タイトルからも、にじみ出ているんです。現実にはヒーローがやってこないって。理不尽な社会で、やるせない思いを抱えながら生きていくしかないんだって。
そんなこと、誰もが分かっているんです。苦痛を味わいたくないことも。
ただ、どうにもならない壁に突き当たったとき、ハッピーエンドの物語は必ずしも心を落ち着けてくれるとは言えません。短時間では処理しきれない切なさとやりきれなさが、読者の背を押すこともあるのです。
100万回切ないと言い続けても、本作の足元にも及ばない。そのような物語を読む時間は、あなたの人生の肥やしになるはずです。
大きな危機が目の前に迫った時、人間の心は。
何か、ウイルスに怯える今の状況とも重なる気がして、背筋が冷えるような気持ちで読みました。
自分が難を逃れれば、それでいいのか。
任務に向き合わねばならない人、その苦痛を受ける運命に遭った人だけが、苦しめばいいのか。
何一つできないまま、不運に遭った人々を「不運だ」と遠くから見ていることしかできない私たち。
自分の中にあるその冷酷さに、自分自身に唾を吐きたくなるような気持ち。
——けれど、社会はいつも、誰かを踏み台にしながら当たり前に回っている。
これでいいのかと思いつつ、やはり何もできない——やりきれない循環がただ頭の中で巡る息苦しさを覚えずにいられません。
自分の周囲だけが守られれば、それでいい。
そうやって誰かの苦しみの上に生きている「該当者以外」の残酷さを叩きつけるようにさらけ出す、深い苦みの残る物語です。
世界を救う英雄になった誰かの話、英雄に憧れた誰かの話、英雄に助けられた誰かの話。そうした輝かしい英雄譚が溢れるなかで、この小説は非常に異質です。
物語は空に割れ目ができ、世界が終焉にむかうところから始まります。
世界を救えるのは選ばれし《適合者》だけ。
学校で実施された適性検査の結果、選ばれたのは中学三年生の少女でした。
それを知った『僕』は友達のいない彼女に喋りかけ、任務までのあいだ、一緒に帰るようになります。
しかしながら、選ばれたものは世界のための《犠牲》となる運命なのです。
この《犠牲》という言葉。普通の英雄譚ならば、戦いに赴かなければならない、と続きます。
ですがこの小説においては、そうではありませんでした。
『適合者』は装置に繋がれ、意識もない植物状態となって、生かされ続けるのです。命を賭けた戦いに巻きこまれるならば、まだいい。そこにはみずからの運命を選択し、最悪の結末を拒絶する権利が残っています。勝てばいいのです。どれだけ無謀な戦いであっても。
ですが『適合者』にはなにもない。
戦いもなければ、冒険もなく、試練もなければ挑戦もない。
それでもなお、『適合者』は英雄なのです。
彼女は確かに世界を、救うのですから。
『僕』が彼女に懐いた感情は、なんだったのか。憐みだったのか。罪悪感だったのか。それとも――――
これを読み終えたあなたならば、どうでしょうか。
世界のために英雄となれと言われたら。
…………
……
あなたは、英雄になりたいですか。
世界の危機からみんなを守るための『適合者』。それはたしかに、ヒーローの定義に該当するのかもしれない。
しかし自らヒーローたらんと願い、そうなりたいと思う人はどれほどだろう。
事実を知る『僕』は、ヒーローに温かい言葉を投げかける。
『適合者』はきっとそれで、いくらか救われただろう。気休めに過ぎなかったとしても、少なくともマイナスではない。
ならば彼も直接的に、あるいは間接的にヒーローだ。
だがその言葉は、本当に温かいのか。
世界を救ってくれるのは誰か。誰もが問いかけ、その登場を熱望する――が。誰が自分をヒーローとして推せるだろうか。
そう、あなたも。
突如として現れた黒い「空の裂け目」。その裂け目が広がって臨界点に達すれば、世界は終わってしまうのだという。そしてその裂け目からは、絶えず有害物質が降り注ぎ、空気中を舞っている。そのため、外出時には防護マスクが必須だった。主人公はその世界の終焉を、まだ先の受験のように現実味がないものとして考えていた。クラスの少女が「適合者」に選ばれる前までは。
主人公だけが知っている、「適合者」の末路。そして、自分だけが安全地帯に立っているという事実。
主人公は少女と親しくなっていくが、それが後ろめたかった。少女はシングルマザーに育てられ、下の兄弟の面倒もみていた。そんな彼女は任務のため、一人で家や学校を去らなければならない。
そしてついに、少女と過ごす最後の時間がやってきた。少女は主人公に、一つの頼みごとをするのだが……。その懇願は、まるで彼女の悲鳴のようだった。選ばれてしまった彼女と、選ばれることのない主人公。彼女のたった一つの願いが、主人公の心に傷を残す。
あの悲鳴のような懇願に、答えられたなら、自分はどうしていただろう。
この作品によって突き付けられているのは、読者自身の倫理観や正義感の真贋なのかもしれない。短編にしてこの深さと重み。圧巻とはまさにこのことだ。
是非、是非、御一読下さい!