第3話:「アントワネット」を護衛せよ
***
──2020年1月1日。
日本国内。
新年の浮かれた空気も漂う中、カルロヌ・ゴーンの国外逃亡が、本格的に報道され始めていた。銃撃戦や爆発があったこともあり、ネットを中心に多くの関心を集めた。
SATの隊員に2名の殉職者が出たこと、そして、航空自衛隊が緊急発進を行なったことについては、菅原義秀官房長官の判断で情報が隠蔽された。
大量のデブリやエンジン音、空対空ミサイルの光りについては、UFOかもしれないという説明でお茶を濁していた。
東京都港区。カルロヌ・ゴーンの娘キャロル・ジャネット──呼称「アントワネット」──が滞在するホテルの前。
黒いバンの中に、張り込み中の捜査員2名がいた。
「……年末年始に、検察も随分な失態だな」
「……で、何で僕らがその尻ぬぐいをしなきゃいけないんですか? しかも元旦に」
スマホでドーン関連のニュースを確認しながら、警視庁公安部第1課の中島と長谷川が駄弁っていた。
「そういうところだぞ、長谷川。世間の皆様からセクショナリズムがどぅたらとか言われる理由は」
「そうは言われましても。……だって、公安調査庁と
「そりゃ警察庁に決まってんだろう。公安調査庁なんて盲腸機関。カルトも極左もうちの方が情報持ってるっつーの」
「でしょう? ……」
公安調査庁は、検察庁と同様法務省の所管である。対して、都道府県警察を監督する警察庁は国家公安委員会にぶら下がっており、これは内閣府の外局機関である。内閣府は官房長官の隷下にあるが、国家公安委員会と警察庁、さらに警視庁がクッションとなることで、公安部は一応、党利からは独立した国益を守る国家機関として機能している。
「……ぉ。新年一発目のタヌキ面だな」
スマホを眺める中島の目に、ゴーンの弁護士──広中淳次郎──の老け顔が映った。彼は含みを持たせた表情で、ゴーンの逃亡は「寝耳に水だ」などと言っていた。
「……、中島さん」
「どうかしたか?」
長谷川は、運転座席から背中を離していた。
「8係が言ってた通り、怪しい連中が下見に来ましたよ」
「どれどれ……」
中島は目を細めた。
8係とは、警察庁外事課が有する通信傍受機関の俗称である。
「ははぁ。なるほど。確かに、怪しい連中だな」
深い目刺し帽の男が2人。ホテルの前を行ったり来たりしていた。
ジャネットには証拠隠滅の疑いが持たれていた。彼女にまで逃亡されれば、事件の追及は完全に頓挫する局面だった。
「身柄、押さえますか?」
「まぁ待て。大阪で逃げ損ねた連中を2人捕まえている。ここで無理する必要はない。都心で銃撃戦なんてまっぴら御免だからな」
中島は溜息混じりに、サイドミラーを見た。
「……それより、後ろの車両が気になるな」
「朝からずっと張り付いてますよ。声、かけてみます?」
「いや。向こうから来てくれるみたいだぞ」
「ぇ?」
長谷川は怪訝な声を上げた。
後ろの黒いセダンから、スーツ姿の男が降りてきた。中肉中背の壮年。これといった特徴のない、少々不気味な男だった。
スーツ姿の男は助手席──中島──の方に立つと、窓ガラスを指で叩いた。
「何だい? 煽り運転なら110番するけど」
中島は茶化して言った。
「そちらこそ。違法駐車は犯罪行為ですよ」
スーツ姿の男は言った。
「細かいこと言うなよ。こっちは張り込み中なんだからさ」
中島の開けっぴろげな口ぶりに、長谷川は顔をしかめた。
「奇遇ですね。実は、私も張り込み中なんですよ」
スーツ姿の男はそう言うと、名刺を取り出した。
「……私達は、同じ日本の公務員です。無駄な腹の探り合いは
差し出された名刺を、中島は受け取った。
「……ぁあー。やっぱり。見るからに
中島は、わざとらしく頭を掻いた。
内閣情報調査室とは、内閣官房直属の情報機関である。彼らに捜査権や逮捕権はないが、省庁を跨いだ調整が要らない手軽な駒として、内閣官房──即ち官房長官──がよく使う役人である。
「内調の岩田友秀さん。覚えたよ。俺は警視庁の中島忠介だ。あいつは長谷川」
「どぅも」
長谷川は渋々礼をした。
「警視庁、ですか」
岩田は呟いた。
「はい。お互い、くだらないセクショナリズムは捨てて、国家・国民のために尽くそうではありませんか」
中島は朗らかな声で言った。
心にもないことを。と、長谷川は心の中で呟いた。
「ぇえ。まさに、私も同じように思っています。……それでは」
岩田は踵を返すと、後ろのセダンに戻っていった。
「……あの岩田って男。中島さんはどう見ますか?」
長谷川は聞いた。
「どうもこうも。見たまんま、聞いたまんまだろう」
中島は肩をすくめた。
後ろのセダンが離れた頃には、ホテルをうろついていた2人組も姿を消していた。
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