第8話 相棒の怒り
クラリスは落下しながら、白い靄の合間から奥の壁を確認すると、弩を取り出す。引き金引くと、ワイヤーを付けた矢が飛び出した。手応えがあって、そのまま遠心力を利用して霧の中を勢いよく飛ぶ。
彼女が宙を飛ぶすぐ足下に、おぞましい姿をした土人形や魔獣がいる。魔人の死体を貪っているものがいて、クラリスは顔をしかめた。
こちらに手を伸ばす者を足蹴にし、クラリスは壁に辿り着く。
だが、着地すべきそこには窓。
そのままガラスを突き破り、飛び込んだ。何かを押し潰した感じがした。
「……あら」
クラリスは、足の下にいる男を見る。彼女のヒールが、見事に後頭部に食い込み、彼を巻き添えに机は真二つに割れた。
会議中だったらしく、長方形に配置された長机の前には、制服を着た魔人たちが座っている。
クラリスは鏡の仮面越しに魔人たちの顔を見た。その頭上に、『賞金首〇〇』という文字が浮かんでいる。
「すごいわ。こんなに札束が転がっているだなんて!」
突然現われ、嬉々としてそう告げる少女に、魔人たちはぽかんとしていた。
だが、一人が立ち上がり、怒号を上げる。
「侵入者だ! 殺せ!」
爬虫類のような顔をした彼は、そう叫んだ瞬間にその眉間に矢が突き刺さった。
それを皮切りに、クラリスは机の上を悠々と歩きながら、矢を続けざまに魔人に撃ち込んでいく。時には短剣で仕留め、机を一周する頃には全員が倒れていた。
「今日は重要な会議があったようね」
彼らの机に置かれた資料をクラリスは手に取る。血塗れのそれを読み取り、彼女は首を傾げた。
「……竜人部隊、ですって。グラナートで捕えた竜人の血と骨で【竜殻甲冑】を作る……なに、イカロスって?」
『おぞましい』
吐き捨てるような声がした。彼は、クラリスの目を通して文章を読んでいた。
『全部燃やして、クラリス』
珍しく怒りを見せる相棒に、クラリスは素直に従う。弩に矢の代わりに赤い液体を装填し、引き金を引くと勢いよく炎が飛び出した。火の粉が舞い散り、それは壁へ、カーテンへと燃え移る。
クラリスが部屋を出ると、騒ぎを聞きつけた兵士たちが猛然と駆けてきた。幽魂兵ではなく、魔人だ。
クラリスは弩でまず最初の兵士たちを焼き払う。
――強い敵を倒せば倒すほど、クラリスの【賞品】としての価値は上がり、報償も高くなる。
以前、【商人連】の達成項目をクリアできなかったクラリスは、一ヶ月ほど野宿することとなった。神殿を転々とし、【商人連】の仕事が来るまで、彼女の魔力を狙う魔獣に追われ続けたのだ。
(あの時と同じ失敗は二度とするものか。選択を間違えたりしない)
クラリスは再び武器を長剣に変えて、敵を切り裂いていく。数が多く、全員は捌ききれない。敵の輪を飛び越え、第三の壁を目指す。
その中に、魔人の中でも一際長身の男が目に入った。黄金の兜を被っているそれを見た瞬間、肌が粟立った。
『ここは欲張らないことだよ、クラリス。スルーダー・ソルの親衛隊だ』
冷静な相棒の声が響く。
「わかったわよ」
クラリスは駆け続ける。第三の壁に通じる唯一の空中通路までやってくる。そこまで行くと魔人兵の数が少なくなっていったが、逆に幽魂兵の数が増えていく。
(ここに追い立てられたみたいね)
幽魂兵の腕をかいくぐり、クラリスは通路を駆け抜ける。出口まで出てきたところで、そこに道はなかった。目の前には暗闇が広がる。
背後にはガチャガチャと幽魂兵が迫っていた。
『飛び込んで、クラリス』
その言葉に押されるように、クラリスは暗闇に向かって飛び込んだ。仮面の力で、底が見える。魔法で風をお越し、猫のように身軽に着地した。
仮面が光で道を示す。誘導されるまま突き進み、最果てまで辿り着くと、クラリスは迷いなく両手をついて扉を押し開ける。途端、真夏のような強烈な光が飛び込んできた。
