■第五信②

 澪と接して里心がついた、それとも娑婆気しゃばっけが蘇ったというべきでしょうか。嚴たちは僕と同じくらいか、もしくは遙かに熱心に、日々手紙を綴っては投函しているという話でした。道理で幾分なりとも静かだった訳です。あの荒くれどもが机に齧りついて、相手のじょうに訴えようと必死にペンを走らせる様子を思い浮かべると、滑稽で、冷笑せずにいられませんでしたが。

「でも、身元引受人が決まったって、退所試験に合格しなきゃ」

「もちろん。だからポツポツも始めてるよ」

 哉の吐き出すジョイントの煙が、嫌な空気を一層、すすけさせました。荘が到着するなりポストを探せと言ったのは、僕たちが絶望視していた身内や知人とのコミュニケーションを回復させ、 退所に向けて努力するようケツを叩くためだったのか……と。だとしたら、世の趨勢は最早、この場所を必要としていないのでしょうか。施設アサイラムの存在意義など、とっくに形骸化していて、本当は僕たちをまとめて放り出し、廃止したいけれども、ややこしい規則が撤廃できていないので、手続き上、形式的な退所試験を相も変わらず実施せざるを得ないだけ——とか。だったら、問題はただただ、身元引受人が見つかるか否かにかかっているということですね。

「じゃあ、管理人は俺らに引導を渡すために来たってのか」

「回りくどいけどな」

 海と哉の沈鬱な応答に耳を傾けながら、僕はふと、皆が次々ここを引き払って自分だけ最後に残り、荘と差し向かいヴィザヴィでメシを食う姿を想像して、気持ち悪いような、もしかしたら意外に楽しいかもしれないような、変な感覚に襲われました。

「いつも思うけど、なんでこんなもんが出て来るんかね」

 哉の呟きは、ミイラ胸像に所々、包帯の隙間から顔を出すひこばえを指していました。

「本体に木切れを使ったからだろ」

「それにしても気色悪いな」

 哉は胸像の眼窩の辺りの包帯を摘んで、チラッと中を窺う素振りを見せました。すると、そこから一匹の宵待蟹が這い出したのです。僕らはワッと悲鳴を上げて飛び退きました。蟹は花台に滑り降りたので、僕は手で払い、床に落ちたところを靴で踏みにじりました。凪がいたら、そんな真似はしなかったと思いますが。

 哉は携帯灰皿にジョイントを捻じ込んで、

「どこから入ったんだ?」

「前から気になってた。井戸と繋がってるんじゃないのか、地下で」

 僕は荘と共に宵待蟹の行列を追いかけた話をしました。そのとき、井戸の底が灯台の下へ通じているのではないかと思った——と。僕らは顔を見合わせました。大した問題じゃない、何も心配は要らないと、互いに言い聞かせる表情になっていました。が、蟹どもが盛んに行き来しているらしい様子が、ちょうど「蟻の穴から堤が崩れる」という言葉を思い起こさせ、連中が僕らの秘密をはさみで細かく砕いては少しずつ担いで外へ運び出す気がして、背筋が寒くなったのでした。秘密というのは、この会合であり、哉の諜報活動であり、ここにミイラ状の胸像が存在するこ とです。

「ハッ」

 ミイラの口許くちもとに隙間ができて金歯が覗いていました。海が慌てて包帯の乱れを整えようとしましたが、間に合わず、

、か」

 制御室の入口に荘が立っていました。一番見つかりたくない人物だったかもしれません。彼は物珍しげに室内を見回してから、胸像の上でピタリと視線を止めました。

「モデルは徹つぁんの前任者だな」

 三人とも口を開きませんでしたが、彼はその黙止を肯定と受け取った様子でした。指摘されたとおり、僕らは教官を殺害してデスマスクを採り、それを元に海がミイラ胸像のオブジェを制作したのです。金歯は本人の歯茎から引っこ抜いて洗浄し、アクセントに用いたものです。

「遺体はどうした。そこらに埋めたか、海に投げ込んだのか」

「……」

 キリキリと胃が痛むほどの沈黙が場を支配しました。教官は記録上、事故死扱いになっています。「岬の断崖から転落したらしい」と報告したからです。脱げた靴や衣服の切れ端が血に染まって岩間に残っていた……と。しかし、本当は切り刻んで敷地に埋めたのです。既に宵待蟹の餌として消化され、跡形もないでしょう。

「まあいい。まさか食っちまったワケじゃないだろうから不問に付す」

 彼は自ら発した悪趣味な冗談にクツクツと含み笑いを添えましたが、

「但し、俺様の在任中に流血沙汰は起こすなよ」

 そう付け加えて背を向けました。哉は僕が踏み潰した宵待蟹の残骸を爪先でつつきながら、

あに御前ごぜ、カレーが食いてぇよ。チキンカレーとか」

「作ってほしけりゃ、いい子にしてやがれ」

 荘は立ち尽くす僕らを顧みて言い放ち、ドカドカと足音を響かせて出て行きました。


 夕食はカレーライスでした。但し、哉がリクエストしたチキンではなく、シーフードカレーでした。そういうところに若干、管理人の意地悪さを感じます。もし、具の中に素揚げの宵待蟹が混ざっていたら、三人——僕と海と哉——は、スプーンを握ったまま辺りを憚らず絶叫したかもしれません。実際は何事もなく、荘の態度も特に変わりありませんでしたが。

 ちなみに、その際、凪が語っていたようなツートンカラーの冷たいスープが、背の低い円筒形のグラスで少量ずつ供されました。皆、最初は「なんだこりゃ」と首を傾げましたが、試しに貰っていこうといった調子で受け取り、いざ味を見ると次々に「ほう」と嘆賞の吐息を漏らしました。ですが、凪だけは、澪が半ば強引にトレーに載せたグラスを前に肘を突き、ゴールデンロッドとペールグリーンの層を虚ろに眺めるばかりでした。管理人は、あの立ち話を聞いていたのか、それにしたって、ありがたいというより、こんな場所でほんのちょっぴり勧められたところで気分も出やしないし——などと思っていたのか、あるいは、もっと別な考えに耽っていたのでしょうか……。


                                  詠より

                                   敬具

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る