■第二信①


拝啓

親愛なる唯様


 施設アサイラムの一日は、スイングベルの音で始まります。僕らが交替で鳴鐘人ベルリンガーになるのです。発案者は徹じいでした。当番制の役目を課すことで一定の緊張感と張り合いを持たせたかったようです。大きな目覚ましで一斉に起床させようという考えもあったと思います。が、徹じいは無理強いしませんでした。結果、持ち回りに参加しているのは僕や凪や陸海兄弟……他、要するに凪を中心とするグループで、反目する連中は無視を決め込んだまま現在に至っています。当番表なんてものはありません。何となく順番が決まっていて、務めを終えたら翌日の担当とおぼしき者に一声掛けるだけです。

 ベルは手動、つまりスイングロープ式なので、個性というか癖が出ます。今朝は数学大好き人間のたくだと、寝返りを打ちながら思いました。線の細い、いかにも神経質そうな音なのです。徹じいの鎮魂のためには、もう少しふところの深い響きが望ましいところですが、致し方ありません。

 卓はここに来てからずっと、ノートと参考書を広げて皆を無視していたのですが、それが癇に障ったらしい一派が彼を取り囲んで罵声を浴びせるは小突き回すは……という一件があり、止めに入って救い出した陸海兄弟と、後ろに悠然と構えて双子の巨漢を顎で使っていた凪に恩義を感じたものと見え、以来、僕ら寄りのスタンスを取っているのです。ちなみに、彼の口癖は「どうせ短い命だ、時間は限られてるんだ、少しでも世界の謎を解き明かしたいんだ」——です。僕にはよくわかりませんが、ゲーム理論がどうとか言っています。

 僕は徹じいがポストをしまった場所がどこだったか思い出そうとしました。ポストというのはジュラルミン製の直方体の箱です。ハガキや封筒を投函する際、差し入れ口のフラップが動くとカウンターが反応して、何通収納されたか表示されます。郵便物は直方体の中にセットされたケースに溜まっていき、取り出すと数値がゼロに戻る仕組みです。箱の表が扉になっていて、その鍵は執務室に保管されています。管理人が週に一度、投函数をチェックして、ゼロでなければ引き取りを依頼するという約束でしたが、誰も手紙など出そうとしませんでした。返信が望めないからでしょう。僕もずっと、そう考えていました。でも、ようやく、返事がなくとも伝えたいという気持ちになったのです。……ご不快ですか?

「はて。とんと思い出せないなぁ」

「何が」

 すぐに陸が声をかけてきました。

「徹じい、ポストどこにしまったっけ」

「物置だろ」

 手伝ってくれるというので、一緒に地下倉庫へ向かいましたが、

「何で今頃、そんなもん」

「新しい管理人が捜せって言うからさ」

「誰が使うってんだ」

「少なくとも僕が」

「はぁ?」

 酔狂な——とでも言いたげでしたが、協力してくれました。いいヤツです。彼の言うとおり、銀色のポストはガラクタと共に地下倉庫に眠っていました。他のもの——使わなくなった調度品など——に比べて存在感が薄いので、少し手間取りましたが、見つかりました。しかし、不要品なら物置に放置されて当然なのに、何故こんな簡単なことに気づかなかったのでしょう。

 実は、しばらく前から記憶力や注意力が鈍り始めたらしいのです。幸い、まだ、どこもかしこも穴だらけというほどではありませんが。あなたに手紙を書こうと思い立った理由が、おわかりいただけたでしょうか。もしかしたら何もかも忘れてしまう日が訪れるかもしれないという恐怖感に抗うためです。ここで何があったか、僕が何を考えていたかを記録して、外部保存しておきたいという欲求からなのです。

 ……おまえがどうなろうが知ったこっちゃないって。まあ、そう仰らずに。

「ありました」

「廊下に置け」

 新管理人はとにかく横柄です。徹じいは物腰の柔らかい、穏やかな人でしたが、身内といえども大違いです。陸は太い腕を組み、荘の動きを目で追っていました。彼がどれほどの人物か、見定めようとするかのように。僕は言われるまま、執務室の前にポストを置きました。すると、荘は雑巾を持ってきて、表面をきれいに拭いたのです。口も態度も悪いけれど、仕事は丁寧なのかもしれません。陸も同じ印象を持った様子でした。

 凪と海が姿を現しました。凪はポストに目を留めると海の顔を見上げ、次いで僕と陸の表情を探って、最後に荘をめつけました。軽侮の念が籠もった、冷たい瞳で。昨夕突如出現した無礼な新管理人の存在を、受け入れがたいらしいのです。ここへ来たばかりのとき、苦労して諸々の約束事に慣れたら、管理人が徹じいに替わって順応し直さなければならなくなったし、馴染んだと思ったら徹じいが病に倒れて去ってしまい、また新たに僕らだけの生活習慣というかスタイルを確立しつつあったのですから、余計な真似をするなと言いたい気持ちは、よくわかりました。

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