グレン・セレール

 マジンの中でセレール商会は、ストーン商会と並ぶ面倒の少ない取引相手だった。

 もっと規模が大きかったり、単に値段が安い食料を扱う専門商会はそれぞれデカートに幾つもあるのだが、値段交渉や紛い物が少なくてすみ概ね品質が揃っているという点が重宝していた。


 食べ物というものは命に直結しているだけあって扱いは多く、選べば果てしなくあるわけだが、探したり出会ったりすることの難しい性質もある。

 頼んで値段相応でハズレが少ないという条件は辺境の食糧事情においては値段そのもの味そのものより重要で確実に届く信用という点でセレール商会は利用していた。

 もちろん過日の製氷庫建設事業での信頼感というものが互いの信用を支えていることは否定できない重要な要素だった。


 そういうわけでマジンがセレール商会の嫡男であるグレンの来訪の申し出も受けたわけだが、大商家であるセレール商会の嫡男が来訪したということであれば、それなりの意図なり商談なりがあるに違いなかった。


 火を使っている自動機械のかかりかけの仕事を徒弟頭のウェッソンに任せても良いように取りまとめると、夕食の時間になっていた。

 娘たちはそれぞれにユーリと打ち解けたようだった。


 夕食の一品のなかにはセレール家の執事であるワングが作ったものもあった。夕食の支度にユーリも参加していたという。

 野菜の空鍋蒸しのたぐいは野菜の固いところを細かく葉っぱは大きく切るのがコツの一つであるわけだが、いつもよりもメリハリが聞いている食感に仕上がっていた。


 ローゼンヘン館は女中といえばセントーラというどこかの貴婦人かと見まごうような女性とロゼッタというユーリと年の離れていない少女の二人だけだったから、マリーが参加することは館の女中たちは歓迎したし、客の好みの指南という意味でワングが一皿腕を振るうというのはむしろ望まれてすらいた。

 そういう中で、ローゼンヘン館の娘たちに混ざってユーリも食事の準備を手伝っていた。


 食事の席でグレンが云うにはユーリは家ではそんなことはしたことがなかったということだが、ユーリ自身は家では女中たちが多く家事の手伝いはやらせてもらえないと言っていたし、大店の娘としてはさもあろうという話でもある。


 ヴィンゼの町の野菜では苦かったりエグかったりするかも知れないが、セレール商会の扱う新鮮な野菜であれば、却って甘みと歯ごたえが増しており、上等のハムやチーズと併せればこれは全く新しい料理といえる風であった。

 館のあたりだと夏の鶏はからりと締まった肉になっていることが多く、冬の間にとった干し肉の最後の塊がまとめて入っていたりもする。


 グレンも自分の娘がまともに食べられる、それどころか簡素に食べ物の素性を活かした料理ができることに驚いていた。温度の調整の簡単な焼き窯があればこそではあるが、ユーリは父に対し面目を保ってみせた。


 娘たちは風呂から食事の準備の間、ユーリの通う学志館の話で盛り上がっていたという。

 自然にユーリが口にした、学校に通わないのか、という軽い言葉は父グレンの叱責によって遮られることになった。

 グレンは言葉を荒げることはなかったが、ユーリの名を三回呼んだところで気がついたユーリが萎れるように口を噤んだ。


「明日は少し辺りを馬で歩いてみましょうか。ユーリさんは乗馬は得意ですか」

「いえ。あまり」

 萎れたままユーリが返事をする。


「それはいけない。この辺りですと馬に乗れないのは歩けないのも同じです。こちらにおいでの間に馬に乗れるようになっていただきましょう」

 笑ってマジンが言う。


「ご指導よろしくお願いします」

 そう言ってユーリが笑った。


 食後にはアイスクリンが出てきた。胡椒と薄荷とアーモンド油のアイスクリンと桃を裏ごししたものを混ぜたものは普段のハチミツではなく、ストーン商会の上等の白砂糖で甘みをつけられていた。癖や匂いのない甘さは桃の香りを邪魔することなく引き立てていた。


