抜け出していたらしい。
ミシェルは消え入りそうな声で「どうしてもモモネ草が欲しくて、ごめんなさい」と謝罪を口にする。
「森へは行くなとあれほど言うておったというに……ああ、お見苦しいところをお見せしました。あの貴女様は」
「旅人だ。名をフィール。森を散策中に魔物に襲われていた彼女を見つけて助けた。道中の護衛を引き受ける代わりに村に泊めて貰うよう口添えを頼んだんだ」
「左様にございますか。私は村長のローグと申します。村の者がお世話をかけました。……ミシェル、お前は行きなさい」
「は、はい! あの、村長さん。フィールお姉ちゃん泊めてあげてね」
ミシェルがフィールの横をすり抜け、村へと入っていく。そうして彼女の姿が完全に見えなくなった頃、ローグがその重い口を開いた。
「フィール殿。誠に申し訳ありませんが現在私どもの村はとある魔物の被害を受けた後でして、その」
「回りくどいのは好かない。泊めれるのか、泊められないのか?」
「ああ、いえ。村の子の恩人なのですからお泊めするのは全く問題ございません。ですが、魔物に食料を少々奪われており」
そこまで言えば流石のフィールも気付く。泊めるのは構わないがもてなしは難しい。元より外観からある程度予想していたので、別段文句も期待もない。
「問題ない。食料は自分で捕ってきた。解体する場所と井戸、あとは調理場を使わせて貰えれば充分だ」
「分かりました。あの、ところで捕ってきたというのは」
「ああ。これだ」
ペンダントから猪の魔物、レッドワイルドボアを出すと、フィールを除いた全員が一斉にざわつく。
更に遠くから様子を窺っていた村人達にもそれは伝染する。八割は驚き、二割は生唾を飲み込む動作を見せた。
「解体場には収まりきらないか」
「い、いえ。問題ありません。あの、これをお一人で捌くおつもりで」
「そのつもりだが」
「差し出がましいとは思いますが、この大きさはフィール殿には荷が勝ちすぎているのでは。宜しければ私共の方から何人か」
「必要ない。今日まで毎日狩って捌いてたドラゴンに比べれば大分小さい」
「ド、ドラゴン!?」
「毎日!?」
村長が目を白黒させる。
他も然り。再びボアをペンダントに戻し、首を捻る。何かおかしな事でも言ったのだろうか。不思議に思いながらも、フィールは口を開く。
「よく分からないが、案内してもらえるか。出来れば解体場を先に。血抜きしてないから早く処理しておきたい」
「は、はひ!」
「こここ、此方です」
村長と別れ、案内された解体場は小屋ではなく、村の広場奥。地面に大きな石のテーブルを置いた一画だった。
中央に赤い小さな石が埋め込まれており、長年設置され続けていたのか、ところどころ風化の跡が窺えた。
ここでかと視線を向ければ、案内役の若者が青い顔で何度も首肯する。
「こ、これは古くから村に伝わるマジックアイテム、浄化の水床という物でして、此処に置いた不浄を吸収し、水で洗い流してくれるのです」
「へぇ……」
まじまじと眺め、フィールは浄化の水床なる物が古代の錬金アイテムであると見抜いた。
「(核は十中八九あの赤い石だろうな。テーブルの方も見た感じ、幾つか経由して二つ以上のスキルが付与したアイテムか。これきっと婆ちゃんクラスが作ったんだろうな)」
「あ、あのお気に召しませんでしたか!?」
「いや逆だ。良いものを見せてもらった」
「そ、それは良かった……です?」
恐らく若者には浄化の水床の本当の価値が分からないのだろう。『これが良いものなのか』と疑いを持ちながら、微妙な愛想笑いを返している。
何時の世も物を正しく評価、理解出来る存在は少ない。
昔バネッサが酒を飲みながらぽつりと呟いた言葉がフィールの脳裏を過った。
「……有り難く使わせてもらう」
古代の錬金術士に向けて告げ、フィールはレッドワイルドボアの解体に取りかかった。
そうして肉、内臓、骨、毛皮、魔石と切り分け終えたると、いつの間にか広場に多くの住民が集まっているのに気付く。
誰も彼もフィールではなく、フィールが捌いた肉に視線をぶつけていた。
ご馳走を前にしたドラに良く似ている。
フィールは無言で全てを収納し、案内役の若者に次の場所へと促したその時――。
「おい、アンタ」
村人の輪の中から、少々歪んだ笑みを張り付けた壮年の男性がフィールを呼び止める。
「何だ」
「さっ、さっきの肉は一人じゃ食いきれねぇだろ。腐らせても勿体ねぇし、どうだ俺らが食べ」
「問題ない」
