ロゼッタ

「それでどうしましょうか」

 言いたいことを言うだけ言ってマイラが食堂を出てゆくと、ぼんやりしていたロゼッタにアミラが近寄って尋ねた。

「……別にどうもしないで良いと思うんだけど」

「自転車はどうしましょう」

「自転車の一台くらい素直に、盗まれました、って言えばいいんじゃないかな、と思うんだけど、ダメかしら」

 あっさりとロゼッタが口にした言葉にアミラは少し考えるような顔をした。

「それは、何もしないっていうことですか」

「どこかに売り飛ばしたとか、いい顔をするために勝手に譲ったとかじゃないなら、ご主人様も別段お怒りになるとも思えないんだけど」

「それは、まぁそうかもですけど、それで大丈夫でしょうか」

 どこか納得しがたいような声でアミラはロゼッタに尋ねた。

「寮生の誰かが怪我したり、ってことのほうがお怒りになると思うわ。私は」

 ロゼッタは少し面倒くさげにアミラを諭すように言った。

「自転車を探そう!」

 ロゼッタとは少し離れた席からソラかユエかが元気な声を上げていた。

 ロゼッタが目をやるとグルコがうろたえ顔でこちらを探しているのと目が合った。

 アミラが弟にいたずらっぽく手を振ると、彼は困ったような顔のまま自分の席の話題に目を戻した。

「ご主人様については良いとして、あちらはどうします?」

 主家のご令嬢というべきソラとユエは元気よく自分たちで自転車を取り戻すことを主張していた。

「危ないことをしなければいいけど、相手と喧嘩になると面倒ね」

 ソラとユエは拳銃を持っている。二人の拳銃の腕についてはロゼッタは心配していない。ロゼッタも持っている同じ型の拳銃はひどく小さくはあるが五十キュビットまでなら街中で売られている拳銃よりも精度も威力も遥かに高い。

 とりあえずこちらが先に撃ってしまうような喧嘩なら負けることはない武器だ。

「盗られたとして犯人が素直に返してくれるものですかね」

 ロゼッタが物騒なことを考えているのを無視してアミラが心配げに言った。

「犯人が軒先に捨てて置いてくれれば取り返すの自体は簡単でしょうけどね」

 ここは荒野ではなく街中でとりあえず殺してから考える的な解決はありえないと、少しロゼッタは考え改めながら返事をした。

「たまたま自転車に乗っているのを見つけたりすると厄介です」

「それは厄介ね。どうしよう」

 ヒトっ子一人いない状況ならともかく、街中であれば故売屋商売もあるだろうし、乗り回している人間が盗人本人であるかはわからない。殺したり怪我したりということだと悪くすればこちらが犯罪者扱いされてしまう。もちろん逆なら双子の父親である彼女の主人が悪鬼さながらに怒り狂うのは間違いない。

「どうしましょう」

「犯人探しではなく自転車探しにしないと危ないわね」

 アミラにそういうとロゼッタは立ち上がってソラとユエを囲んで盛り上がっている席に向かった。

「あ、ロゼッタ、聞いて。私たちまず近所から順番に聞き込みしてみようと思うの。台帳があるからまずこの人たちに自転車でいきそうな場所を聞いてみて探そうと思うのだけど」

