第二章

第11話 黒い鷹の女王

魔族が結界を超えて侵攻した、十数年前。


 サンクトランティッドの立入禁止区域、【空白地帯】はより広がることとなった。


 その一つが、西の魔界サーティス=ヘッドと接するクリスタロス山脈の麓に広がる【足摺あしずりの森】だ。瘴気の濃いこの森は、北の【嘆きの荒野】にまでその手を伸ばした。

 この森に入れば、間違いなく気が狂う。

 そう言われる、幽鬼がさ迷う呪われた土地。そこに、反乱軍は潜んでいた。


 ――『宝物』奪還の任務に当たった戦士たちの、半数以上が死亡。唯一内部の侵入に成功し、生きて帰還したランサー家の娘は意識不明の重傷。『宝物』は行方知れず。


 それが五日ほど前のことだった。



✧ ✧ ✧



 副長が参りました、との侍従の声を受けて彼女は俯いていた顔を上げた。


「通せ」


 部下と共に卓に広げていた地図を睨んでいた女王は、入口でふらふらと立つ男を見る。

 彼の顔色は悪く、側にいた兵士が両脇を抱えて彼が歩くのを助ける。彼は卓の手前まで来ると、その場に膝を着いた。


「陛下。この度の失敗、誠に申し訳ありません……」


 彼は深々と叩頭する。白金の短い髪の後頭部が見える。


「良い。隊長の様子はどうだ?」

「全身の骨折と、内臓の破損と……全力で治癒に当たり、ほぼ傷は治りました。腹の子が生きていたのが奇跡だと、魔術師が……」

「妊娠していたのか! なんということだ……そんな体で魔人の砦に入るなんて」


 女王は驚いた声を出す。周囲にいた者たちも、厳しい表情を浮かべる。


「意識は取り戻しております」

「そうか……母子ともに回復するように女神に祈ろう」


 そこで、沈黙が下りた。男の肩が、震える。


「……副長。何があったか、聞いても?」


 男は頷き、震える手で「それ」を差し出した。

 それは、青い宝石が三つ並んだ、燕のブローチだった。懐かしいそれを見、女王は言葉を失う。


「それを渡した者が、隊長を救い、我々に陛下への伝言をと……陛下?」


 彼は――副長・ラルフは、上目遣いに女王の様子を伺う。

 女王は魅入られたようにブローチを見つめていた。


「良い。話せ」


 女王の背後に立つ、大柄の仮面の男が言う。


「魔人は、かつてタエバス王が禁じた魔術に手を出した。竜人と、魔人をかけ合わせた合成獣を作ろうとしている。今はまだその魔術は完全ではない……だが、他の魔族との合成獣はできている可能性があるとのことで……その異形が警告しておけとのことで、まずはこれが一つ」