フィールはバッサリと切り捨てる。
別に彼等を不快に感じたわけでもなく、ペンダント型アイテムボックスには空間魔法が付与されており、腐敗の心配がなかったからだ。
横を通り過ぎようとまた足を踏み出すと、今度は恰幅のいい中年女性が声をかけてくる。
「そんな訳ないだろうお嬢ちゃん。アンタ、今日はこの村に泊まっていくって聞いたよ。だったら年上の親切は無碍にしちゃあいけないよ」
親切とは名ばかりのたかりである。
ドラゴンを狩れるとはいえ、相手は華奢な女。囲んで少し押せば差し出すのではないか、自分達もご馳走にありつきたいという彼等の欲がまざまざと浮かんでみえた。
「おい、皆。みっともない真似はやめろ!」
門番が慌てて諫めようとするが、住民達に従う様子はない。それどころか門番をきつく睨みつける始末だ。
「? 門番。私はミシェルの救出と護衛の正当な対価として一泊の宿を要求した。加えてもてなしは難しいと言われ、自分の分を自分で用意した。解体場の使用もきちんと許可を得た。なのに何故対価も出さず、彼等はああも言えるんだ?」
フィールは心底不思議がった。
師匠から錬金術でなくとも、何かを得たいと思うならそれに見合うだけの物を差し出すのが基本。そう言われて育ってきた。
だがフィールのそんな疑問も住民達には伝わらなかった。
「アタシ等から金をとろうってのかい。こっちは魔物に畑を滅茶苦茶にされて今日の食事にも困ってんだ。アンタ、ドラゴン狩れるくらい強いんだろう。だったら肉の一つや二つ、恵んでくれたっていいじゃないか!」
他の住民も渡せ渡せと囃し立てる。
とても五月蝿い。
「そこで何をしている!」
怒鳴り声に振り向く。
村人、フィール、門番の前に立った声の主は寝床の用意に別れた村長だった。
だがその顔は入り口で相対したものとは違い、眉を吊り上げ、憤怒の形相に染まっていた。
フィールは一瞬自分が怒鳴られたのだと錯覚したが、村長の目線にそれが自分に向けたものではないとすぐに理解した。
その証拠に村長はフィールの前に立つと表情をころりと申し訳なさそうなものへ変えた。
「お客人。村の者が大変失礼致しました」
「なっ、村長!」
「黙っておれ! 何があった」
「それが……」
村長が門番から先程のやり取りを耳打ちされ、直後。今度は赤い木の実のように顔を真っ赤にさせ、拳をぷるぷると震わせ始めた。
「こ、のっ恥晒し共が!!」
放たれたのは雷の如き一喝。
「この御方は村の子の恩人。それを乞食のような真似をして恥ずかしいと思わんのか!!」
ローグの怒りに村人達は一斉に口を閉じ、身を縮こまらせる。いや中には、『でも』『だって』と続けようとした輩はいたが、ローグに鬼のような睨みを返されて折れた。
「フィール殿、誠に申し訳なかった。先程の無礼、私の顔に免じてどうか許していただきたい」
「さほど気にしていない。それより肉が欲しいなら対価さえ払えるのなら、私は幾分か融通しても構わないぞ」
「ありがとうございます。ですが私どもには見合うだけのお金が」
「別に金でなくとも良いが?」
「でしたらどのような」
フィールとローグのやり取りに、村人達が固唾を飲む。
「……そうだな。情報はどうだ」
「情報、でございますか?」
「ああ。実はこの辺りの地理に疎くてな。詳細にとは言わんが、ある程度把握しておきたい。勿論知らないなら無理にとは言わない。あとは周辺の魔物の情報や木の実やそうだなヒール軟膏、有益なものなら何でも構わない」
「そ、それなら俺が近くの魔物の情報話せるぜ」
「ア、アタシはヒール軟膏の作り方なら」
「ワシは食べられる木の実の見分け方じゃ!」
巡ってきたチャンスに村人達が我も我もと手をあげる。
「お前達、落ち着かんか!」
「そ、村長」
「フィール殿、確認ですが肉は情報提供した者のみに渡す予定ですか」
「いや全部纏めて渡すつもりだ。あとは其方で自由に分配してくれればいい」
「分かりました。でしたら……情報を持つ者は皆一列に並べ。肉はフィール殿より譲渡され次第、村人全員に均等に切り分ける!」
流石、村を仕切るトップ。
フィールが何時でも構わないと告げると、彼は早速提供者数人を一列に並ばせる。
「これで宜しいかな、フィール殿。私は周辺の地図が家にありますので、用意も兼ねて後程お見せすることになりますが」
「ああ。構わない」
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