■第六信②

「徹つぁんの罪状は嘱託殺人。内妻カミサンが病気で苦しんで、あんまり辛いから一思いに死なせてくれって頼んだから……」

「そういう事情にしては重い刑罰ですね。こんなところで働かされるなんて」

「彼女の方が年上だったからな。たった一歳でも」

 ご承知のとおり、当社会においては、年長者を殺傷した場合、逆のケースより重い罰を科せられます。尊属殺人なら尚更ですが、僕たちは陪審員の皆様方の多数決によって、ありがたいことに、こうした感化院レベルの牢屋敷で、と過ごさせてもらっている次第です。もっとも、荘の言葉を信じるならば、施設とそれを支える法は既に虫の息だそうですが。

「徹つぁんのカミサンは小説家だった。何を隠そう、俺様も愛読者の一人」

「名前は?」

宇佐美うさみれい

「ああ……」

 ご存じでしょうか。理知的かつシニカルな作風の老女流作家です。そんな経緯いきさつで亡くなっていたとは知りませんでしたが。

「公判中に麗ばあさんの親族が上がり込んで、家にあった本が散逸した。徹つぁんは彼女の蔵書リストを作っていたが、それを元に友人らに捜してもらおうとしたところ、この施設——って、台風でここへ移る前の話だ——低地にあった監獄アサイラムの図書室に、かなりの数が流入したらしいと聞いて、痩せさらばえた胸を期待に膨らませたんだが、赴任してみりゃ、こっちに引っ越した後で、お宝は箱詰めされたきり棚上げ状態。結局、忙しくて宝探しはできなかったと、亡くなる前、病院のベッドで苦笑いしていた。で、俺様の出番と相成った」

 荘は用箋挟の表紙を開いて中を見せました。蔵書リストのコピーのようでした。

「麗ばあさんの本には多分、自著も含めて、あるだけ全部、見返しに蔵書票が貼ってある」

 一覧表には、そのエクスリブリスも複写されていました。顔を右に向けた白ウサギがと二本足で直立し、目と同じガーネットの色をしたチャイナドレスを纏って、扇子を広げています。背後に黄色い満月。

「ウサギは宇佐美の。名前四文字の後ろ二つがになるんで、あでやかなウサギの絵にしてもらったんだと」

 僕は荘と共に開梱に着手し、切りのいいところで、先程までと同様、チェック済みの本を下ろして書棚に並べ、記録を取っていきました。作業を重ねるうち、彼がずっと不機嫌かつ不愉快そうだった理由が、わかってきました。彼の目には、僕らが大切な本に狼藉を働いていると映ったのでしょう。辞書を破いてに使っていたのは事実ですから、言い訳しようがありません。

 荘は僕の気が咎めたのを察してか、

「本を乱暴に扱うやからに碌なヤツはいない」

「はい……」

「書物は魂であり生命だから大事に読め——と、昔々、遠い異国の詩人は言った」

 どこかで聞いたような言葉でしたが、出典を思い出せませんでした。ともあれ、荘は徹じいの希望を叶えたいだけでも宇佐美麗の熱烈なファンというだけでもない、くらい情熱を内に秘めた一種の愛書ビブリオフィル、もしくは愛書ビブリオマニアなのかもしれません。その証拠に、箱から一冊取り出すたびに装丁を褒めたり貶したり、果ては撫でたり、当の本にまつわる些細な付加情報を漏らしたりするのです。無論、ここから発見しただけでは、問題の書籍が手中に収まるはずもありません。どんな策を講じるつもりか、それとも、しかるべき相手と前以て約束を交わしているのか——彼は懲役に服す身ではないから、管理人として働けば些少ではあれ報酬を得られるはずなので、賃金の代わりに貰い受ける気でいるのかもしれません——ともかく、いずれ〈美麗文庫〉を創設する腹積もりなのでしょう。あのウサギの蔵書票を看板にして。

 何度お茶を淹れ直したりトイレに立ったりしたことか。空いた段ボールを畳んで重ね、ビニール紐で括っていると、

「あっ!」

 荘が大きな声を上げました。胡座あぐらを掻いた彼は一冊のはこ入り本を両手で捧げていました。僕がタイトルを確かめようとした瞬間、彼はその本を——まるで久しぶりに対面した恋人でもあるかのように——頬ずりせんばかりの勢いで抱き締めたのです。彼が本体を出して函を床に置いたので、僕はそちらを手に取りました。宇佐美麗短編集『無為徒食ヴェジテーション』。彼が開いた見返しを覗くと、そこには赤いチャイナドレスのウサギの版画が。

「見当がつきましたね」

「ああ。後はゆっくりやるか。さすがに疲れた——」

 荘は腕を枕に、仰向けに寝そべって大きく息を吐きました。もっとも、狭いので、膝を曲げて脚を縮こめねばなりませんが。彼はぼんやり天井を眺めながら、

「残るは凪を連れ出す算段だが……」

 僕はじっと彼を見つめて、次のセリフを待ちました。心のどこかで予期しつつ、同時に必死で打ち消そうとしていた言葉を。

「あいつ、ちっともを受けようとしないからな」

「訊いてもいいですか?」

 荘は首だけ捩って僕に視線を向けました。僕は一旦、深呼吸しました。お知り合いだったんですか——などという、訊ねるまでもない野暮な質問は、グッと呑み込んで、

「試験って、どんな感じです?」

 荘は意外に気軽に、

「希望者がいそうなら大体三ヶ月から半年に一回くらい実施。日取りを決めて出願させる。当日は受験者一人ずつ、個別に用意された問題を読んで、制限時間内に回答用紙に記述して提出」

「設問がバラバラ?」

「そうだ。俺様は本部から送られてきた囚人番号入りの封を預かって配るだけ。試験の内容は学力を測るものじゃないからカンニングのしようもないし、買収を目論んだって詮のないこった」

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