 自転車の貸し出し台帳を眺めながら、名前の書き出しをしているソラを見ていたユエがロゼッタに顔を向きあげて言った。

「ソラ、ユエ。そういう自律自尊のお気持ちはお父様も大変喜ばれると思います。私たち州民の忠良の示し方は様々ありますが、自警の志は大変気高いと思います」

 ソラも顔を上げて目を輝かせてロゼッタに向き直った。

「ロゼッタもそう思う?」

 ロゼッタの言い回しはともかく賛同を得られたらしいことに二人はほっとしたような顔でほほ笑んだ。

「もちろんです。ところで、ソラ。仮に犯人を見つけ出したとしてどうするおつもりですか」

 束の間ロゼッタの問いかけに二人の顔は困惑する。

 ソラとユエに乗せられてあたりの地図を描いて尋ねる先を割り振っていた寮生たちも手を止めた。

「捕まえて罰を与える?」

「どのような」

「どのような。⋯⋯どうするのがいいのかな。ユエ」

 ソラはあまり考えていなかったことを素直に不安な表情で示した。

「自転車を取り返して……。盗って御免なさいって謝らさせる?」

 ユエは子供らしい想像力を振り絞り口にした。

「盗まれた自転車を持っている人を犯人だとするんですか」

「そうでしょ。盗んだ人が自転車を持っているんだから」

 ユエがロゼッタの言葉を疑うような顔で尋ねた。

「もう誰かにあげたのかもしれません。もしかして自転車が盗まれたものであることを知らないまま、お金を出して買った人が持っているかも」

「でも、自転車は私たちのモノだよ!」

 理不尽な言いがかりに怒るようにユエが鋭い声で言った。

「そうですね。でも今私たちの自転車に乗っている誰かが盗んだ人ではないかもしれません。それに私たちは盗まれたと思っているけど、自分の自転車と間違えて乗っているのかもしれないし、私がうっかり口約束で貸したのを忘れているのかもしれません」

「⋯⋯ロゼッタが自転車を貸す約束をしたの?」

 ソラが少し不安げな顔で尋ねた。

「私はそんな約束をしていないと思いますが、忘れているかもしれません。あるいは相手は私が貸したと思っているのかも。私ではなくマイラがご近所さんとの雑談でそんなことを言ったかも」

 あからさまな言いがかり、と口にしたロゼッタがわかって言っていることにソラとユエは唇を尖らせる。

「⋯⋯でもそんなのわかるわけないじゃない。マイラは自転車を貸す約束してないって言うと思うよ」

 ユエが少し落ち着いたように言った。

「そうですね。でも口約束では証拠はありません」

「でも、物は証拠になるでしょ」

「そうですね。春風荘の刻印の入った自転車は私たちの所有物です。そこは間違いありません」

「じゃぁ」

「ですから、自転車は盗り返してしまいましょう。盗んだ犯人がだれかかは気にしないことにして」

 なんだかロゼッタは自分がセントーラが言い出しそうなことを口にしていると感じていた。

「それって、私たちの自転車を盗むってこと?」

「盗むんじゃありません。どこかの誰かが置き去りにした春風荘の自転車を引き取るだけです。こっそりと」

 そう上手くゆくかどうかは知らないが、なんとなく思い付きが楽しくなってきてロゼッタが微笑んで口にした言葉にソラとユエは目を丸くした。

「でもそれってどうすればいいの」

「ソラとユエが今やっている通りでおよそよろしいと思います。ただ、誰かが乗っているのを見つけてもその場で騒ぎ立てないで、どこかに乗り捨てるまで待って乗って帰ってくればいいだけです」

「つまりどういうこと?ごめんなさいって相手に言わせなければいいってこと?」

 ソラが言葉を変えてロゼッタに尋ねた。

「だいたいそういうことですね。自転車に荷物が乗ってたら、それはその場に置き去りにして自転車だけ取ってくることです。私たちが取り返す必要があるのは自転車だけで、ほかのものが欲しいわけではありませんから。犯人の改心とか謝罪の言葉とかも必要ありません。そういうのは司法とか巡検とかに任せましょう。自らの生活と職分をわきまえることも州民の忠良ですよ」

 ロゼッタの言葉は彼女がかつて矯正施設で幾度か言われた言葉だった。彼女は歳幼くして生きる上の成行きから無法者の一味に合流した流民の子として扱われた。大方のところでそういった決めつけ自体は誤りではなかったので、ロゼッタには自身の尊厳についての不満はあったが、基礎教育の場という意味で無駄というばかりでもなかった。

「⋯⋯それでいいのかな。また盗られたりしないかな」

 ユエが少し納得いかないように尋ねた。

「そこは今後の私たちの管理の方法の問題です。ご主人様に相談をするのがいいと思います。今回は春風荘で起きたわけですが、ことによると学志館や街角のどこかで盗まれていたかもしれません。自転車それぞれに鍵をかけることになると思います。自転車を貸すならその人たちにも鍵をかけることを徹底してもらわないとなりません」

「自転車を盗まれたことを父様に言わないとダメかな」

 少し心配そうにソラが口にした。

「まだ盗まれたとは限りません。なので、まずは失くした自転車を見つけてしまうのが良いと思います」

 ロゼッタが言った言葉に食堂の寮生がそれぞれに賛意を示した。

 そのままなし崩しにロゼッタが台帳を基にだれがどこを探すべきかという割り振りを先導し計画を立て始めた。

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