目が慣れると、そこにあったのは白亜の壁。同じ色の、巨大な彫像。奇妙な彫像で、仮面を被ったような平たい顔で、ねじくれた角が一本額から飛び出している。
その足下や、周囲の壁は、ところどころ汚れていた。
こんなに白い空間だから、それはよく目立った。どれも人の形をした影だった。
『それだけしか残らなかったようだね。気をつけて、クラリス』
鳴星がイヤーカフから囁く。
クラリスが首を巡らすと、白い小鳥がすいと眼前を通り過ぎていった。その後を追うと、先程会った女性――アリシャ・ランサーがいた。
彼女は、瓦礫に体を半分埋めた状態で倒れていた。その体は傷だらけだ。特に深いのは腹部。その出血具合から、致命傷であるとすぐにわかった。
彼女は、目を瞑らないように必死だった。荒く息をついて、目を見開いていた。
「……生きていた、のか、良かった」
アリシャはクラリスを見て微笑んだ。
「作戦は、失敗だ。逃げろ……」
小鳥が、弱々しく彼女の周りを飛び交う。アリシャはそれに気付いていない。傷口を自らの手で塞いで、クラリスに必死で逃げろと目で訴える。
『彼女はハルディアの祝福を受けている。弱くなっていて、気付かなかった』
「ハルディア? 女神の?」
へぇ、とクラリスはアリシャを見下ろす。
『彼女は妊娠している。後数分で彼女は子供と共に死ぬ』
鳴星の言葉に、クラリスは彼女の平たい腹部を凝視した。
「赤ちゃんがいるの? そこに?」
思わず呟く。その言葉の意味がわからなかったのか、アリシャは最初不思議そうな顔をし――愕然とした表情を浮かべた。
「そんな……そんな……」
呟いて、アリシャは目を閉じる。その額に脂汗が滲んだ。
まさか、起き上がろうとしているのかとクラリスはその気力に驚いた。両足には無数の棘が突き刺さっている。まともに歩くことは不可能に思われた。
『……失えば、ハルディアが悲しむ。彼女は母親と子供の守護者だ』
「鳴星?」
相棒の様子がおかしい。『彼女』のこととなると、彼は思い詰めたようになる。
「時間がないのよ、鳴星」
クラリスは、彫像を振り返る。その顔の位置が変わっている。クラリスの方に、向きが変わっている。
その首に、小さな鞄のようなものがぶら下がっている。そこから、感じたこともない不思議な波長の魔力が感じ取られた。
(あれが『宝物』ね)
クラリスは気付いて、彫像を睨む。
彫像の床まで届く長い両腕が、細かく振動し始める。
「鳴星、彼女はもうダメよ。出血量が多すぎるわ」
『彼女を助けたい、クラリス』
鳴星がそう告げた途端、小鳥がパンっと小さな音を立てて弾けた。光の粒となって、アリシャを包む。
「……『宝物』を諦めて、この女を助ける気? やっとここまで来たのに!」
クラリスは、苦しそうなアリシャを睨む。
『君と僕が力を合わせたら、多くのことを成し遂げられる。ガーガリオンの槍を手に取れ、クラリス』
クラリスはその言葉に操られるように、壁に突き刺さった三つ叉の槍をつかむ。
振り返ったクラリスの、緑の瞳は失われる。変わって、滲み出すのは漆黒の闇。白目まで覆い尽くして、【夜】へと変える。
『それは違反だぞ、鳴星』
そう話しかけて来るのは、【商人】の遊葉。大股で歩くクラリスの斜め後ろで、陽炎のように揺らめく。
『彼女では対処できない。僕が相手をする』
その言葉は、クラリスの口から紡がれる。
『賭けよう、遊葉。二分で倒す』
クラリスはガーガリオンの槍を手に彫像を振り返る。遊葉の気配はなくなった。賭けが認められた。
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