第12話 ロジャー兵団VSランサー騎士団 

 ライラの、優しかった父――オリオン・アトラス=サンクトランティッド。


 彼は始祖アトラス=ハイキングの末裔が持つ特殊な瞳【夜】のせいで、ずっと床に伏せっていた。父の言葉により急遽ライラが女王として立ったが、混乱の中【結界】が消失した。


 ――罰を受ける。


 無数の魔族が侵入し、帝国が混乱に陥って、ライラはその言葉を理解した。だが、遅すぎた。

 リーダーが不在の帝国には、強力な騎士王も将軍もいない。皆がその勢いに飲まれようとした時、帝国に彼らがやってきた。


 ――【緑の灯火グリンゲール】。


 異能を身につけた、最強の軍団が魔界サーティス=ヘッドより帰還した。その首領は、ソル伯爵の息子であるスルーダー・ソルだった。

 彼の弟であるスカラー・ソルも自らの魔術師団を率いて立ち上がった。二人とも、将軍であったイオダス・サージェスの愛弟子だった。将軍派は、彼らに付き従うこととなった。


 そして、いよいよ戦が佳境に差し掛かった時、ライラの父が突然目覚めた。


 彼は死の淵から蘇り、両目に【夜】を宿して軍隊を率いて魔族を制圧した。魔術師団の造り上げた【結界】の外まで魔族を追いやった。


 強き【夜】の君主の復活に、国民は心から喜んでいた。


(だが、そこからが地獄の始まりだった……)


 王と魔人団は、人々から女神ハルディアの神殿を、【戦火】を取り上げた。【戦火】は魔人団の管理下に置かれ、神殿は破壊され、有力な神官は処刑され、あるいは前線に送られた。


 神殿の所有する【戦火】を軍の管理下に置くよう進言したのはスカラー・ソルだったが、その兄たる魔人団の首領は、女神ハルディアを心の底から憎んでいるようだった。神殿の破壊を進めたのは彼だった。破壊を進めた数年で、女神信仰は異端とされ、公に信仰する者は誰もいなくなった。

 帝国で第一の実力者はソル家となった。ソル家に歯向かう者はいつの間にか表舞台から消えていった。


 貴族たちはお互い疑心暗鬼になり、生き残るために讒言をし、自らの土地の【戦火】を守るのに必死になった。目の前で民が嬲られようと、目を背け、耳を塞ぐ者たちもいた。


 気がつけば、魔族によって死んだ数より、人の手により死んだ者たちの方が多くなっていた。


 今でも、【戦火】を巡る争いは止まない。女王位から下り、ライラは騎士団長として国を見て回り、その現実に愕然とした。


 しかし、父のオリオン王にライラの言葉は届かなかった。母のバージニアにはライラが心を病み、父に謀反を企んでいると噂を流されてしまったのだ。結果、ライラは地下牢に閉じ込められてしまった。


 それを助けてくれたのは、大人しく弱気だと思っていた彼女の弟だった。


(……シエル、あなたが生きていると信じている)


 ライラは、燕のブローチをしっかりと握りしめた。


 ✧ ✧ ✧


 背後で扉が閉まる。

 リリアックはそれを何となく振り返った。

 そこにあるのは扉だったが、あるはずの家はない。扉はぽつんと地面の上に置かれ、背景には霧がかった深い森がある。

 この扉は、【転移】の魔法がかけられた特別なものだった。管理し、動かしているのはライラだった。国中に隠されたこの扉のおかげで、反乱軍は速やかに移動することができた。


