ローゼンヘン館船着場 共和国協定千四百三十五年芒種



 新造船の建造に館から船小屋までをローラーと資材を積んだ荷車を引っ張りながら日参するのが、夏のマジンの日課になっていた。

 一日一グレノルづつ砕石を撒いても道を完成させるためには七ヶ月あまりかかる。

 いま、実績平均で十日で四グレノルの調子なので、サクリと二年かかる計算になる。

 ヴィンゼの人々が畑に精を出していることで人足を使えないというのも理由だが、そもそもに資材の調達自体が難しい量でもあった。


 ローゼンヘン館は辺境というのも馬鹿馬鹿しいほどデカートから離れた僻地にある。

 冬へ向けた巻き返しを図るために、プリマベラは作られていた。舫柱が艫にも立っており、甲板はグレカーレよりも荷を積みやすいように舷側を広く取り上構が高く後ろによっている。辛うじてカノピック大橋をくぐれるが、設計上計算上という但し書きが着く。

 計算上の余裕は半キュビットほどなので積み荷のバランスやそのときどきの水かさを間違え吃水の調整を怠ったり、瀬の入りを間違えて流れに煽られるとアタマを支えさせかねない大きさだった。


 そのプリマベラは全く順調に完成へ近づいていた。

 グレカーレに比して全長でほぼ倍、幅でもほぼ三割増しているプリマベラは機関は主要部を踏襲して大差ないが、余裕のある発電機のおかげで冷凍冷蔵庫や冷暖房を備え、無線電話も稼働できるようになっていた。五十キュビットというのは川船としてはかなりの大きさで細い運河の入り組んだところでは多少の問題もあったけれど、経済的に荷物を運ぶにはこの大きさが必要だった。

 

 ため息混じりに館に引き上げた翌日、日課で道を均し、プリマベラの中身を整えていると、グレカーレが帰ってきた。

 客が乗っていることを示す信号旗が掲げられていた。

 行足が止まりきらないうちにミリズが舟から飛び降り曳船に飛び込み岸に綱を投げ絡げる。すっかり一端の船頭になっていた。張り出した船着場を積み荷で重くなった曳船がミシリと押して軋ませる。


 綱が張り切るのに合わせてミソニアンが機関を止めたまま舵を戻す。

 ミソニアンが舟から綱を投げるのを受けてグレカーレも二本の綱で絡げられた。

 船は船溜まりと本流の流れの乱れで曳船を振り出すように桟橋にくくられた樽に打ち付け響かせたが、曳船が八グレノルばかりの荷をつんでいることを思えば、まぁ上等、という操船だった。

 音の割に衝撃そのものは小さかったことは、船上の荷が滑らなかったことでわかる。


「只今戻りました」

「旦那様。戻りました。お客様が乗っています。セレール商会の旦那様とお嬢様とお付の方です」

 ミリズとミソニアンが余所行きの表情で挨拶をした。


「ごくろうさん。お客様はボクが応対するから、ふたりは自分の仕事をしてくれ」

 そう言ってグレカーレに乗り込むとグレンが船室から顔を出すところだった。


「ようこそ。我が家へ。船旅はご不便だったかと思いますが」

「娘は多少苦痛だったようですが、私は大変に寛いだ旅でした。良い舟ですね。船旅の間、温かいお茶が好きに飲めるとは思わなかった」

「何かウチの者が不調法でもありましたか」

 グレンの気がかりな言葉にマジンの眉が寄る。


「いや、なに。この舟が狭いと我儘を申しまして」

「そうじゃありません。お父様。そうじゃないと何度も申しているじゃありませんか」

 グレンの下の娘であるユーリが父の言い様に口を尖らせて抗議した。


「ご不浄の始末をつけられる舟なぞそうはないよ」

「お父様。人前でお尻をむき出しにするなんて、はしたないと申しているのです。まして汚穢の匂いをかがれるなんて」

 なにを言っているかは想像がついた。


「おまるを幾つかの他に大鋸屑を積んでおいたはずですが、足りませんでしたか」

「なに、イヤ、ウチの娘が言っているのは甲板には船員がいて船室には我々がいてどこで下の用を足せばいいんだってことですよ。いや、しかし、おまるをまるごと燃せるっていうのは実に良いですね。こう、自分の中から出てくるものだが、アレの始末はいつも困る。雨の日に船縁から尻を水面に突き出すのは足元が滑らないか、水鳥や魚が尻の穴に突き刺さらないか、いつもヒヤヒヤする」

