■第六信④
荘にとっては、凪が彼を赦すかどうかが問題なのだから、こんな言葉は気休めにもならないでしょう。でも、
「連中には礼を言わなきゃならんな。ガードしてくれて。ところで、本当はみんな、あいつをどう思ってるんだ?」
「僕ら——凪チームは、承知で侍ってますよ。だからこその凪派で。っていうか、あの程度の目眩ましに引っかかるなんて鈍感過ぎる。バカだ」
「ハハハ。それを言うなら澪もか」
「ええ。ご自分が紅一点だと信じていらっしゃる」
「部屋割りは?」
「凪のルームメイトは陸または海です。二人部屋に間仕切りを入れて、凪が奥——窓際。陸と海は交替で、一方が僕と相部屋に」
「よく禁欲生活が続くな。徹つぁんが言ってたハーブの効き目か」
もしやと思ったとおり、徹じいは僕たちをおとなしくさせる工夫をしていた……。ですが、それがなかったとしても、陸海兄弟は上手くやって来れたはずです。薄い布張りのパーテーション越しに凪の寝息が聞こえても、朝までグッと堪える、その忍耐力を日々リセットするための交替制なのですし。
「どっちも、凪と二人きりの間は、そこにいるのは親戚の子だって自分に言い聞かせているみたいです。邪念を
「ははぁ」
「彼らは……身内の幼い女の子が、同じ血縁の男に乱暴されたと知って、共謀してそいつを殺したんです。相手は年長だし、あの図体が二人がかりで挟撃したもんだから、斟酌されなかった。でも、後悔してないって言ってますよ」
荘は口の中で「ふぅん」と小さく呟いて、黙り込みましたが、ややあって、
「……だが、な。ボチボチ何かしら不具合が出始める頃かもしれん」
「は?」
「徹つぁんは貴様らが無闇に騒いだり暴れたりするのを防ごうと、鎮静作用のある薬草を食事に混ぜていた。ついでに言うと、食欲のコントロールも。乏しい食料をやりくりするために」
鎮静、禁欲……。僕は荘が発した言葉を反芻しました。それは僕らの苦痛を少しでも和らげてやろうという徹じいの思いやりであり、何より凪に傷を負わせないための配慮だったんですね。
「しかし、効用があれば副作用もある。貴様ら、健忘がひどいだろう」
「ええ。各人各様、
「貴様らの多くは外界への関心を失って、出獄試験を受けようともしなかった。もっとも、悪うござんしたと思っていなけりゃ、受験したところで成果は出ないだろうが。徹つぁんの心付けは、その点で裏目に出たワケだ。俺様は徹つぁんの方策を引き継いじゃいない。単に飲み食いして味わいのある香草を選んでいるに過ぎん」
「じゃあ、不具合っていうのは——多少なりとも抑制されていた暴力性や肉欲が、噴出するかもしれないってことですね。但し、苦悩を伴って」
「そのとおり。罪の意識に苛まれながら身元引受人が決まらなかったら、キツイだろうからな」
だとすると、嚴たちが身元引受人の候補者へ手紙を出し始めたのは、澪の存在が呼び水になったというより、徹じいがチョイスした物忘れ(この言葉は、古くは主に、悲しみや苦痛を忘れることを指したそうです)のハーブを口にしなくなって効果が消え、こんなところでダラダラ過ごしているのが堪らなく辛くなって、元の場所へ帰りたいとの想いが蘇ったためなのでしょう。一時的に欠落していた心の動きを取り戻したんですね。恐らく、罪悪感や望郷の念のみならず、性欲も。あるいは自他いずれにも向かい得る暴虐志向までをも。
「
「どうだっていい。知ったこっちゃない。俺様の目的は凪に試験を受けさせて連れ帰る、それだけだ」
「徹じいが摘んだハーブのお陰で、凪の安全も守られていたわけでしょう。危なくなりますよ。陸海兄弟だって、豹変しないとも限らない」
「凪は個室に移して鍵を掛けさせるし、俺様が尽きっきりでガードしたっていいが、今やあいつの方がよっぽど強いだろう。大立ち回りの件は徹つぁんから聞いたよ。どうやら一番、毒草が効かなかったらしいな」
ふと、脳裏をよぎったのは、荘と凪が二人して僕たちを片っ端から惨殺し、返り血を浴びた頬を手の甲で拭って
激しい喉の渇きを覚えて、テーブルポットを傾けました。ハーブティはすっかり冷めていましたが、グイと呷るにはちょうどいいくらいでした。これが徹じい特選「物忘れのお茶」だったらよかったのに……と思いましたが、残念ながら、逆にどんどん記憶に掛かった靄が晴れていくようでした。例えば、物置に近づくのを無意識に避けていたのは、教官殺害に用いた凶器を隠していたからなのでした。
「貴様らが徹つぁんの前任者を殺した理由は?」
「凪が風邪で声を
荘はフンと鼻を鳴らして、
「筋は通ってるな。で、あの気色悪いオブジェは一体何なんだ?」
「邪神の偶像。嫌なヤツだったけど、一応、死んだら神様かな……って」
殺害した相手を神格化して祀ることで、その力の庇護を受けようという、逆説的な自己暗示です。
「なるほど」
荘は、いかにも話し疲れ、聞き倦んだといった顔でストレッチを行い、あくびを発して螺旋階段を下りました。もう夜明けで、僕もクタクタでした。
詠より
敬具
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