「これは、素敵だ。天階亭でも出てきたことのない味だ」

 そう言ってグレンは喜んで見せてくれた。


 食事の片付けにもユーリが参加することになって、娘達が賑やかに食堂を片付け始めた。


 男たちは半ば追い出されるように散っていった。

 応接間に移ってマジンはグレンの来訪の目的を尋ねることにした。


「そろそろ、今回のお運びの目的を伺いたいと思うのですが」

「たくさんありまして、どれということはないのですが、セレール商会としてこれまで縁の薄かったヴィンゼの町をご紹介いただくというのが、一番外聞の良い要件です。他には私どもの支店を建てるにあたって印象的だった機関船をお譲り頂け無いかということと併せて新しい機関車を可能なら複数台お譲りいただけないかということ。もちろんなにかゲリエ様の方で商いの手を探しているような商品にしたい製品があればそれもご相談をしようと思います。あとは、娘が無礼なまでに口にしておりましたが、お嬢様がたの就学の件です」

 グレンは柔らかな表情のままサラリと口にした。


「ヴィンゼの町の散策の件は承りました。大したものがある町ではないので二日三日回ればお目にかけられるかと思います。船の件は次の舟が完成してからということで良ければいま使っている舟をお譲りすることは可能です。新しい物がということであれば要望を伺ってから改めて相談しましょう。機関車の件はわかりました。今日のあの小さいもので三百万タレルです。即金が可能であれば、二両なら持ち帰っていただいても構いません。他の商材の件は少し考えさせてください。娘の就学の件は、考えたこともありませんでしたが、詳しくお話いただければと思います」

 マジンの簡素な中に全ての答を押し込んだ形での返答にグレンは微笑んだ。


「機関車の件は別の物があるということですね」

「こちらも別の物も案もありますが、ある程度はご希望にも添えると思います。尤も使ってみていただいてというのがよろしいかと。いまあるものの説明は現物を前にして改めておこなったほうが良いでしょう」

 グレンはうなずいた。


「舟はおいくらになりますか」

「小さいほうが千五百万。大きい方が三千万と考えていますが、小さい方も来年の春までは手放すつもりがありませんし、大きい方の同等品を作るとして来年内に作れるかは怪しいところです」


 セレール氏は少し考えるようにして口を開いた。

「何か予定をお持ちなのですね」

「まぁ、少々」


「お忙しいことは結構なことだと思います。そういうことであれば、船の件は前金を納めてでも手に入れたいと考えているとご理解いただければ結構です。金額や条件は滞在のうちに改めて相談したいと思います」

 グレンがそう言うとマジンは頷いて茶を薦めた。


「それで、私の娘の就学の件についてというのは、先程のはお嬢様の思いつきだったのではないのですか」

 マジンの問いにグレンは少し苦笑した。


「娘のは恐らく単なる思いつきでしょう。というのは、学志館は市民権としての学問を標榜しておりまして、亜人の受け入れをおこなっていません。全くいまどき、とは思いますが、今のところそういうことになっています。上のお嬢様がたがよく出来た女性だということは間違いないのですが、今年来年に学志館の姿勢が変わるとは思えません。亜人が学問を修めたいということであれば、近年、亜人の受け入れを始めた軍学校に入るのが近道ということになります」

「先程のはそういうことでしたか。ご心配ありがとうございます」

 マジンは察したように礼を言った。


「これからお話することをお聞かせすると、お礼をいただくようなことではないと思います。結局は、政治なのです」

「と、おっしゃいますと」


「私が学外理事のひとりを務めさせていただいている学志館は理性の要求と歴史の理解こそが不思議と不明を照らすとしています。が、近年、実用的な技術や成果を世に出せていません。なんと言いますか、怠慢とか無能というのとは違って、記号学や数学的なものは相応に成果が上がっているようなのですが、この数百年私の知る限り、尤も大きな成果は大聖堂のオルガンの音がどこに立っても同じように聞こえるということくらいのはずです。つまりですな。学志館が宗教施設ではない、ということに疑問を呈する声がデカートで起こり始めているということなのです」

