■第四信①


拝啓

親愛なる唯様


 凪や陸海兄弟らと相談したのですが、管理人による美味いメシと我々を統制する意思の有無に関しては、ひとまず様子見と決まりました。食べるか否かは各自その時々の体調と気分で決めればよい……と。ただ、陸は、荘に対して最も強く不快感と警戒心をあらわにした凪に、嫌でも何でも身体からだが持たないから、くれぐれも断食の真似などしないようにと付け加えるのを忘れませんでした。凪は承服しかねるといった顔で頬を擦ったきり、黙っていましたが。また、嚴たちの挙動は今まで以上に注意深く監視するべきだという意見が、誰からともなく発せられました。

「フン」

 凪はつまらなそうに掠れた声を発して納屋を出ました。いえ、声がれているのは今日に限った話でなく。前の前の管理人、通称・教官が施設を仕切っていた間に風邪をこじらせ、声帯を傷めてしまったのです。本人は、子供の頃にも同じ目に遭ったが、医者に診てもらって数日で回復した——と言っています。徹じいは着任後、凪の声に気づいて事情を聞くと、何か薬があったなら、いや、すぐに病院へ連れて行っていればと、大層気の毒がっていました。ええ、ここには医師もいなければ、薬品も碌に揃っていません。状況如何いかんによっては救急車を呼ぶことになるのでしょうけれど、間に合わなかったときは……。

 僕は菜園ポタジェへ向かう凪の後を追いました。軍手を嵌めた右手に鎌。左手は剝き出しで、歩みにつれてナックルダスターが周囲を威嚇するように陽光を反射します。光るものは他にもありました。ピアスです。但し、甚だアンバランスで。右の耳たぶに一個、左には一、二、三……五つ以上。最初は穏当にワンペアだったそうですが、どういう思惑か、一方だけ徐々に数を増やしていったと聞きました。

 凪のうなじを見て、徹じいによる散髪を思い出しました。教官時代は、伸ばしっ放しか丸刈りかの極端な二択を余儀なくされたものですが、徹じいはそれにも肝を潰して、自ら理髪師役を買って出たのです。僕が助手を務めました。他の者については何とも思わなかったけれど、凪のときだけは胸が高鳴ってしょうがなかった。滑らかな首筋、生え際に目を凝らすと……ああ、その皮膚はすっかり日焼けして、なまめかしい青白さは失われてしまいましたが、肌理きめの細かさは少しも変わらず、今も生唾を呑み込まずにいられないほどです。

 凪がピタリと足を止めて僕を顧みました。双眸に侮蔑の色が滲んでいましたが、すぐに「仕方ない。勘弁してやる」とでも言いたげな苦笑いが取って代わり、消え失せました。僅かに歪めた唇からは、妄想を逞しくするのは個人の自由だし、そんな目で見られるのにも、もう慣れたが、不埒な動きに対しては、いつでも腕力で応じる用意がある——といった言葉が、沈黙を守ったまま零れ落ちるかのようでした。そりゃ、僕だってわかっています。短毛種のネコやウサギに似た手触りを楽しんでいると、突然爪を立てられ皮膚を掻き壊され、挙げ句、喉笛を噛み切られて、にされてしまう……と。望むところです。

 ところで、何故なのか。元々敷地に自生していたジギタリスなどを残置したからです。徹じいは一掃しようと言いましたが、僕らが「もったいないから育てて売れば」と提案したのです。すると、徹じいは僕に図書室の段ボール箱を調べろと命じました。表書きがあった箱は僅かに十数個で、家庭向けの医学書や辞書が入っているようでした。僕がその中から植物図鑑を探し出すと、徹じいは、そいつと首っ引きで何種類かを弁別し、効能——もしくは中毒症状——を確認していきました。そののち、掘り起こしたり移動させたりして寄せ植えにし、危険で魅惑的な家庭ジャルダン・菜園ポタジェが形成された次第です。時折、仲買人が訪れて、僕たちが糊口を凌ぐよすがとなっています。

 凪が雑草を刈り始めたので手伝いました。こんなときは大抵、気分もいいようで、口笛で短いメロディを繰り返すのです。タイトルも教わらずに覚えてしまった曲を、僕も模倣して奏でます。

「おっと」

 どこを通って来たのか、群れからはぐれた――二匹の宵待蟹がヨタヨタと縺れながら姿を現したので、僕は手を止めました。彼らに愛着を覚えている凪の前で、うっかり傷つけては大変ですから。凪は連中がミミズのように土を耕してくれると考えているらしいのです。屍肉を貪り消化する情景を、脳裏に描いているのかもしれません。目印もないので、どの辺にどいつを葬ったかさえ、もう定かでありませんが、敷地内の何ヶ所か、紛れもない僕たちの足許あしもとに、死骸が埋まっているのです。

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