#4、基本ワンパンで終わる


 ヴェルーシア湧泉洞。

 そこは街道を北北西に進んだ、小高い山に位置する天然ダンジョンである。



「山の洞窟か」



 入り口すぐ、湿り気のある冷たい空気が肌を撫で、フィールは独りごちた。

 内部には松明といった灯りはなく、代わりに土から露出した魔鉱石の欠片が淡く光を放ち、少し薄暗くなっている。また水場があるのか、遠くから水音だろうピチャッピチャッと滴り落ちる音がした。


 淡い水色の道を進む。

 左右は大人五人が横並びになっても余裕があり、そこそこ天井は高い。大立ち回りといかずとも、それなりに戦えそうだ。



「にしても弱い魔物ばっかり……これが本当に危険な場所なのか」



 死角から向かって来た水の蝙蝠をノールック裏拳で仕留めながら、溜め息を吐く。

 足元には倒した水蝙蝠が液体になり、ばちゃりと水溜まりを作る。ウォータークラヴが出るというのは、実はガゼだったのではないか。そう思える程に蝙蝠しか出くわさない。

 



「おっ。やっと分かれ道」



 歩き続けること暫し。

 ぐねぐねとした一本道が、大きさをそのままに二又の別れ道に変わる。一つは左、一つは右……というより上に伸びている。当然の事ながら看板や矢印といった出口までの道標はない。更に村長から道順を聞いていないため、フィールには正解が分からない。

