第7話:「ドレーク」を始末せよ
***
──1月7日。
ベイルート北部。アルマーファ地区。
カルロヌ・ゴーンの妻キャロル・ナバラを乗せたレバノン政府の諜報機関ムハバラート・アルミの公用車が、レバノン大統領府を訪れた。
キャロルは大統領に、夫ゴーンへの便宜供与──具体的には、外交官パスポートの発行──を要求していた。
3日前に
そこで、キャロルはレバノン政府に働きかけ、ゴーンをレバノンの外交官か国務大臣に任命させることで、外交官パスポートを手に入れようと目論んでいた。
外交官にはウィーン条約で保障された身分保護規定がある。世界中を自由に往来できる免罪・不逮捕特権は、キャロルとゴーンにとって喉から手が出るほど欲しい権利だったのだ。
キャロルは大統領と30分ほど懇談した後、公用車に戻った。
レバノン軍治安維持部隊とジョルジュアントワーヌ・レーの護衛を受け、彼女は帰路についた。
「……社長。今、夫人を車に乗せました。これから帰ります」
レーはテイラーに、進捗状況を報告した。
『──ぁあ。くれぐれも用心しておけよ。たった今、ニホンは夫人を偽証罪で手配すると言い出した』
「逮捕権は国外には及びませんよ。……まぁ、ニホンまで拉致って手錠をかけるなら別ですが」
『──ニホンまで連れ込む必要もないだろう。あの依頼主の気性だ。万が一にも妻を人質に取られたら、暴れ狂うぞ? そうなると色々と面倒くさい。こっちは2人やられた後だ。レバノン政府の全面支援があるとは言え、油断はできない』
「分かってますよ。社長」
『それからついさっき、ニホンの外務省から、レバノンに自衛隊の特殊部隊が潜入しているとの情報を得た』
「へぇ。それ、結構なビッグニュースじゃないですか」
『応援として、そっちにバーサを回した。無事を祈る』
「了解」
レーは通話を切った。
公用車は前後を装甲車に守られながら、ゆっくりとした動きで大統領府を離れていった。
途中、パパラッチに何度かカメラを向けられた。キャロルは、それが良い宣伝になると思っているのか、終始上機嫌な様子であった。
一方のレーは、記者の中に妙な人間が混ざっていないか、カメラの中に銃口が潜んでいないか、いちいち目を光らせる必要があった。
アシュラフィエ地区に入る手前で、車列が停止した。
「……おい、何かあったのか?」
レーは無線で、前方の装甲車に呼び掛けた。
『──道にタイヤが積んでありまして。……デモ隊の仕業ですかね』
「最近はデモの範囲が拡大してるからな……」
そういうこともあるか。と、レーは思った。
「どうする。迂回するのか?」
『──それしかありませんね。道幅が狭いので、少し面倒ですが……』
その時、最後尾の装甲車が爆発して、炎上した。
爆風により、レーが乗っていた後部座席にはガラス片が撒き散らされた。
レーは咄嗟の判断で、キャロルを抱えて身を屈めた。
車の破片と煤が、辺り一面に降り注いだ。ガラスの雨は次々と連鎖し、レー達が乗っている車の後部ガラスも粉砕された。
「何事……?」
キャロルは、レーの顔を見た。
レーは後頭部を抱え込み、何とか重傷を免れていた。
「ぃたた。……多分、襲撃だと思いますよ。ニホンの」
「何ですって?!」
車外では、覆面集団による容赦のない銃撃が始まっていた。彼らは自動小銃M16を構え、タイヤの影や左右の建物から、圧倒的な攻撃を加えてきた。応戦するレバノン軍治安維持部隊は、1人ずつ、刈り取られていった。
「……まさか、私が狙われているの?!」
キャロルは取り乱して言った。
「さぁ……それはどうでしょう」
レーは短機関銃MP5を握ると、車列に向けられている射線の隙間を探した。
「……連中の目的は、ひょっとしたら俺かもしれないですね」
レーは苦笑いを浮かべた。
先日の無人機による攻撃と言い、自衛隊はゴーンやキャロルに迫ることよりも、セキュリティー・プリンス社に対する報復に主眼をいているのではないか。そう、レーは感じていた。
「俺が囮になります。すぐにバーサが来ますから、彼の車で家まで逃げてください」
これで相手が若い美女なら完璧だったのに、中年のオバサンじゃあなあ……と、レーは心の中で呟いた。
レーは怖がるキャロルを強引に車の外に押し出すと、やや乱暴気味に誘導した。オレンジ色の炎を上げる車の影に身を隠し、応援部隊の到着を待った。
レーは駆けつけた治安維持部隊にキャロルを預けると、煌々と燃え盛る車列の中に戻り、覆面集団に抗戦を試みた。
弾倉を全て撃ち尽くし、レーは予備の拳銃を取り出そうと、尻に右手を回した。その瞬間、レーは防弾ジャケットの隙間──首元──を撃たれて斃れた。
覆面の人物は音もなくレーに駆け寄ると、その脈を取った。
「──
「──応援が来る前に撤収するぞ」
覆面の集団は弾幕と火炎、そして煙の中に行方を眩ました。
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