デカート政庁 共和国協定千四百三十六年穀雨

 ロゼッタの日常は春風荘と学志館の往復でおよそ満たされ、ときたま思いついたように何々を何処何処で調べてくれ式の仕事がローゼンヘン館から無線電信のテレタイプか電話でもたらされる。

 調査の依頼は、次の何々をやってくれ、という仕事につながる前触れでもある。

 命令でなく依頼の形をとっているのは、一応主家が学志館の課業を優先しているからであったし、ときたまアミラの手を借りてもマイラの手を借りても間に合わず、そもそも到底見当もつかない内容があったりもするからであった。

 ローゼンヘン館の主人なりセントーラなりが一応あちこちで下調べはしてくれている様子だが、デカートまで百リーグ近く離れたローゼンヘン館で細かなところがわかるようならロゼッタに用事は飛んでこないわけで、知恵を借りられそうな人の名前に心あたりがあるほどにロゼッタはデカートに馴染んでいない。

 そもそもロゼッタはならず者と一緒にローゼンヘン館に立てこもっていたお尋ね者だったわけで、デカートで助けが求められる融通が効く身分ならそんな面倒くさい連中と一緒にいる必要もなかった。

「ソレはそれ。切り替えなさい」

 などと家令に収まったセントーラはロゼッタに命じたが、そうは言っても命じられたとして出来ることと出来ないことが変わるわけではない。

「まずは、やりなさい」

 とセントーラはロゼッタに命じ、首を捻るように知恵を絞りながら、ロゼッタは今日もデカートの政庁を書類を持ってウロウロとしていた。

 心細げに戸口を潜ったロゼッタを出迎えたのは、慌ただし気に自らの仕事に追われる人々の無関心だった。

 やっと手があいたように頭を上げた男の視線に、明るくなったロゼッタの顔を認めて男は、「郵便の配達は一階郵便室。駄賃もそこで貰って」とだけ言うと再び自分の仕事に戻った。

 仕方なく一階の郵便室に行くと宛名が不完全で受け取れないと断られた。

 ロゼッタはそれでは自分の勤めが果たせないことを訴えても郵便室の官吏は困ったような顔をするだけだった。




 ボーリトンが政庁を訪れたのは偶然だった。

 とはいえ幾日かおきに学志館から政庁宛の信書の配達はあって、いくつかの研究室を回ればやはり月に幾らかはあるから、学志館からの帰り道に政庁に足を向けて配達をすることは少なくない。

 デカートの各政庁でも封蝋付き封書の手間賃が半銀貨でもらえるのでボーリトンは気にいっている。伝書の手間賃を半とはいえ銀貨で払ってくれるのは、政庁と学志館の本館受付。あとはめったにない一等速達を届けるときくらいだ。

 商会の多くは通信の証拠を残さないためかボーリトンのようなウロツキに投げる小遣いに封蝋付きというところは少ないが、公官庁は逆に執務の記録のために封蝋付きの包みの事が多いし、気分で増えたり減ったりするよそと違って、一回届け物をすれば大きくても小さくても半銀貨で支払われる。

 封書と云って支払いのためのぽち袋であれば高価な紙であるはずもなく、棕櫚か藁かも分からないような小さな粗末な包みの端を政庁の紋章で留めたものだが、そういうものでも気分が全く異なるわけだ。

 そこで図書室で見かけた身形の怪しげなどこぞの執事が立ち往生して揉めているところに出会したことがロゼッタがボーリトンを見知るきっかけになった。

 ボーリトンは場違いな身形の少女が胸元から出したり突き出したりしている妙に立派な封書をひょいとつまみとり名前を見ると見知った名前があった。

 小遣いの払いの悪い渋ちんの測量技師だった。

 技師とか先生とかいう人々は小遣いの程度が分かっていない人々がほとんどで、悪い方の技師先生だったので覚えていた。

「ああ。これ多分、農地税務測量課のヒト」

 ボーリトンは横から取り上げた封書を少女に差し出すように返した。

「そしたら三階だから、内容見てもらって、アレなら受け取ってもらったほうがいいね」

 ボーリトンの知る限り特段に意地悪という印象のない郵便室の官吏がホッとしたように少女に言った。

 少女はボーリトンに頭を下げると駆け出すように郵便室を出て行った。

 あれだけの説明でわかるものかしらとボーリトンは考えもしたが、目の前から消えたのならそこから先は他人の仕事だ。

 西日がそれらしい色になる頃にデカートの街の真ん中から歩き始めればザブバル川からの引きこみ運河が見える帳場につく頃には空が赤い時間も終わっている。

 帳場からねぐらまでは遠いわけではないが、ドクの気を揉ませるのも良くない。

 貧民街は端から端まで物騒というわけではないが、朝夕の黄昏時は酒で寝ていた連中が酒が切れて起きだす時間でもある。

 朝夕で二枚銀貨をもらったことで気分良く郵便屋の帳場に向かって歩き始めていたその勢いのまま面倒に関わらないように帰らないと、せっかくの実入りを失うことになりかねない。