 辛うじて分かるのは左の方が水音が強い、の一点のみ。



「(先に上から潰すか)」


「シャア!」



 向かってきた蝙蝠を土壁に叩きつけ、フィールは何事もなかったように進路を右に進んでいくと、待ち構えていたのか。水色のぶよぶよとした軟体の群れが、行く手を塞ぐ。

 大きさは子供の頭くらい。

 顔らしき部分、ぶよぶよの中に赤い玉を輝かせ、どいつもこいつも、もちゃもちゃと耳障りな音を奏でている。



「(攻撃してこない?)」



 魔法でもしかけてくるのか、出方を窺うが謎のぶよぶよ達は、通せんぼをするだけで仕掛けてくる様子はない。

 何がしたいのだろうと頭にクエスチョンマークを浮かべたその時。



「ブギュー!」


「っ!?」



 一体の軟体生物が叫び、そこへ他のぶよぶよが重なった。次いでドラゴンの雷魔法よりは劣る閃光が辺りに広がる。

 だがこれも攻撃ではない。



「うわ……」



 光の後にフィールを待っていたのは、巨大なぶよぶよだった。

 恐らく合体したのだろう。沢山いた生物は一体となり、フィールと同じ身長になったそれが笑うようにその身を震わせた。



「(生理的に受け付けない気持ち悪さだな)」



 早く倒してしまおうと、フィールはぐっと拳に力を入れる。狙うのは大きくなった赤い玉。あれが恐らく脳味噌なのだろう。



「!? おっと」



 巨大な魔物がフィールへ何かを吐き出す。

 軽く後ろへ飛び、先程立っていた場所を視界に入れると、地面からじゅうっと燃えるような音と湯気が立ち上っているのに気付く。


 同時につんとした刺激臭が鼻を突き、フィールは直ぐにそれが溶解液だと察する。


 早めに片を付けた方が良い。

 本能が警鐘を鳴らし、フィールは緩んだ拳をもう一度握り締め、巨大へと殴りかか――否、柔らかな水色へ手を突っ込んだ。



「っ、」



 掌から、じゅうっという嫌な音と火傷に似た痛みが走る。

 だがフィールは気にも留めなかった。

 そのまま脳だと予想した赤い大玉を握り締め、勢いよく引っ張り出すと直ぐ様後方へ跳んだ。



「……! プ、ギャ」



 瞬間、軟体生物がどろりと溶ける。

 まるで熱した鍋に置いたバターのよう。

 復活する気配はないか暫く待ってみたが、最終的に軟体は跡形もなく消えた。



「(湧泉洞に入って初めての素材は玉だけ、か)」



 もしかしたら生息域や種族によっては魔石を落とさない場合があるのかもしれない。

 フィールは手に入れた物を見る。

 掌にすっぽりと収まる紅玉が、きらりと光る。自分から言ってくれれば非常に楽なのだが、目の前のそれは当然うんともすんとも言わない。


 そうして二拍ほど睨めっこを続けていると、不意に手の甲がうっすら赤く色づいているのが目に入る。

 短い時間だった所為か、それともフィール自身の皮膚の強さか、溶解液に浸けた患部は若干の痛みを発するだけでこれといった酷さはなかった。



「(この程度なら水ぶっかけて放置で治るな)」





 それからややあって。


 右の道を探索し終え、左を進んでいたフィールは、徐にその歩みを止めた。



「これは……凄いな」



 湧泉洞の地下。薄暗くも開けた空間の斜面に長い時をかけて形成したと思しき天然の皿、もといリムストーンが何枚も階段状に重なり、さらさらと上から水を落としている。


 世界とはかくも美しいものなのか。

 あの山では一生お目にかかれなかった光景に、フィールの目尻が自然と緩んだ。

 一歩踏み出すと、進路に浸水した水がぱちゃりと音を立てた。


 フィールは一番近くにあるリムストーンの淵に飛び、そこに溜まった水に触れる。光量の少ない中でも分かる透き通る青だ。

 ひやりとしたそれを掬って口に含む。すっきりと、それでいて柔らかな味が喉を通っていく。


 直後、フィールは眉間を寄せて舌を鳴らす。口に合わなかったのではない。この水を収める入れ物が手元に無い事が腹立たしかったのだ。



「(これで錬金液(水)を作成したら絶対に効果の高い物が出来るんだろうな」



 溜め息を一つ。街で入れ物を入手したらまた足を運ぼうと心に決めたその時、探索中張り巡らせていたフィールのセンサーが、何かの存在を捉えた。

 気配からして恐らく魔物だ。


 ヒット先を見やれば、後方奥側の池の表面から、ぶくぶくと水泡があがっていた。最初は小さく、徐々に量を増やしたそれはたっぷり三拍かけた後、猛烈な水飛沫に変わった。



「噂の蟹か」



 川蟹の外皮を数段分厚くして巨大化したような、青黴色のモンスター。件のウォータークラヴだろう。フィールを獲物として見ているのか、離れた二つの目がぎょろりと動く。



「暴れさせると危険だな」



 リムストーンプールからウォータークラヴの元に降り立つ。あの場に居続けたら攻撃を受けた際、景観が壊されると思ったからだ。

 自ら近付いてきたフィールにウォータークラヴは悦びの声いや口から泡を吐いた。



「うるせえ」



 黙れと言わんばかりにフィールは踵落としを喰らわせる。めきゃっと嫌な音がして、ウォータークラヴの頭に罅が入り、奴が仰け反った。だがフィールの攻撃はここで終わらない。着地と同時に頭兼胴へ右ストレートを叩きいれる。