 彼は、ちらちらと女王を見る。


「……もう一つは、『彼は生きている』と」


 その言葉に、皆が視線をラルフに集中させる。


「……『だから、邪魔をするな。俺が、オリオン王を殺す』と。そう、伝えろと――【夜明けの子】の、伝言です」


 その言葉に、机を激しく叩く、鈍い音が響く。


「……ルーカス・グラディウス!」


 怒りを滲ませた声で、女王は唸る。


「単独でかなり深くまで侵入したようだな」


 冷静な声が別の方向から響く。


「あいつの消息を聞く時は、いつも人づてか。生きていたか……無茶をしやがる」


 その声は、卓を囲んでいたまた別の男から。苦笑する気配が伝わる。


「あいつに父上を殺させてたまるか! それくらいなら……」


 ぐ、と女王はそこで押し黙る。


「ライラ。無理をするな、落ち着け」


 大柄の男が彼女の手を取り、背後にあった椅子にそっと座らせる。


 女王――ライラ・アトラス=サンクトランティッドは、肘掛けに両手を置いて奥歯を噛みしめる。長い黒髪が、艶やかに胸元に流れた。


 ――ルーカス・グラディウス。


 アストライアの元騎士王・プロクス=ハイキングの弟子。

 彼は騎士王の証たる雷蹄を完全に自分のものとし、単騎でいくつもの魔人団や砦を壊滅させている。

 しかし、彼の動きは誰にも読めない。ふいに現われては消え失せる。まるで亡霊のようだと言われていた。


「その、異形とやらはどんな姿だった?」


 卓を囲んでいた者から質問が出る。


「巨体の……白い髪に、鏡のような顔をした、一見すると女のような姿をした者です。声は低く、男のようでしたが……」


 その言葉に、皆が顔を見合わせる。


「……ドロモスの収容所に出た魔女の特徴と一致するな」

「鏡の魔女か。【商人連】の新たな戦士という噂を聞くが、【戦火】を食らうとは異様だ。【戦火】一つを飲み込んだ竜が大暴れしたことがあるのに、複数の【戦火】を飲み込んで平気だとは。一体、誰の命令で動いているのか」


 皆、今度は地図を見つめる。


「宝物はそいつに奪われたということで間違いないだろう。ランサー家のガーガリオンの槍もだ。新たな商品として利用するつもりか……」

「何にせよ、追わねばならない。『宝物』を我々の砦へ」

「……そうだな。誰が出る?」


 ブローチを手に、ライラは戦士たちを見る。


「陛下。俺たちが」


 声を上げた者があった。それを見、ライラは自分の両隣にいる者に視線をちらりと寄越す。彼らは頷き、ライラは再度二人を見た。

 一人は、薄墨色の短髪に、深い水底のような緑の瞳をした、凜々しい男。自信に満ちあふれ、力強い眼差しで女王を見る。

 その隣に並ぶのは、紺碧の瞳をした男。金色の髪はぼさぼさで、顎にも無精髭が生えていた。彼は勝手に「俺たち」と言った男をちらりと見ると、ふぅとため息ついた。


「いいだろう。ブルーノ・ロードランドにリリアック・クラーバ。魔女を追い、宝物を取り返して我々の砦へ」


 女王は、高らかな声で二人に命じる。


「まずは他の隊の者からも話を聞くがよかろう。副長、二人を案内してやれ」


 御意、と二人は頭を下げ、ラルフに続いて背後にあった扉から出て行く。


「ジークバルト、【商人】の動きをどう見る?」


 ライラは側にいた黒髪に漆黒の瞳をした、秀麗な顔立ちの男を見る。

 彼はサンクトランティッド帝国、アストライアの元白蹄騎士団長、ジークバルト・テネドールだった。今では、女王を中心とする反乱軍の参謀の一人である。


「彼らの望みは、海を渡ること、ただ一つでしょう。ですが、集中して【戦火】を手に入れているとなると、新たな【武器】を作ろうとしているのか……」


 どう思う、とジークバルトは壁際に立っていた魔術師に眼差しを向ける。

 意を受けて、進み出たのはアストライア魔術学院の秀才、ピストレオス・シュナウザー。長い黒髪に菫色の瞳。年を取らぬその姿、彼は静かに女王を見る。


「……私は、呪術的なものを感じます。【戦火】は爆発的な力を持つ。広範囲の土地を囲い、壁として覆い、魔物を通さないほどには。今、わかっているだけでも魔女が手に入れた【戦火】は四つ……それ以上あるかもしれませんが、これほどのものを集めて行なうのは……【結界】造りではなく、【武器】と考えた方が妥当かもしれません。何かを、破壊しようとしている」

「破壊、か。それは危険だな。その矛先はどこに向けられるか……今、それを図っているところなのか。何にせよ、『宝物』が奴らに利用され、【商品】となることだけは避けねば。今、どの国も【夜】の力を望んでいる」


 ライラは椅子にもたれながら、自らの過去、そして父のことを考えていた。

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