第11話: アジールを目指して(中編)
「ヒズボラ……」
テイラーは眉をひそめた。
「……社長。それは多分、レバノン政府の内紛じゃないですか?」
「そうですよ。ウチらの案件とは、全く関係ないと思いますよ?」
バーサとダニエルが言った。
しかし、テイラーはそうは思わなかった。
「油断はできない。……そういう考えの甘さが、ペリゴール達を失う原因になった」
テイラーは通話を切ると、別の番号──外務省国際情報統括官の北倉光永──に電話をかけた。
「……」
しかし、応答はなかった。
「……昨日から、ニホンの外交官との連絡が切れている。ひょっとしたら、消されたのかもしれない」
テイラーは苦々しげに言った。
「特殊作戦群の襲撃を予告してきた、あいつですか?」
バーサが聞いた。
「ぁあ。……なぁ、ミスター・カットマン。ニホンの外務省と内閣官房は、あんたの逃亡を黙認したんだよな。ニホンの大使館は頼りになるのか?」
テイラーはゴーンに聞いた。
「分からん。……ただ、積極的な協力は殆どしてくれないだろうな。──私が国外逃亡することで、日本のメディアは私の話題一色になる。そうすれば、年末に報じられた与党の汚職事件を隠すことができる。その意味では、日本政府は既に満額の対価を受け取っている。これ以上、日本政府が私に協力する理由はないだろう」
ゴーンは肩をすくめて答えた。
「ちっ……。何でヒズボラがニホンに手を貸したのかは知らないが、首相官邸が襲撃されたのは、外交官パスポートの発行を阻止するためだろう。大統領が承認しても、事務手続きができなければ意味がない」
テイラーは忌々しげに言った。
そして、また別の番号に電話をかけた。
「おい、イブラヒム。そっちの交渉はどうだ。……、……そうか。分かった」
テイラーは通話を着ると、バーサとダニエルに目配せした。
「……ここも潮時、ですか」
「仕方ないですね」
バーサとダニエルは、手入れを終えた銃火器を肩に担いだ。
「何だ。随分と物々しいな」
ゴーンは身構えた。
「ミスター・カットマン。現地の武装組織が動き出した今、レバノン政府の対応は待っていられない。ウチの社員が南キプロス政府と話を付けてきた。これからEUに逃げるぞ」
ダグラスは言った。
「今からか……? 妻は? 奪還に失敗した娘は?!」
ゴーンは派手な身振りを交えながら叫んだ。
「……あんたは大人しく、ニホンのメディアに答えてこい。必要な準備はその間にする。出国の予定は明日の早朝。夫人は外交ルートで何とかしてもらう。娘の方は諦めろ」
テイラーは有無を言わせない口調で告げた。
*
その日の夕方。
カルロヌ・ゴーンは日本メディアとの記者会見に応じ、相変わらずの高慢な態度で、自らの潔白を主張した。
会見後、ゴーンは妻のキャロルと夕食を共にした。その時に、自分が今夜、レバノンからキプロスへ向かうことを告げた。
「もう少し、待ってくれないの?」
「仕方ない。……テイラーが言い出したんだ。彼は逃がし屋としては素晴らしい男だ。彼の勘に従うのが賢明だろう」
ゴーンは食事を終えると、寝室で仮眠を取った。
*
深夜。
ゴーンは用を足すと、あの楽器ケースに身を隠した。今回はセキュリティを突破するというよりも、防弾性能を重視してのことだった。この箱の中にいれば、ちょっとやそっとの銃撃や爆発を凌ぐことができた。
「よし、運ぶぞ」
「はい」
「へい」
テイラーとバーサ、それにダニエルは、音楽ケースを装甲車両に運び込んだ。キャロルの護衛はレバノン軍治安維持部隊に任せ、3人は随伴のレバノン軍特殊作戦大隊第1中隊と共に、夜のベイルートを脱出した。
「ラフィク・ハリリ国際空港まで残り1キロ……何もないと良いですね」
バーサが言った。
「南に下れば下るほど、ヒズボラの影響力は強くなる。この辺は内戦の時、シーア派住民のスラムだったところも多い。油断は禁物だ」
テイラーは、真っ暗な窓外を見ながら言った。
暗闇の中に、点々と閃光が煌めいた。同時に、パパパッという軽い音が響いた。
テイラーは無線機を取った。
「──銃撃だ! 応戦しろ!」
レバノン軍特殊作戦大隊の装甲車両は、一斉に臨戦態勢を取った。
『──撃て撃て撃て撃てっ!』
装甲車両の銃眼から、7,62ミリ小銃弾がフルオートで放たれた。
武装集団──十中八九ヒズボラの兵士達──は、AK47や対戦車ロケット弾で激しく攻撃してきた。前方の車両が徹底的に狙われ、残骸と化していった。
「車を止めるな。そのまま突っ切れ!」
テイラーは、運転席の兵士に叫んだ。
燃え盛る車列を盾に、後続の車両は銃撃をかわした。
ラフィク・ハリリ国際空港まで、ゴーンを積んだ装甲車両は最高速度で走り抜けた。
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