第6話 【宝物】奪還

 クラリスの愛馬――シャネルの角が星のように輝き、見事な脚力で勢いよく駆け出す。彼らは夜深くに出発し、朝まで走り続けた。


 朝日は薄ぼんやりと雲の向こうにしか見えない。北は瘴気が濃く、一日中暗い。植物はまともに育たず、骨のような枯れ木が地面に突き刺さるばかり。

 すぐ頭上を霧鮫の群れが通り過ぎ、クラリスは目を細める。かつて魔界の生き物だったそれも、今はそこら中に潜んでいる。

 シャネルから下りると、彼女の首筋を撫でる。意を得て、シャネルはクラリスから離れていく。


『この地では境目は消え失せているんだ、クラリス。ここはグラナートに近い。魔人団の最北の砦だ。このままグラナートに宝物が運ばれる前に回収しなければいけない』

「砦ってことは【戦火】もあるのね?」

『同時進行は厳しいよ、クラリス。宝物の奪還だけに集中した方が良い』


 その言葉に、クラリスは少しだけ眉間に皺を寄せる。


『……選択をクラリス・ソルに任せればどうだ?』


 別方向から声がかかる。頭上に、ぼんやりと黒いローブを羽織った影が現われる。【商人】遊葉だ。


『ドロモスの襲撃があって、どこの魔人団の砦も防壁を強化し人員を増加している。君が突破し、宝物と【戦火】を手に入れると賭けるならば、盾の使用を許可しよう。弩も剣もだ。一発で仕留められるものを提供する』

「いいわよ。一回襲撃したらしばらく隠れなくちゃいけないじゃない。時間がないわ、両方手に入れる」


 クラリスがそう言うと、彼女の革のコートに金に輝く紋様が現われる。弩も、素材がより硬質に、頑丈なものへと代わった。腰の剣はなくなり、代わって背中に二本の剣が出現する。クラリスが腕を前に差し出すと、そこには黄金の腕当。力を込めると、半透明の盾が傘のように展開される。


『気に入ったかい、クラリス・ソル』

「悪くはなさそうね。黒に黄金を纏うと偉い人になった気分よ」

『結果を楽しみにしている』


 そう言い、遊葉の気配は消えた。

 クラリスは再び歩き出したが、相棒が何も話さないので首を傾げた。


「鳴星、怒っている?」

『君が君を大事にしないことに』


 思わぬ返事に、クラリスは目を見張る。


「多少無茶をしないといけないわ。私には時間がないの。わかっているでしょう?」


 クラリスは微笑む。

 霧の中、目の前にそびえる見上げるほどの高さの壁。クラリスは首をほぼ真上に向けてその最果てを探したが、それは雲に隠れて見えなかった。


『これは防壁だ。三重に守られている。中にいる兵士たちは空を飛ぶ魔獣たちを使って出入りしている』

「つまり、出口がないってこと?』


 クラリスは片眉を跳ね上げる。


『行こうかクラリス。短剣を両手に持つんだ』


 クラリスはさっきよりも大きなため息をつき、壁に向かっていった。



 ✧ ✧ ✧



「デイドルホーンがやられたそうだな」


 そう不機嫌に言うのは、北の砦の所長・ケルハ・ドーソンである。魔人だけのこの砦において、彼は緑の制服を纏い、見た目だけは人間のように見えたが、異様なのはその瞳だ。

 ケルハの眼球は、暗褐色の瞳がそれぞれ二つずつあった。つまり、彼は四つの瞳を持っていた。ケルハは髪が抜けて青い血管が浮き上がる頭部を撫でる。そして、目の前に座る男をじっと見た。

 その男は、黄金の髑髏兜を被る。『親衛隊』の一人だ。


「……【戦火】がまた奪われ、囚人たちも多数逃げ出した。捕えた者は処刑したが、反乱軍の中核を担っていた者たちは見つかっていない。それに、最も重要な人物の行方がわかっていない。手違いで収容された。……王族だ」

