■第六信①


拝啓

親愛なる唯様


 前の手紙は、動揺して、いろいろ書き過ぎてしまった気がします。でも、僕の処遇が変化しないのだから、あなたは関係機関へ何ら報告しておられないと考えていいのですね。それとも、まだ読んでもらえていないのでしょうか。


 本を整理しなくては。暇がないと嘆くより作り出すべきだと、頭を切り換えました。それには耕作に従事する時間を削る必要がありましたが、やむを得ません。凪の傍にいたいのは山々ですが——急に恐怖感が募ってきたのです。土を掘り返して、そこからを発見してしまったら。ボコボコと湯が沸くように無数の蟹が溢れ出したら……。もちろん、理由はそれだけではありません。ここにいる間に、たった一つのことぐらい、きちんとやり遂げたいと思ったからです。僕は一日に何度か図書室のロフトで段ボール箱と格闘し始めました。一回ごとの制限時間を決めて取り組めば、没頭し過ぎて疲れたり、不自然なほど仲間と接触を断つ羽目になったりしなくて済むと考えたのです。

 眠るには早いと言いながら各自寝室へ引き上げる頃、図書室へ向かいました。すると、誰かが螺旋階段を下りて来たので、僕はギョッとして身構えました。卓や矩と冗談交じりに語った「闇の司書」が実体化して姿を現したかと思ったのです。陰鬱な黒い裳裾もすそを引き摺って——。

「来たか似非エセ図書委員」

 荘でした。用箋挟クリップボードを手にしています。僕は急に喉がひりついて、上手く言葉が出ず、

「……あ、あの、か、勝手に触らないでください」

「分類もラベリングも何もできていないクセに、んじゃねぇ」

「だ、だから、それをやろうと思って……」

 彼はじっと僕を見据えました。熱意を測量するかのようでしたが、フンと鼻を鳴らして、

「よし。手伝ってやる——と、言いたいところだが、ちょっと待て。いや、始めてろ」

 彼は思い出した用を足すために作業を中断したのだと言い、すぐ戻ると告げて廊下へ出て行きました。僕はすっかり気が重くなって、大した段数でもない螺旋階段に眩暈を覚えながらロフトに上がりました。

 一見して、彼が捜し物をしているのだと察しがつきました。しかも、闇雲に触って放り出している訳ではなく、取り出した書籍をジャンル毎に積み上げては、註釈を走り書きした紙片を添えているのでした。誰かが加勢に来ると予期していたように。

 僕は仕分けされた本を運んで棚に並べ、スパイラルノートに記録する、助手となりました。見る見る空隙が埋まり、そこにが発生していく様は爽快ですらありました。彼の言うとおり、管理のためにラベリングは必須ですが、図書ラベルというアイテム自体が施設ここにはありませんでした。

「後で発注しておく」

 台車を押して戻ってきた荘は、僕の表情を読み取って短く応じました。本の運搬を効率化しようという配慮か、台車の上には折り畳み式のコンテナが積み重ねてありました。僕が収納を担当している間に、彼はどんどん開梱とカテゴライズを進めていきました。真剣過ぎるその横顔は、まるで何かに取り憑かれているかのようで怖いくらいでした。ふと、彼は図書室のぬし――ある崇高な意思——の傀儡なのかと、埒もない考えに囚われたほどでした。

 僕は手が空いたので、そっと厨房へ向かい、お茶を淹れることにしました。少し考えて、ブレンドハーブティにしようと決めました。カモミールをメインに、少量のオレンジピールやペパーミントを加えて浸出させ、ステンレスのテーブルポットに移して図書室へ戻りました。残念ながら、器はコーヒー用のプラスチック製ホルダーに使い捨ての紙コップをセットするしかありませんでしたが。

 荘はボソッと低い声で呟いてハーブティに口をつけました。bene ベネ・facisファキスと言ったように聞こえました。その瞬間、僕は彼を信用に価する人物と認定しました。例えば「変なモノを入れなかっただろうな」などと、冗談にもせよ、お茶の中に何か混ぜたのではないかという、僕に対する疑念と軽蔑の言葉を少しでも漏らしたら、彼を徹底的に無視し、信頼しないと決めていたのです。

「何の本を?」

「徹つぁんの秘宝さ」

 荘を突き動かしているのは、執心の品を捜索したくても果たせなかった、徹じいの後ろ髪を引かれる想いを解き放ってやろうという気持ちだったようです。彼はポットを傾けてハーブティを注ぎ足しながら、

「元々、徹つぁんはを捜す気だったんだ。愛する内妻の遺品——初版本と彼女の蔵書——が、どういうワケだかこんな所に流れて行ったと聞いて。まあ、逆に徹つぁんをここへ追いやるために手を回したとも考えられるが、な」

 僕は鼻に湯気を当てるように、緑黄色の温かい液体を覗き込みながら、思いました。職員もまた、僕らほど重くはないにせよ、何らかのとがを負ってに処されたはずです。では、徹じいと荘は一体……。

 荘はギロリと僕を横目で睨み、

「俺様は罪人ではない。貴様らには気の毒と言うべきか否か、この施設は最早、自然消滅を待つばかりの死にたいだ。社会情勢が変化して、が死文と化したからな。どこのどいつが管理人を引き受けようが、運営組織も世間も黙認を決め込んでいる。だから、徹つぁんが個人的に俺様に後を託そうと、誰も反対しなかったのさ」

「じゃあ、澪さんは……」

「さてね」

 荘は本当に彼女には一切関心がなさそうでした。

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