「ジュワッ!」


「だからうるせえ」



 先程よりも力を込めて、ウォータークラヴの命を刈り取る。ぐらりと蟹の体が後方に傾き、勢いよく着水。とんでもない量の水が吹き上がり、やがて重力に従って落ちてくる。



「うへぇ」



 景観は守ったが自分は守れなかった。

 ローブは兎も角、フィールの顔と髪は甚大な被害を被った。濡れた前髪を後ろに流し、フィールは苛ついたように舌を鳴らす。

 タオルが無い今、自然乾燥決定だ。



「はぁ。……ってさっきので終わりじゃないのか」



 露骨に眉を寄せる。

 倒したウォータークラヴの1,5倍はあろう蟹が水面から姿を現す。その目は怒りからか、ぎらぎらと輝き、フィールにメンチ切っていた。



「あの蟹の親……いやもしかしたらさっきのが旦那でこっちが妻? っと!」



 振り下ろされたハサミをひらりと躱す。

 次いで弾丸のように吐き出された泡も避け、リムストーンに当たらないよう立ち回る。



「ロッククラッシュ!」


「!」



 聞いた事のない男の声。それと共にウォータークラヴの頭上に石が生成され、硬い甲羅へと降り注ぐ。



「加勢するぞ!」



 声のする方向へ振り向くと、出口側。片手剣と盾を構えた長身の男が飛び出してきた。



「喰らえ、剛・連撃!!」



 力強い二連撃がウォータークラヴへと放たれる。だがそれも決定打とは程遠い。ウォータークラヴの外皮にちょっと傷がついただけだった。



「チッ! おい、アンタ」


「何だ?」


「見たところ魔法使いだろ。俺が時間を稼ぐから大技の詠唱を頼む!」


「無理だが?」


「ハァ!?」



 ばしゃりと水と大地を蹴り、ウォータークラヴの真正面に跳ぶ。そしていつもの拳。

 ウォータークラヴは絶命した。



「お、おまえ」


「私は後衛ではなく前衛だ」






◆ ◇ ◆ ◇



 ギルバートと名乗った青年と共にフィールはミシェルの村、カンタートに戻った。


 怪我をしたわけでも、湧泉洞が通れなくなったのではない。



「おや……アンタ」



 今日の朝、別れを告げた門番が苦笑いでフィールを出迎える。その顔はウォータークラヴから逃げてきたんだなとありありと刻まれており、フィールは片眉をぴくりと上げた。



「いやなんでもない。それよりその男は「クロード、いやこの村にいる冒険者の仲間を連れてきた。通行許可は貰えるか」


「え、あ、ちょっちょっと待っててくれ!」



 そう、ギルバートはクロードの仲間だった。彼に村へ案内してくれと乞われ、ぶよぶよ(ユニークスライム)との戦闘で負った傷の治療と引き換えに彼を連れてきたのだ。



「ここにクロードが?」



 フィールの頭二つ分はある、すらりとした長身に鎖を編み込んだ鎧を着た若い魔法剣士は、梟のように周囲に目を走らせる。



「あー。フィールお姉ちゃん!」


「ミシェルか」


「お帰りなさい。あれ? その人は」


「ヴェルーシア湧泉洞で会った。クロードの仲間だそうだ」


「お兄ちゃんの!?」



 ミシェルと一言二言交わしていると、許可を取りにいった門番が帰ってくる。無事許可を取り、朝方立ち寄った家の戸を再び開く。


「クロード!?」


「っ、ギ……ル」


「麻痺は本当だったのか。ちょっと待ってろ。“キュア”、“ヒール”」



 クロードの体が数瞬黄色く発光し、彼が緩慢な動きで起き上がる。



「助かった。クロード」


「はぁ……助かったじゃねえよ。聞いたぞ。休暇中にワイバーンと一戦交えたんだってな。お前馬鹿じゃねえの」


「う。し、仕方ないだろ。見て見ぬ振り出来なかったんだから」


「それで死にかけてんじゃ本末転倒だろうが!」



 旧知の仲なのだろう。二人の話を聞く限り、刺はない。 暫く説教込みのじゃれ合いを続けると、クロードがフィールに気付く。そして頬を僅かに紅潮させながら、はにかんだ。



「えっと……フィールがギルを連れてきてくれたって。ありがとう」


「なに赤面してやがんだクロード。気色わりぃ」


「うっ、うるさいな」


「……もういいか。私は湧泉洞に戻りたいんだが」


「おう。わりぃ、あんがとな」


「ちょっ、待って」



 退室しようとしたフィールをクロードが呼び止める。



「何だ」


「いや、その」


「? 大した用が無いなら行くが」


「あっいや待ってくれ。そうだ! フィール、トルノアの街に行くって言ってたよな。良かったら一緒に行かないか」


「……なぜ?」


「え」



 一緒に行く意味が分からない。首を傾げるフィールに、思い至ったのだろうギルバートがそういうことかとばかりにポンと手を叩く。



「いいなそれ。クロードももう動けんだろうし、ワイバーンが出た以上オレ等もギルドへの報告義務がある。フィールはトルノアの街で冒険者登録をしたいつってたろ」


「ああ」


「どうせ行き先は同じだ。案内がてら登録推薦してやるよ」


「登録推薦?」


「知らない? 冒険者からの推薦があると登録手続きがかなりスムーズになるんだ」


「因みに推薦無しだと審査込みで三日はかかるぜ」


「……何を企んでいる?」



 明らかに警戒を露にしたフィールにクロードが慌てたように首を振って否定する。



「企むなんてとんでもない。俺はポーション分の借りを返したいだけだよ」


「右に同じく」


「それに俺の武器を一目で倭刀に寄せたものだと見抜いた君とはもう少し話したい」



 二人の目に嘘はなさそうだ。



「そういうこった。どうする?」


「そうだな……断る理由もないし、それで頼む」


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