 グレカーレにはリザの提案で子供たちが足を滑らさないように木の桶に大鋸屑と籾殻を入れたおまるを幾つか用意してあって、それのことを言っている。どうやらお嬢さんの排泄物を炉の中にくべて始末したらしい。


「お父様、いくら旅の空でも下品すぎます」

「だが、旅路にいるときに用をたすのに、いちいち商隊から離れるのは荒野では死にたがっているようなものだよ。旅の空では男だ女だと色恋沙汰は獣を呼ぶ。乙女にもなりきっていないような小娘未満の少女を性的な目で見るような男性はこの場にはいないさ」

 いつまでも尾籠な話で揉めていてもしようがない。


「まずは旅の汗を流していただければよろしいかと思います。――お荷物はこちらの網をかけてあるものですか」

 そう言ってワングに樽やら木箱やらを指し示して尋ねてみる。


「そうです」

 とワングが言うのを聞けばさっさとマジンは荷物を機関車に積み込んでしまう。礼儀で寸劇の開幕に付き合うとしても最後まで観ている必要は感じない。

 十ばかりあった木箱と樽を機関車に積み込んで、残りの行嚢や行李を積み込んでしまった。指がかかって落ち着くなら重さはどうということはなかった。

 幾度か往復すれば舟と機関車までの足場も覚えてしまうから多少の時間視界が失われても揺れても問題ならない。結局五回ばかりの往復で運びきってしまった。


 最初は船の渡し板が気になってストン袋を大胆に重ねることが難しかったが、最近は平均が取れるなら、視界は気にせず動けるようになっていた。あらかたのところは来客一行が行李の中身を整えなおしている間におわり、曲芸じみた運び方をしているところは殆ど見られなかったはずだが、その手際の良さには不思議と驚きを感じたようだった。


 セレール家一行は使用人であるはずのふたりが作業を手伝わず、もっぱら曳船の作業にたずさわっていることに疑問と納得をそれぞれに感じたようであったが、他家の仕儀であれば荒野の流儀の一言で終いであった。

 それに仕事の大きさで言えば、断然曳船の荷物のほうが大きい。


 普段の旅であれば、駅馬車の停車場の辺りに屯している手隙の人足に駄賃をくれて荷積みや荷下しをするわけだが、商いであればそういった贅沢は絞れれば絞れるだけ利益になるわけで、世間の相場を知る以上に使う意味は無い。

 それでも準備が必要なのは荒野を旅する用心のための様々が嵩張るためであった。


「今回のお泊りはどの程度ゆっくりされてゆきますか」

「本当であればひとつきも寄せていただきたいところなのですが、帰りも船便を使わせていただけるなら三週間ほどでお願いできればと思っております。……ところで、新しい舟が二艘あるようですが、あの小さい細い方は十六人漕ぎですか」

 グレンがブラフゲイルに目を留めていった。


「実はひとりこぎの端艇なのです。まぁ本当にやってみただけのオモチャですが」

「ほう。ひとりで、十六の櫂を漕ぐのですか。おもしろい」

 グレンは興味を惹かれたようであった。


「三週間もあるなら少し流れを遡って狩りに行くのも良いかもしれません」

「大きい方は新造船ですね。蒸気圧機関ですか。十グレノル積みくらいですか」

 プリマベラを見てグレンが言った。


「そうです。曳船を使うことになると扱うのも苦労が倍ではすみませんから。欲張れば百グレノルでも同じことなのですが、身の程というところで背伸びをしてみました」

「曳船というものが船頭の手習い以外で、実用に供されているのをはじめて見ましたよ。機関船というものは大したものですな」

 グレンはマジンの大言に笑って応えた。


 グレンは途中まで砕石が敷かれなめらかに固められた道に感心をしていた。よく手入れされた道は目立つ轍やくぼみがなく、機関車はほとんど全速力に近い速度で飛ばしていたがよほど鍛えられた馬よりも静かに森のなかの道を滑るように抜けていた。

 その道を滑らかに走る機関車は、様々な旅の衝撃に打ちのめされ口を開くのを億劫にしていた少女が立ち直るよりも早く、森を抜け砦の石壁のような工房の脇に到着した。


 白く大きな煉瓦の壁の向こう側は、素人目には石塊の山としか見えない資材置き場があり、右手には高い石組みの胸壁を持つ塔があり、正面には石組みの城塞のような大きな館があった。