 半端な善意は害意と見分けがつかない。という処世の金言に反した自らの軽率なおせっかいも、情けは人のためならず、という別の金言で密かに心を豊かにしてボーリトンが軽やかに家路への道をかけている後ろから、カラカラサラサラと金物の擦れる音と石畳の上を軽い何かが転がる何かの音に振り向くと、金属製の糸車のような乗り物に跨った先程の少女がいた。

「先程はありがとうございました」

 少女は乗り物を降りると傍らで支えるように立ってボーリトンに向けて頭を下げた。

「仕事は終わったかい」

「仕事は……終わらなかったけど、少し進みました」

 ボーリトンは少し明るい気分で歩き出すのに少女は併せて乗り物を押して従いてきた。

「そりゃ良かった。アンタ、どっかの執事見習いなんだろ」

「執事見習い……。まぁそうなんでしょうね。見習いって誰を見習えば良い仕事なのか、どうなのか、よく分からないんだけど」

「普通はご主人を見習えばいいはずなんだが、そんなに変わったご主人なのかい」

「変わったといえば変わった方だし、ヒトも少ないし……」

「デカートのお屋敷も色々あるからなぁ。……お屋敷はこっちなのかい」

「いえ……。セレール商会の本店に用事があって」

 訝しがられないようにボーリトンが水を向けると少女はアッサリと口を開いた。

 執事として扱われているらしいが、世間に慣れている風ではない。

 世間慣れしていない小娘を外回りの用事に使うくらいに、あまり大したことのない小さなお屋敷の奉公人であるらしい。

 住み込みの小娘が執事働きを必要とするくらいに事務方の手が足りなくても大きい家と限らないくらいには、デカートの政庁の法律は様々に家々を縛る力を持っていた。

 町に住むというのは家のためのさまざまで役所と法律に縛られる。

 家長が亡くなったり、執り仕切っている家令が変わったりということが起きると、家の様々は混乱に陥り、普段は表に出ることのないようなせいぜいが庭先の掃除の仕切りが関の山の奉公人の子弟が繰り上げで執事に走るということは多い。そういう人手の足りないところでボーリトンのようなウロツキが臨時に雇われることもある。

 横を歩いている彼女が拳銃で武装しているらしいことにボーリトンは気がついた。ベルト上腰の位置に少し不自然なふくらみを見つけたのだ。

 どのくらい彼女が使えるかは別として、拳銃を預けられるくらいには主人に信頼され心配されているらしい。

「ふーん。春のお祭りのごちそうかい」

 ボーリトンは思いついた別の推理を口にした。

「そういうのとは違うみたいだけど、ちょっと食べ物の手配が間に合わなかったらしくて、少し都合してもらえないか聞いて来いと。……ああ、忘れてください」

 流石に口が軽すぎたと少女が星をさがすように空に目を向ける。

「うん。忘れた。アンタのお屋敷でオレが役に立てる用事がなんかあるのかな、と思っただけさ。――ああ、俺はボーリトン。アンタは」

「ロゼッタ。ロゼッタワーズワスです」

「よろしく。ロゼッタ。――ああ、セレール商会の本店だったら、そこの細いところ通って行けば、赤蛙亭の脇の水路に出る。水路に沿って左に折れれば本店の大扉の脇に出る。馬だと水路の脇の路地はすすめない。けど、その細いのくらいだったら通れると思うよ。このまま噴水広場まで行くよりはだいぶ近い」

「ありがとうございます。行ってみます」

 ボーリトンが立ち止まり路地を指し示して軽く道案内をしてやると、ロゼッタは目を瞬かせニコヤカに礼を言った。

 そのままロゼッタはボーリトンの言葉を疑うこともせずに日はまだ高いとはいえ薄暗くなり始めた路地に入っていった。

 その光景は一瞬余計なことを云ってしまったかとボーリトンが自身の軽率を疑うほどだった。

 その後、しばらくボーリトンはロゼッタの姿を学志館で見ることはなかった。

 奇妙な後ろめたさはあの金属細工の乗り物の音がすると目で乗っている者の姿を確認させるほどだったが、気がつくと見かけたことのあるあちこちの商会の手代が路地の広さや混雑そして世話に困る馬よりも余程軽快に往来していることに気がついた。

 その乗り物――安全自転車は様々な模造品を街中に振りまくほどの人気の商品でもあった。

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