第2話:「浪速の檻」作戦(後編)


***



 ──2019年12月29日。深夜。

 日本海上空を飛行する、白い小型機の機内。


「──ヘイ、。もう箱の外は安全だぜ」


 アメリカの民間軍事会社PMCセキュリティー・プリンス社の社長──ダグラス・テイラー──は、黒塗りの大箱をつつきながら言った。傍らには、社員で腹心のジョルジュアントワーヌ・レーがいた。二人とも、自動小銃M16を携えていた。


「……出られるわけがない。この飛行機は狭いからな。まぁ、この中も十分に狭いが」


 日本製の楽器ケースを魔改造した『最強の箱』の中身──月産自動車の元社長カルロヌ・ゴーン──は答えた。


「ははは。違いねえ。……ま、イスタンブールまでの我慢だ。妻の夢でも見てろ」

「社長と俺が付いているんです。金さえ払ってくれりゃ、ちゃんと配送しますよ」


 テイラーとレーは、ニヤニヤと笑いながら言った。


「──テイラーさん。やばいです……」


 小型機のパイロットが、怯えた声で言った。


「どうした」


 テイラーは聞いた。


「……もの凄い勢いで、ニホンの飛行機が追尾してきてます」

「何……?」


 テイラーは眉間に皺を寄せた。


「まさか、自衛隊が緊急発進スクランブルでもかけてきたんですかね?」


 レーの口角は、少し上がっていた。


「警告が来れば正体は分かる。……」


 はしゃぐな。という風に、ダグラスは言った。


「──通信、来ました。……三沢基地所属の、航空自衛隊だと言っています」

「ってことは、F-2じゃないですか? いやー。レアですね」


 レーは口笛を吹いた。


「何でお前は楽しそうなんだよ……。仕方ねえ。デブリを撒き散らせ。お前も家族の命が掛かってるんだ。死に物狂いで操縦桿を握れよ?」


 テイラーはパイロットの後頭部を眺めながら、威圧するように言った。


「社長。悪人がすっかり板に付いてきましたね」


 レーは茶化した。


「はんっ。何を今更。……しかし、ニホンも自衛隊が出しゃばってくるとはな。……あの国のはどうなっているんだ?」

「さぁ。俺には難しいことは分かりません。……分かることは1つだけ。空対空ミサイル。もし食らったら一発でバラバラですね」


 レーは興奮気味に言った。


「……まぁ、そうだろうな。……っ」



 小型機は、乱高下と急旋回を繰り返した。空対空ミサイルをデブリでかわしつつ、Gに堪えること十数分。


 小型機は、何とか国際空域まで逃げ延びた。



「……終わったみたいですね。もう少しスリリングだと良かったんですが」

「そうか? 俺は二度と御免だな」


 御機嫌なレーに、テイラーは嘆息した。


「社長は陸軍畑ですからね」

「バカ言え。お前だってそうだろうが」


 ダグラス・テイラーは、アメリカ陸軍特殊部隊──通称グリン・ベレー──の出身だった。レバノンを初めとする中東一帯を転戦し、退役後は、FBIと協力して、南米で麻薬カルテルに絡んだ潜入捜査も行なってきた。

 2002年、彼は民間軍事会社を立ち上げた。2008年には、アフガニスタンでアメリカ人の人質を奪還する大手柄を挙げた。しかし、栄光は長くは続かなかった。別件での不手際と、マネーロンダリングが重なり、彼はアメリカで服役した。これは、かなりの痛手だった。欧米市場ではすっかり肩身が狭くなり、やむなく、彼は東アジア市場に転向した。

 テイラーは今回の大仕事に、セキュリティー・プリンス社の再起をかけていた。それなりの報酬を見込み、それなりの人員を揃えて臨んでいた。

 このジョルジュアントワーヌ・レーという男も、依頼主ゴーンのルーツであるレバノンに縁を持つフリーランスの傭兵だ。彼は以前、レバノン軍の情報機関ムハバラート・アルミに務め、地元の過激派組織ヒズボラとの死闘を経験した。


「……全てはカネと宣伝材料のため。あんたには逃げ切ってもらうぜ。カットマン」


 本人には聞こえない小さな声で、テイラーは呟いた。

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