「相変わらず、どういう仕組みになっているのかわからねぇ」


 リリアックは呟く。


「このままでは、ライラ女王が潰れる。そのために、宝物が必要だったのにな。一つより、二つだ。ピストレオスと交代で任務に当たっているが、限界がある」


 ブルーノは言い、こちらに向かって駆けてくる獣人に目を留める。

 かつての冒険で出会った、白いさらさら髪の女の獣人。四つ足でそのままブルーノの体を駆け上がる。襟巻きのようにその首に絡みついた。


「リズ、おはよう」

「あら嫌だ。もうこんにちはの時間よ」


 リズは笑い、ブルーノの頬をぺろりと舐めた。


「ねぇ、さっきミリアムとナナが喧嘩していたわ。どっちがあなたの本命かってね。さらにそこに大泣きのトムソンが加わってわけがわからなくなったわ。見境のない人ね」


 その言葉に、リリアックと副長ラルフの冷たい眼差しがブルーノに向けられた。


「……戦闘員の士気を下げるような真似はやめてくれないか」


 ラルフが眉間に皺を寄せて言う。ブルーノは苦笑した。


「すまない。責任を取ってその場を収めに行く」

「まだ続きがあるわ。その後、とても怒ったランサー家の兄弟と彼の率いる騎士団がやって来たの」

「……オマエッ、何人相手にしてんだ?」


 リリアックも、ラルフも目を剥いてブルーノを見た。昔から老若男女に好かれる甘い顔立ちのブルーノは、「モテる俺、辛い」という風にやれやれと首を振った。


「おいおい、俺もそこまでの数は……相手にしていないはずだ」

「ちょっと考えただろ!」

「君の相棒はどうなっているんだ?」


 ラルフが助けを求めるようにリリアックを見た。俺を見るな、とリリアックは顔を背けてリズを見る。


「それで、今怒り狂ったランサー騎士団はどうなっている?」

「ロジャー兵団と大喧嘩しているわ。アリシャ・ランサーを妊娠させたのはロジャー兵団の下端兵士よ。極秘結婚していたんですって。誇り高いランサー家はカンカンよ」

「マジか」


 霧の合間から、建物が見え始め、足下の土が変わった。幾つも水たまりがあり、ひどく湿気ている。陰鬱な重い風が流れていた。

 ねじ曲り、つるりとした表皮の巨木が所狭しと生える奇妙な場所。木々の合間に、点々と木造の建物がある。窓から漏れる朱色の光が、まるで幽魂のように揺らめいた。

 ここは王侯貴族『以外』の者たちが住まう隠れ家だ。同じ反乱軍とでも、身分が違うと少しばかり溝がある。

 兵団を指揮するのは、かつて将軍を輩出したロジャー一家だ。タルナーダ将軍の孫であるガドニエルは他の貴族とそりが合わず、一般市民と獣人、亜人を自らの指揮下に置いて戦っていた。

 本来ならば、生粋の貴族・ランサー家の娘であるアリシャがここにいるはずが無かった。


「どうしてアリシャはロジャー家の兵団に入ったんだ?」


 リリアックは疑問に思う。


「あぁ。自分の能力を前線で生かしたいと、ある日突然やってきたんだ。彼女が来て、ロジャー兵団の任務の成功率は飛躍的に上がった」


 そう言い、ラルフは一番大きな建物の前で立ち止まる。増改築を繰り返し、無理矢理小屋がくっつけられたようなその館は、窓から太い枝が何本も突き出ていた。

 その薄い壁の向こうから、怒声と金切り声、何かが破壊される音が響きまくっている。大きな音が鳴る度に、壁が震えて木くずがぱらぱらと落ちてきた。

 ラルフはごくりと生唾を飲み込み、扉を開けて中に踏み込んだ。


 ――その瞬間、彼の額に花瓶が激突した。


 ゆっくりと後ろに倒れる彼を助けることなく見送り、リリアックとブルーノは顔を見合わせた。

 扉を入ってすぐの吹き抜けの広間を二人は覗き込む。一本の巨木が生え、根を張るように枝をあちこち伸ばしていた。窓から飛び出していたのはそれだった。木は吹き抜けの天井を覆っている。

 その真下では、巨体の騎士や兵士たちが男も女も見境なく争っていた。ありとあらゆるものが空中を飛び交う、異様な光景だった。


「ランサー家の方が押されているぞ」


 ブルーノは笑いながら言う。

 机にのり、椅子を蹴飛ばし、ありとあらゆるものを武器にし、兵士たちは誇り高い騎士と喧嘩していた。料理人ですらエプロンを着けて登場していた。フライパンで襲われたのは初めてだろう、若い騎士が悲鳴を上げていた。


「やっちまえ! ぶちのめせ!」


 広間の真ん中で木箱に座り、兵士たちを煽るのはガドニエル・ロジャーだった。白髪の入り交じる灰色の長髪に髭、濃い茶の飴色の瞳。堂々たる体躯に獣の毛皮をまとい、にやにやと笑う。その手には酒瓶。まるで熊のようだ。


「我が兵団の戦士を奪おうとする者を許すな」


 ガドニエルの言葉に、兵士たちがおうと叫ぶ。


「ガドニエル・ロジャー。大人しくアリーを返してください」


 そう告げる凜々しい騎士がいる。アリシャの兄であるアダムだ。黒髪に青い瞳、いかにも貴族という上品な顔立ちをしている。


「アリー、どこだ! 兄さんたちが来たぞ! 今助けにグフゥ!」


 その隣にいた彼とよく似た容姿の年若い騎士は、女の猫獣人二人に襲われて倒れた。彼は弟のオスカーだった。


 残されたガドニエル・ロジャーとアダム・ランサーは、広間の中央で睨み合っていた。

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聖者のイカロス 草壁ふみこ @kusakabebunko

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