 グレンの言葉通りなら、それはそれで大したものだとマジンは思った。


「私の理解では学問所は学問を修めるところで、研究成果を求めるところとは違うはずですが。先ほどのお話と私の娘の就学となんの関係があるのでしょう」

 グレンは悲しそうな顔をした。


「実はですな、学志館は元来研究施設なのです。ですが、市民の学習のために庭を開いていたところ、軒を貸して母屋を取られる有様で、正しく研究施設を運用する人員や予算がなくなってしまったということなのです。そういう訳でして学志館は将来有望な研究者の卵を求めているのです。

 ですが、ここからが政治なのですが、予算を獲得するためには成果なり見積りなりがなくてはいけない。現状維持を打破出来るだけの可能性と話題が必要で、本来ならゲリエ氏を教授なり導師なりという立場でお招きしたいという声もあったのですが、すでに自前で工房を構え必要な実績に行き詰まりの見えない人物になにを持って報いるのか、と言って私が一旦差し止めました。しかし、一方で何らかの可能性を準備する必要があり、来年学志館の受け入れ年齢である七歳になるゲリエ家の次代を担うであろうお嬢様がたを預けてはいただけまいか、とそういう訳です」

 グレンが大枠を説明したことで来訪の意図がマジンにもわかってきた。


 おそらくは商談はついでで、学志館の理事としての訪問だったのだろう。

「つまり、娘が学志館に在籍すると、将来の学志館の成果への期待が高まり、予算がつく、ということですか。確か、学志館は初等教育を十年とその後の高等教育ということだったはずですが、その期間で組織に梃子入れをしようと云うような話なのでしょうか」

 マジンがグレンの話を確認するようにまとめたのにグレンは頷いた。


「だいたいそのようなところです。あとは浅ましい話ではありますが、寄付をお願いできればとおもいます。学志館としては研究者の希望は叶えたいと願っておりますので予算に余裕があれば努力する所存です」

 グレンが慇懃に言った。


「寄付というのはどの程度の額ですか」

「どれほど些少でも必要です。研究者によっては日々の蝋燭代にも事欠く者もいますので。或いは奨学金という方法もありますが、こちらは研究者個人への寄付ですので多少面倒かもしれません」

 グレンの言葉にマジンは興味を惹かれた。


「ときに込み入った話を伺うことになるかもしれませんが、グレンさんは或いはセレール家では奨学金を出していらっしゃいますか」

「だしています」

「具体的にいかほど」

「二百人。ひとり月に百タレル。ほかに家で年次百万タレルほど我が家は元老を預かっておりますからな。これくらいは当然です。しかし、元老六十席が同じく働いたとして七千五百万タレルほど。だがしかしまだまだというのが実情で実際には市井の方々の篤志に支えられているというのが実態です」

 グレンはあっさりと答えた。


「例えば娘を通わせるとして学費はおいくらですか」

「年に千タレルですね。これは高等課程に移っても変わりませんし、研究過程に移ってもかわりません。研究課程に移ると、年に一万タレルの給金と他に学生への講義などでいくらかの手当がでますが、そこから天引きされることになります。学志館では施設使用料ということになっています」


「学生の寮などはどうなっているのですか」

「研究施設ですので、研究者用の寮はありますが、学生寮はありません。とはいえ下宿は周囲に多いですよ」


「いまどれくらい学生と研究者はいるのですか」

「学生が二千五百と研究者が三千在籍していることになっていますが、研究者の多くは様々に兼業をしていて、専業の研究者と教授は八百名ほどのはずです」

「専門に研究をしていない研究者が二千名以上もいるということなのですか。彼らの給金はどうなっているのですか」

 マジンは流石に驚いた。


「毎年一回昨年の成果と本年の課題を発表する学会をまさにこの時期、学生の夏休みの間にほぼ二ヶ月を費やして開いているのですが、なかなかに大変なことになっています。毎日百件あまりの論文と要旨を研究者たちが発表するのですが、そこで発表できなかったり、聴講研究者の棄却要請が多いと、給金が停止します。そういう研究者が籍を失うことはないのですが、基本給が停止するので別の職を必要として兼業になり、ということが起こります。また、学生の講義が忙しすぎて研究が疎かになり、基本給が出ずに講義手当だけという本末転倒な研究者もかなりいます」

