■第三信①


拝啓

親愛なる唯様


 驚くべき事態です。傲岸不遜な新管理人が何をしたと思いますか。食事の改善です。極めてまともなメシが登場したのです。恐らく、僕たちが施設アサイラムに来てから諦め、半ば忘れてしまった、普通——あるいはそれ以上——に美味いと言えるだけの代物が。

 料理は調理室で作られ、食堂へ運ばれます。学校給食に似た風景を思い浮かべていただけばよろしいかと。いや、元々、施設が低地にあった頃、そういうスタイルだったというのです。台風に追いやられていんちき教会チャペルへ逃げ込んでから、食事の質は著しく低下したと聞きました。僕がやって来たとき、管理人は徹じいの前任者で、いつも威嚇用にスタンガンをチラつかせるタチの悪いヤツでしたが、こんな不便な場所なのだから当然だと言わんばかりに、コンバット・レーション風の食料をバラして配っていました。前任者——僕たちはと呼ばされていました——が亡くなった後、徹じいが着任し、粗末な状態に呆れ、慌ててしかるべき手配をしましたが、僕たちの健康や精神衛生を慮り、なおかつ、余剰が発生したら業者に売るがよかろうと、耕作を開始したのです。が、食料事情が劇的に好転したとは言えませんでした。糧食レーションに生野菜のサラダとハーブティなんぞが追加された程度とお考えください。ところが、荘は、徹じいにはなかったコネクションを持っているとかで、食材の調達はさほど難しくなくなるだろうと宣言しました。もちろん、農作業を続けるも放擲するも僕らの自由だと付け加えて。

 いわゆる会議机ミーティングテーブルというのを横に並べて配膳台とし、数種類の料理が供されました。一人ずつトレーを持って、食べたいものを適当に容器に盛っていくのです。エプロンを着けた澪が、その場で補助を務めましたが、荘は調理室を片付けると言って姿を消しました。

 何となく、いつものグループに分かれて着席し、黙々と食べ始めました。すると、そこかしこで微かな感嘆の溜め息が漏れたのです。

「……ふぅん。美味いじゃん」

 陸海兄弟は同時に褒め言葉を発しましたが、すぐ口許くちもとを引き締めて凪を見つめました。凪の反応だけ違っていたのです。いえ、そもそも料理を受け取る段から様子がおかしかった。食欲とは別の問題から拒絶の姿勢を取っているらしいのです。澪も気づいて、何も食べないなんてダメだわ云々、半ば強引に凪の皿にポークビーンズなどをよそったのですが、凪は米粉パンをちぎって渋面のまま咀嚼してはオレンジジュースで流し込むばかりでした。嫌いなものが並んでいるとか、食べてみたが不味かったといった話ではないのです。ひたいに皺を浮かべた険しい顔から、僕は料理人に対する不信感というか、不満の色を見て取りました。凪は僕らを一顧だにせず、椅子を揺らして立ち上がり、出て行ってしまいました。陸は食べかけたものを急いで呑み込んで凪を追いかけました。

 僕はからになった食器を下げ、図書室へ移動しました。示し合わせはしなかったけれど、卓とのりの二人と合流する形になりました。彼らも同じことを考えていました。他には誰もいないのに、矩は慎重に声を潜めて、

「管理人、嚴たちを取り込むつもりかな」

「そんな気がする」

 僕がじっと眼を見据えると、二人は顔の横で手を振って否定の意を表しました。彼らはに属しつつ、図書検索について多少僕を頼りにしている都合上——卓の場合は第二信に記したとおり、凪に恩を感じている手前もあって——凪チームに歩み寄っているのですが、反・凪派に傾きはしないかという僕の疑いを払拭しようと、少し慌て気味に、

「か、関係ないよ」

「うん。メシは食うけどね」

 僕や卓たちが考えたのは、荘が魅惑的な食事で嚴らを懐柔し、運営を円滑にしようというはらではないのかということでした。一番気が荒そうな面々にを放って骨抜きにする作戦なのか……と。荘の意図がそこまで——施設をあたかも油を流した海のように静穏にしたいだけ——だったら、まだいいのですが、反・凪派を手懐てなずけ、操って、凪チームと日和見グループを潰して、嚴を頂点とする一つのピラミッドに統合する気でいるならコトだと思ったのです。先程の、荘のメシを拒否しようとする凪の態度も、同じ気持ちに基づいているに違いありません。

 教官が死んで徹じいが現れるまでの空白期間は、かなりスリリングでした。浅ましい話ですが、食い物を巡って揉めたのです。争点は、誰が食料庫の鍵を管理するかでした。凪や陸海兄弟は、自分らが番をすれば不正は起きないと考えました。僕も同感でしたが、異を唱える者がいたのです。嚴たち反・凪派ですが、しかし、ヤツらに任せたら何が起きるかわかったもんじゃなかった。僕らが恐れたのは、鍵が嚴たちの間を回っているうちに食べ物が尽きてしまう可能性より、ヤツらが文字通り餌をチラつかせて誰彼となく丸め込み、僕らを極端な少数派として孤立させる算段に違いないということでした。

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