 森の小路から見るローゼンヘン館は城も同然だった。

 邸内に入ったことを知らせるように途端に道が悪くなりガタガタと機関車が揺れ始めた。


 深い大仰な椅子のおかげで放り出される心配はなかったけれど、ユーリはなにか魔法が解けたかのように目的地についたことを実感した。

 デカートからソイルまでの田園とも支流に入ってからの荒野を背にした風景とも、船を降りてからの滑らかに香る森の風景とも全く違って、見渡す牧場を繰り抜いた夢の様な城があった。


「どれくらい、お住いでいらっしゃいますの」

 ユーリは全く無邪気な少女らしい問いをした。


「私の他には娘が四人、用人が四人、女中がふたりですね。そういうわけでお泊りの間、不自由をお掛けすることも多いかと思います。他に離れに用人が五人おりますが、それだけです」

「え、使用人が十一人しかいらっしゃらないのですか」

 てっきり家人が数十名はいるのだろうと考えていたユーリは衝撃を受けた。


「そういうわけで娘たちには家のことで苦労させ通しです」

「求婚されている方がいらっしゃるという話は」

 ユーリは心配そうに言った。


「彼女は軍人ですので、軍務が忙しいようでして――さて、着きました。人里離れた物寂しい我が家へようこそ」

 マジンがそういう間に玄関についた。

 一行が車から降りると玄関が開いて、マジンの娘たちが揃って表に出てきて口々に挨拶をした。


 ユーリは見かけ自分と同じくらいの背格好の獣人の娘であるアルジェンとアウルムが艶のある青みがかった白と明るい黄色の色違いのドレスを着ていることに驚いた。マジンが獣人の娘をふたり養女としていることは知っていた。が、せいぜい使用人として扱っているのだろうと思っていた。だが彼女らは服の仕立て作りこそ簡素であったが、布地は遠目にも上等なものであったし、陽の光の下では煌めくような複雑な色合いをしていた。彼女らは妹たちふたりが酷く熱心に荷降ろしの手伝いをしたがっているのを押しとどめてワングにどれをどこに運ぶべきかという話をしていた。ワングは侮った応対をしていない。


 しばらくするとマキンズとマイノラがあらわれて、ようやく大きな屋敷に住まう人物の風になったが、学舎と自宅が世界のほとんど全てで偶の旅行は用人付きのユーリには少しばかり衝撃的だった。

 二人の獣人の娘のドレスの腰元は巧妙に合わせられ、尻尾が外に出ても型が崩れないようになっていた。尾っぽが何か上等の飾り帯か何かのような気さえしてくる作りだった。二人のドレスの色は尾の色と形を中心に作られていた。

 思い出してみると座席にも腰の下あたりに多少のゆとりがあった。

 マジンと父グレンの間ではマジンの娘たちとワングに荷物の話は任せておけというふうになっているのか、二人の家長たちは娘や荷物は放ったらかしで船旅や森の道の話をしている。ユーリは宙ぶらりになっている自分の立場を意識することになった。


「お父様。ゲリエ様のお嬢様がたをご紹介くださらないかしら」

「おや、初対面だったか」

 ユーリの言葉にグレンは全く埒外だったことを明らかにした。


「先だってのパーティーの折には娘たちは連れて参りませんでしたので」

「ああ、そうでしたか」

 マジンの言葉にグレンは驚いたように言った。


「アルジェン、アウルム、ソラ、ユエ。ワングさんにはすまないが、しばらく手を止めてこちらにおいで」

 え~。は~い。という下の子の返事に苦笑して待つと四人が機関車の後ろから離れて父親のもとに走ってきた。

 車ではマキンズとマイノラが荷物の運びこみを始めていた。


「こちらが、私の娘たちです。長女のアルジェン――。次女のアウルム――。三女のソラ――。四女のユエ――。上のふたりが七歳で双子。下のふたりが六歳で双子です」

 マジンの紹介に娘たちがそれぞれお辞儀をする。

 ソラとユエの年齢は見た目通りだったが、上のふたりは十二くらいだと思っていたのでユーリは少し驚いた。


「こちらが私の次女のユーリです。年は十三だったね」

「私もう十四になりました。先月お父様にお誕生日のお祝いをいただきました。私八年生ですよ」

「年齢を若く見られて文句をいう間はまだまだ子供だということだよ。それはさておき、紹介が終わったことだし客間にご案内していただきなさい。自分の荷物は両手に持てる分は自分で運ぶのが他所のお家に来た時の最低限の作法だ。誰が手伝ってくれるとしてもね。きっとゲリエさんのお嬢様がたはお手伝いくださると思うが」