 あっさりと停止が決定されてしまう給料では基本給とはいえず、研究発表手当というべきではないかとマジンには思えた。


「数学的な課題の中には一年では成果を上げるどころか検証も査読さえも困難なものがあるでしょうに」

「そういうものは遡って給付されることが多いですね。記憶の範囲で数学定理の証明では五十五年分が一度に支払われたこともあります。またその元になった数学定理を紹介した論文は証明が不十分として棄却されていたのですが追叙され百三十八年分が遺族に支払われました」

 話だけでは実態は分からないが、なかなかに大変そうであることだけはマジンにも伝わった。


「すると例えば、千タレルが支払えない研究者もいるということなのでしょうか」

「大抵は奨学金や篤志家からの支援を受けているものですが、稀にいらっしゃいますね。そういう言葉にするのが困るような方々も。ただ、身の程、という言葉もあるので、そういう方々は籍を離れていただいております」

 ふと疑問をマジンは口にしてみることにした。


「例えば、私のようなものが研究者の籍をいただくにはどうすればよいのですか。どこか学籍を得て進学するのでしょうか」

「え、ああ、もちろんそれで指導教官の推薦を得るのも構いませんが、一般的な形としては研究者か理事の推薦と理事会の承認と施設使用料の納付で研究者としての籍が与えられます。未発表者が多いにもかかわらず発表数が多いのは外部からの入籍希望者が多いからです」

「すると、例えば本日ただいま籍をいただくことを希望しても研究者としては来年からの採用ですか」

「いえ。理事会は毎月開かれていますし、一年目の基本給は支度金として論文なしに支払われます。いま外部の方が発表をおこなっているのは研究者か理事の推薦を得て理事会に進むためです。いま仮にゲリエ様が教授として研究者の籍をお望みであれば、月末の理事会にかけますので、再来月からお願いすることになります」

 どうやら、思わぬ方向に流れたことにグレンに困惑の笑顔が浮かぶ。


「それでは、理事会の席を買うことは可能ですか」

「それは私の一存ではなんとも。ただ、大きな寄付額があればというところだと思います」

「数百万タレルというところですか」

「きちんとした見積もりがあるわけではありませんが、恐らく積算で数千万タレルというところかと。理事会の席をお望みですか」

 少し心配そうにグレンが尋ねた。


「デカートの学志館の研究者の苦境を伺って少し興味が出てきました。後進の育成という重大ごとは責任に耐えかねると思いますが、ふたつきばかりとはいえ学際的な場が設けられているのは魅力的ですし、その運営というものも興味深いものです。娘達の入学は来年秋ということですか」

 話を切り替えたことにグレンはホッとした様子であった。


「いえ。年明け冬の間に試験があり、合格すれば春分からです」

「雪を縫ってですか」

「雪で学生が動けない教官が暇な時でないと対応できませんので」

「なるほど」

「試験期間前後だけは教室を開放して臨時の宿坊を開いていますので、雪で大きな混乱を起こしたことは記憶の限りありませんね。尤も幼い子供を狙った詐欺が多い時期なのは心を痛めているところなのですが。遠方で英才神童と呼ばれた子供が志を胸にひとりデカートを訪れカネを奪われ、受験もできず故郷に帰れもせず貧民窟に身を埋めるというのは、気の毒なものです」

 酷く実感のこもったようにグレンが言った。


 この停滞したような世界にも少なくとも三千人もの学者研究者がいるという。その事実にマジンは少なからず興味を持った。

 彼らが、魔法や魔族についてどのように記述しているかを知ることは彷徨い流れついた理由でもあったから全く根源的な興味であり、様々に価値があるであろうデカートの学志館がじつはマジンの実績と名声を求めているという話は渡りに船であった。


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