「それはそれは……誰のミスだか」


 ケルハは笑う。


「アズラクがカンカンに怒っている。迎えに来たのに、襲撃されて収容所は崩れかけていたのだから。見つかったら丁重に保護するように通達を出しておけ」


 似顔絵と特徴を記した紙を見、ふむと顎を撫でる。


「……まぁ、その前にここも襲撃される可能性がある。あれを運び込んだ情報が漏れた。反乱軍が取り返しに来る。それに、例の【夜明けの子】も」


 その名に、ケルハはびくりと震える。


「……ドーソン所長。君のいた旅団は、彼によって壊滅しているね?」


 ケルハの目が泳いだのを見て、男は膝の腕で手を組み、前のめりになる。


「二度の失敗は許されない。それを肝に銘じておけ」

「……貴様に言われずともわかっている、ランビール!」


 ケルハは乱暴に机を拳で叩く。


「二度と、失敗は、しない」

「だが情報が漏れた。内通者がいる。三日以内に炙り出せ」


 ぐ、とケルハは押し黙る。

 そんな彼を一瞥し、男――アスファル・ランビールは、漆黒の衣をはらって立ち上がる。

 廊下に出ると、彼に気付いた兵士たちが左右に引き下がる。彼が何者か知らない者はいない。【緑の灯火】を束ねる魔人団総帥、スルーダー・ソルの片腕。

 アスファルは、霧の中外に出る。そこにいるのは空飛ぶ魔獣。頭部と翼は鷲、胴体は獅子だった。その魔獣の側に立つ男がいた。


「やぁ、ラソック副団長」

「ランビール。聞きたいことがある」


 キャニスタ・ラソックもまた、アスファルと同じく黄金の髑髏兜を被っている。彼も魔人だが、理性があり、ここの副団長に任命された。


「……中央に侵入者が入ったというのは真か」


 彼は低い声で囁く。


「そうだ。いつもは隠れるためか、一度事件を起こした後は消えるが、今回は同じ日に襲撃があった。ドロモスは昼、それをきっかけに兵団が動いた隙に侵入された」

「隙などあろうはずがない」


 男が驚愕の声を上げる。


「あるんだ。地下牢は二十四時間監視しているというのに、彼はその目をかいくぐり、封印の一つを壊してみせた。ご丁寧に自分の魔力の痕跡を残してね。……だが、彼も、追跡者も姿を消した」

「反乱軍が動いたか。【夜明けの子】とは別に行動しているものだと思っていたが……やはり、繋がっているのか」

「それだけじゃない。例の魔女だ。魔女がドロモスを襲撃した日、彼は地下牢に侵入した。偶然だと思うか」

「……【鏡の魔女】か。あれは、【商人連】のものだと聞いている。騎士王との契約を帝国が破棄した後、単独で行動していると聞くが、真なのか」

「我々もそう思っていたのだが……万が一出現した場合、生きて捕獲せよとのことだ。首領は殺せと言うが、魔術師団長の意見は違う」

「兄弟なのに? それで、お前は弟の意見を聞くのか」

「彼は国王の補佐官だからね。スルーダーも、細かいことを考えるのは面倒だから、結局弟の言うことを聞くんだ。バランスが取れているんじゃないかな、それで」


 魔人団総帥を呼び捨てにする男を、キャニスタはふっと口の端上げて見る。


「まぁ、お互い次に会う時までに首が繋がっていれば良いな」


 そうして肩を叩き、アスファルは魔獣に飛び乗ると去って行った。

 それを見送り、キャニスタは部下の魔術師を呼ぶ。


「……荷は、中央まで運んだか」

「はい。旅団長が守っております」

「……それなら安心、と言いたいところだが先日デイドルホーンがやられたところだ。旅団長を強化して差し上げろ」

「しかし、これ以上魔力を注いでは、【戦火】の力にどう影響するか……それに、彼もこれ以上理性を失うのは」

「代わりならいくらでもいるんだ。旅団長も、私もな。壊れたなら我々の誰かから補填されるだけだ。いいから、やれ」


 ギロリと睨まれ、魔術師は慌てて駆けていった。

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