第12話: アジールを目指して(後編)


***



「──お前ら、取り逃がしたのか!」

「──まぁまぁ。そうカッカせずに」


 藤枝は、キャンプファイアーのようになっているレバノン軍特殊作戦大隊の装甲車両を眺めながら、隣の男を宥めた。

 藤枝の隣にいるのは、ヒズボラの現場司令官だった。彼はもの凄い剣幕で、部下を罵っていた。


 ──あんたはオカモトさんの知人だと聞いた。オカモトさんは、シオニストに一杯食わせた英雄だ。カネを用意してくれるなら、もう一働きしてやっても良い。例えば、金持ちキリスト教徒を誘拐する仕事とかな


 こんな誘い文句で、主導権は半ばヒズボラにある状態で、藤枝は今回の作戦に及んだ。

 藤枝は薄々、失敗を予感していた。


 第一、まともな捜査機関でもない彼らを使ってゴーンの身柄を押さえたところで、日本に連行できるとは思えなかった。パラミリの始末まではともかく、司法権の行使はでなければならない。そんな最低限の信念が、藤枝にはあった。



***



 ──1月11日。明朝。

 東地中海の上空。


「──あと30分で南キプロスに着きます」


 小型機のパロットはテイラーに言った。


「やれやれ……。一度EUに逃げ込めれば、EUの外に連れ出される心配はない。EU市民には統一の保護規定があるからな。後はルクセンブルクでもマルタでも、好きなところで暮らせば良いさ」


 テイラーは箱の中のゴーンに言った。


「……私は、フランスの検察からも些細な容疑で訴追されている。EU圏は、必ずしも安全とは言い切れないのではないか?」


 ゴーンはくぐもった声で答えた。


「じゃあ、スイスやリヒテンシュタインへ逃げれば良い。金で解決できる国は、いくらでもあるだろう」

「ふん、結局はカネ次第ということだな。……」


「──テイラーさん! 接近してくる航空機があります!」

「接近……? 所属は?」


「──……と、トルコ空軍のF-16です!」

「何!?」


 テイラーは絶句した。

 バーサとダニエルも、唖然としていた。


「──『速やかに、北キプロス・トルコ共和国キレニア飛行場に着陸せよ』とのことですが……」


 テイラーは舌打ちした。

 急ごしらえの小型機には、ジェット戦闘機に対抗する術が備わっていなかった。


「……トルコ当局なら、イスハークの人脈で何とかなるかもしれない。……やむを得ん。ここは着陸するぞ」

「……、はい」

「へいっ……」


 テイラーは覚悟を決めた。

 バーサとダニエルも、腹を括った。


 小型機は、北キプロス・トルコ共和国の都市キレニア近郊にある軍民共用の飛行場に降り立った。





 飛行場には、トルコ軍の兵士達が待ち構えていた。

 兵士達はテイラーに、積荷を全て出すよう命じた。

 テイラーは仕方なく、ゴーンが入った楽器ケースも降ろした。


「──私は、トルコ国家情報機構のムハンマド・アジーズと申します。イブラヒム・イスハークから話は聞きました。ダグラス・テイラーさん。グスタフ・バーサさん。ヒコック・ダニエルさん。そして、カルロヌ・ゴーンさん。トルコ本国まで、ご同行ください」


「……なぜ、貴方の口からイスハークの名前が出てくる?」


 テイラーは訝しんで聞いた。


「彼と、ハダドというレバノン人が全て吐いてくれました」


 アジーズは淡々とした口調で答えた。


「……、まさか……っ」

「ぇえ。2人とも捕まりましたよ。……いやはや。東の日本、西のイスタンブール。スパイ天国という不名誉な呼び名まで付けられた我が国ですが、そろそろ本格的な引き締めが必要だ、というのがムスタファ・エルドアン大統領の見解です。日本政府も、既にゴーンが果たすべきは終了したと言うことで、中枢から末端が一丸となって、捜査・追及を開始しました」


 アジーズは微笑した。


「……ニホンに恩を売る意味でも、俺らの身柄は魅力的だってか?」

「正解です。抵抗しますか?」


 アジーズは問うた。

 彼の後ろには、トルコ軍の兵士達が銀盾と自動小銃M16を構えて、隙間なく、ズラリと並んでいた。


「……社長」

「どうします……?」


 バーサとダニエルは、短機関銃を構えていた。


「……ニホンへの送還は猶予してくれないか?」


 テイラーはアジーズに言った。


「それは、私の与り知るところではありません」


 アジーズは、とぼけるように聞き流した。

 テイラーは、自らの最期を悟った。


 ──今回の依頼で、多数の社員を失い、失敗を重ねた

 ──もう、やり直す機会はないだろう


 ダグラス・テイラーは、自動小銃を構えた。


 その瞬間、トルコ軍兵士が斉射した。


 5秒後。

 小型機の前には、3人の死体と、ベコベコに凹んだ楽器ケースだけが残された。


 トルコ軍兵士は乱暴にケースを開けると、その中から、銃声に身を竦ませた中年のオヤジ──カルロヌ・ゴーン──を引きずり出した。


「……カルロヌ・ゴーン、無事確保ですね。藤枝さんにお知らせしなければ」


 アジーズは言った。



***



 カルロヌ・ゴーンの逃亡から、ちょうど2週間が経った1月12日深夜。


 羽田空港に、トルコ航空の政府専用機が降り立った。

 中から現れたのは、すっかり見窄らしくなったカルロヌ・ゴーンだった。


 国内では、政府の責任問題が追及された。

 日本政府は、一連の逃走劇はカルロヌ・ゴーンとセキュリティー・プリンス社、そして、彼らに脅迫・買収されていた人物の犯行であったと主張した。

 内閣情報調査室の岩田友秀と、レバノン大統領と密約を結んでいた鈴本啓介外務副大臣を生贄スケープゴートとし、追及を乗り切った。


 こうして、カルロヌ・ゴーン逃亡事件は決着した。

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カルロヌ・ゴーンを追え! 七海けい @kk-rabi

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