 グレンは娘の苦情に真面目くさって反論した。


「お父様はどうなさるの」

「ここでゲリエさんに自己紹介を少し続けている」

 ユーリは、呆れた、というような顔をする。


「アルジェン、アウルム、この後の作業はどうなっている」

「時間がかかるのは、料理の支度と真空管の点検かな」

 マジンの問いにアルジェンが応えた。


「真空管ってのはなんだ」

「無線電話の調子が悪い」

 アウルムが応えた。


「ああ、どっちだっけ」

「新しい方」

「むう。プリマベラに組み込むのは早かったかな」

 プリマベラに無線電話を組み込んだものの新しい試みは色々解決できていない問題があった。


「つかえれば便利なのは間違いないし、プリマベラは大きいからアレくらいあっても邪魔にはならない。使えるようにすればいいだけ。真空管が壊れるなら、換えを用意するか、壊れないようにすればいい。力が足りないなら数を集めればいい」

 マジンの弱気を叱咤するようにアルジェンが言った。


「数を集めると線の長さを揃えるのがなぁ」

「あ、それだ。きっと」

 アルジェンがなにかに気がついたように言った。


「ソラ、ユエ、お客様の荷物を運んだらユーリさんに屋敷の中を案内して差し上げてお風呂に入ってもらいなさい。おまえたちだけだと危ないからロゼッタにも手伝ってもらって」

「ロゼッタ、食事の準備で忙しいよ」

「ふむ。ではしかたないか。おまえたちに任せる。走って転ばないように」

「はーい」

 ソラとユエの元気な返事を合図に玄関先の一群は再び動き始めた。



 

 いくらかの旅行鞄はグレンの衣装や様々な私物雑貨であるとして、残りの大きな木箱の中身はやはり食料品で、生の果物や野菜が籾殻とともに詰められていた。

 三樽もある樽はグレンのオススメの酒であるらしい。


 中身を知っているワングに場を任せて男たち三人に土産物を任せると、マジンはそのまましばらく旅装のままのグレンを工房を一周りして案内してみせた。


 グレンは前回同様、様々な自動機械が音を立てている工房の様子を楽しんでいたが、新しい材料が揃ってきたことで新作の乗り物をつくっているという話にひときわの興味を示した。


 その乗り物は馬車と言うよりは、歪んだ鳥かごか、ひっくり返した鉄のテーブルの足を束ねたような印象の枠の中に椅子を二つ押し込んだような乗り物で四隅にあまり大きくないが太くくろぐろとした車輪がついていた。


 後ろの席に座ったグレンは、これはかつて砂漠を歩いたときに渡された防塵用のメガネに似たモノを、またもここで渡されその出来の良さに少し覚悟することにした。

 そして、座席にあたかも罪人のように縛り付けられたことで、早くも後悔していた。

 数十秒、雪崩の先頭に乗るソリのような勢いで進む軽機関車の勢いに絶叫するグレンの姿があった。

 牧場の青草が刈り取られ緑の吹雪で視界が遮られるのも構わず、軽機関車は疾走した。やがて森の小道に入り一周をめぐり、機関船の見える岸辺が見える森の切れ目に至る。

 最初の衝撃から立ち直り、森のなかの小道を一周した辺りでグレンは子供のようにはしゃいでいた


 そのあともう運転を代わりもう一周し終わった辺りで、とうとうグレンは我慢できなくなったように、この機関車を売ってくれ、と言った。


「安くないですよ」

 マジンがそう言うと、グレンは驚いたような顔をした。


「――なにか」

「いや、前のときのようにあっさり断られるかと思いました」

 マジンが問うとグレンはニッコリと答えた。


「ああ、古い機関車はお譲りするとすぐに使えなくなることがわかっていたので、いちいち呼び出されるのは面倒だと思っていました」

「燃料の問題だとか、そうおっしゃってましたな。すると燃料が手に入りやすいものなのですか」

 グレンは酷く鮮明に覚えていたようにマジンの言葉に応じて尋ねた。


「まだ完全とはゆきませんが、まぁだいぶ改善できました」

「ほう、それは本当にお譲りいただければ大変に助かります」

「お出での意味を考えると、他にも積もる話も多いと思います。まずは旅の垢を流されて身軽になられてから、お部屋でお話をいたしましょう」

 そう言ってグレンを客間に案内した。

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