第10話: アジールを目指して(前編)


***



 ──1月10日。

 東レバノン。カルロヌ・ゴーンの自宅。


 カルロヌ・ゴーンはユニオン国営放送の単独インタビューを受けていた。


「──ゴーンさん。貴方は今、日本に送還されることを恐れていますか?」


 カメラが回る中、記者は質問した。


「私は、レバノンの政府と法律を信じている。だから、全く恐れていない」


 ゴーンは自信に満ちた声で答えた。

 記者は、尚も質問を続ける。


「逃亡の方法について、詳しく言えないのは分かっています。でも、いくつかの資料映像は見ましたよ。例えば……身を隠すのに使った音楽ケースとか。あの中は、不快でしたか?」

「それは、他の人に聞くべき質問だ。……ちなみに。君は、箱の中に入ったことはあるのかい?」


 ゴーンははぐらかすように聞き返した。


 逃亡の方法については、くれぐれも明言を避けてくれ。でないと商売あがったりだ。と、ダグラス・テイラーから厳命されていたのだ。


「私はありません。でも、貴方は、入ったことがあるんでしょう?」

「それは、君が勝手にそう思っているだけだ」


「答えてくださいよ。箱の中に、逆さまに入っていたんでしょう?」

「それは君の解釈だ。ただ一つの事実は、私が進んでリスクを冒したということだ。まともな生活を手に入れるためにね」


「そうですか。……では、次の質問です。関西国際空港から飛び立ったとき、貴方は安心しましたか?」

「いや。安心したのは、レバノンに着いてからだ」


 ゴーンはずっと箱の中にいたために、自衛隊のスクランブルに気付いていなかった。

 テイラーは特別に隠しているわけでもなかったが、わざわざ伝えて不手際を詰られたら堪らないので、黙っていた。つつがなく、滞りなく、スムーズに脱出できた……そう思ってもらうことが、テイラーにとって最も望ましい結果だったのだ。


「これから、ゴーンさんは何をするつもりなんですか?」

「まずは、生活を平常に取り戻すことからだ。チャレンジしたいことはたくさんある。引退しない」


 ゴーンは最後まで、ふてぶてしい、脂ぎった声と態度で答えた。





 ゴーンはインタビューを終えた後、テイラー達の部屋に行った。


「ダグラス。パスポートの件はどうなった?」

「夫人は、今日も大統領府に通い詰めてるよ」


 テイラーは答えた。

 テイラーとバーサ、そしてヒコック・ダニエルの3人は、武器の手入れをしていた。

 自宅の周辺は、レバノン軍治安維持部隊が取り囲んでいた。これは、メディア・スクラム対応と、デモ隊の侵入を阻むための措置だった。


「今日の夜は、日本のメディアを相手に会見する。護衛を頼むぞ」

「へいへい。……しかし、なんだって今更ニホンのメディアに会うんだ? この前の記者会見は、ニホンのメディアは入れなかっただろう?」


 テイラーは聞いた。


「風向きが思っていたよりも良くない……。ただそれだけの話だ」

「風がどうでも構わんが……、ミスター・カットマン。そろそろ、追加料金の話もしてくれねえかな?」


 テイラーは自動小銃を組み立てながら言った。ジャッコンという音が、それとなくゴーンを牽制した。


「……私を守り切った暁には、きっちりカネを払おう。追加分も用意する」

「前金だけでどうにかなるレベルはとうに過ぎている。自覚はあるのか?」


「ぁあ、勿論だ……」

「頼むぜ。全く……」


 険悪なムードを、テイラーの社員達も感じ取っていた。

 ジョルジュアントワーヌ・レーが死んだ辺りから、テイラーの様子が変わった。実際、セキュリティー・プリンス社の損失は相当なものだった。日本に残してきたメンバーは全滅し、レバノンでも3人が死亡した。


 苛立つテイラーを逆撫でするように、彼のスマホが振動した。

 レバノン軍治安維持部隊からの通話だった。


「……どうした」

『──テイラーさん、首相官邸がやられました』


「……やられたって、どういうことだ」


 テイラーは聞き返した。


『銃撃戦が発生して……多分、ヒズボラの仕業です』

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