第8話: 赤軍の長い手


***



 ──1月8日。昼下がり。

 ベイルート北西部。マジディエハ地区。


 地中海に面した歩行者道路の欄干に、1人の老人が佇んでいた。白髭を蓄えた彼は、杖を片手に、海原を見つめていた。


「──そこの御仁」

「……」


 老人に、1人の男が近づいてきた。観光客に馴染んだ、ラフな出で立ちだった。


「オカモト・タケシさんですね?」

「……さて、誰のことでしょうか」


 老人は、流暢な日本語で答えた。


「『極東赤軍』。覚えていますよね?」

「……」


 男の問いに、老人は顔色一つ変えなかった。

 男は、続けて問うことにした。


「貴方は極左組織『極東赤軍』の元構成員、岡元猛さんですよね? 48年前、貴方がイスラエルのテルアビブ国際空港で起こしたテロ事件。よもや忘れたとは言わせませんよ」

「ほぅ。……」


 岡元と呼ばれた老人は、おもむろに杖を握り直した。


「申し遅れました。私は警視庁公安部、外事3課の所属で、藤枝平蔵と言います」

「……中東のスパイやテロリスト……特に、イラン関連を嗅ぎ回る連中らしいな」


「さすが。情報収集に抜け目なし、ですね」

「……で、日本のお巡りが儂に何のようだ」


 岡元は、鋭い眼光で藤枝を睨み付けた。


「実は私の知り合いに、同じく公安で働いている中島という者がおりまして。彼は赤狩りも担当しているのですが……」

「要するに、儂を捕まえに来た……と?」


 岡元は凄んだ。


「それは、取引の結果によります」

「……取引?」


「はい。現在ベイルートに、貴方の人脈を使って始末して欲しい男がいるのです」

「はッ。……買いかぶりすぎだよ。儂の身の回りには、介護スタッフしかいない」


「ターゲットは外務省国際情報統括官、北倉光永という人物です。仕事先は在レバノン日本大使館。彼が良く通う店や、馴染みのホテル、セーフティーハウスの住所はこちらに」


 藤枝は岡元に、一枚のメモを手渡した。

 岡元は躊躇いつつ、それを受け取った。


「……ゴーンの絡みか」


 岡元は聞いた。


「さすが。鋭いですね」

「噂には聞いているよ。日本の連中がアメリカのパラミリとドンパチやってるって話は」


「そうですね。その表現の方が、我々の活動を良く表しているかもしれません」

「……どう言う意味だ」


「我々は、確かにカルロヌ・ゴーンを追っています。彼を日本に連れ戻し、外患誘致罪で裁判にかける。それが我々の目的です。……ですが」

「……彼が逃げおおせることができた理由。外国の武装組織が容易に出入りできる国境管理。日本政府内部の協力者。こっちの方が遙かに問題だ……と言うことか」


 違うか? という風に、岡元は不気味な笑みを浮かべた。シワだらけの顔面を、醜く歪ませた。


「その通りです」


 藤枝は、短く答えた。


「確かに、昭和むかしに比べて日本は穏やかになった。飼い慣らされ、洗脳され、全てを忘れることによって、日本人は途方もなく大人しくなり、従順になった。……その代償として、国家機関はより弛緩し、より腐敗し、より軟弱になった」


「そうですね。……ですがその言葉、そっくりそのまま、貴方のお弟子さん達にも返しますよ」

「そりゃそうだ。同志もポリ公も、互いに年を取る。衰える。過去を忘れる。ヤクザや右翼も同じだ。無菌室みたいな今の日本は、せいぜい、たまに現れる異常な殺人犯を見て、それを怪物や化け物として大げさに消費するだけで自己満足に浸る。……全く、低俗な国になったものだ」


「貴方が何をどう思おうが勝手ですよ。……所詮、貴方は日本を叩き出された負け犬なんですから」

「……その負け犬に人殺しの依頼をするアンタの神経を、儂は心底疑うよ」


 岡元は鼻で嗤った。

 藤枝は、超然とした態度でそれを受け流した。


「で、引き受けてくれるんですよね?」

「……善処しよう。元来、金持ちに与する役人は大嫌いだからな」





 ──1月9日の朝。

 西ベイルート。ハムラ地区のホテルにて。


 藤枝はスマホでニュースを確認していた。

 8日に行なわれたカルロヌ・ゴーンの記者会見は、かなりの肩透かしものだったらしい。あまりに中身がなかったのか、欧米メディアでさえ、筆の乗りが悪い記事ばかりだった。


 午前10時。

 藤枝のスマホにメールが来た。


『昨日の依頼は達成したよ。


 ラマ地区のセーフティーハウスを確認すると良い。


 これで、君との関係は最後だ。

 くれぐれも、儂の老後を脅かさんでくれよ。




 追伸


 今年のオリンピック。

 楽しみにしているよ。色々な意味でね』


「……」


 藤枝は依頼の達成を確認するために、ホテルを出た。





 西ベイルート。ラマ地区。


「ここか……」


 藤枝は数名の私的なガードマンを連れ、アパートビルの地下に入っていった。

 藤枝は錆びかけた階段を降り、ガレージに辿り着いた。


「──よぅ。あんたがフジエダさんかい?」

「日本語……? ……貴方は何者ですか?」


 藤枝は身構えて聞いた。

 ガレージの中に、AK47を携えた男が5,6人、たむろしていたのだ。


「俺達は神の党──ヒズボラ──の兵士だ」

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