聖者のイカロス

草壁ふみこ

鏡の魔女篇

はじめまして

 それは、十五年前。

 人間の造り上げた国がゆっくりと崩壊していくのを、のんびりと見ていた青年がいた。


「奴らはやがてここにも来るね」


 青年は歌うように言った。自らに危機が迫っているというのに、まるで興味が無いという風に。


「君たちが言った通りだった。人間の世界は終わり。彼らが次の新たな世界を作るだろう」


 だが、と彼は振り返る。巨大な夜の翼を背に。鉄のような骨と、なめらかな絹のような皮膜には傷一つない。


「まぁ、それはどうでもいいんだけどね」


 彼の声は美しい。

 だが、誰もがその声を恐れる。彼の炎で、人間の都など軽く吹き飛ぶのを知っているからだ。


「……君たちなら僕のほしいものを手に入れられると?」


 彼が問いかけると、暗がりから漆黒のローブを羽織った者たち――【商人】が現れる。

 どんなものも必ず手に入れる、人外の存在。人間の国から手を引き、今は闇に潜んでいる。


『宵闇の王よ。あなただけでは不可能でしょう。白鷺を取り返すには、九つの炎が必要だ。そうでなければ、箱は開けられない』


「僕一人では無理だと言うのか」


『あなたは近い将来、軍団を奪われる。あなたの軍団こそが、あなたの足を引っ張るのだ。彼らは再び、最強の武器を作ろうとするのだから』


「それは予見していた。ならば、軍団以外の戦士が必要だ」


 青年の脳裏には、親友の姿があった。神出鬼没の彼に連絡を取るのは非常に難しい。また、下手に動いて敵に彼の居場所を知られるのも嫌だった。

 そんな彼の考えを読み取ったかのように、商人たちは目の前に複数の「卵」を用意した。

 大きさもまちまちだが、どれも白い。彼は全てを見渡し、一つの卵に目を留めた。


「それにしよう」


 それは一番小さな卵だった。


『意外ですね。これをあなたが選ぶとは。最も脆弱だと、わかってのことか』


「そうだ。だが、彼女は僕を呼んだ。強い願いを持って。応えないわけにはいかない。彼女は、僕と同じだ」


 そして、青年はその卵を腕に抱いて、魔力を注ぐ。たちまち卵にヒビが入った。



「こんにちは、僕の相棒」




 中から現れた『赤毛の毛むくじゃら』に、青年は微笑んだ。

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