石炭と水晶 或いは自転車泥棒と文明の迷路
小稲荷一照
学志館 共和国協定千四百三十六年春
学志館は四百年ほども前にデカート軍の練兵場と本営のあった土地にある。
比較的啓け往来の都合が良く、また幾らかの高台もあるような複雑な土地で、学者たちがかつての城砦要害を研究室として立てこもるように研究に励み、かつてのデカート軍本営である講堂で年にふたつきばかり成果をひけらかす。
学志館は共和国成立以前から運営が続く研究所そして地域の学問を志す者たちの集う学問所である。
とはいえ、その数千年の歴史は幾度か断絶が起こり、運営も実態も幾度か変化しているために、数千年の何事かが正しく伝えられてはいない。名前の幾らかが伸びたりまた削られるようにしてかろうじて学志館という名前が今に伝わっているに過ぎない。千年どころか学志館が学志館の名前を得てから数百年の資料についても正しく業績を辿り追えるほどに理解しているものも一人もいない。
学志館の理事も研究者もそのことをしばしば嘆き、またそれを誇りもする。
デカートは世相の荒波に幾度か洗われながら、学問研究の意義を人々が見失わないだけの文明の尊厳を保てている。というわけである。
云ってしまえばそれは、学問なぞ息抜きと暇潰しのための興味をそそる娯楽だというわけで、知恵を使ったお遊びだという事を学問所が自ら誇っているようでもある。実際にそれが許される程度に、そしてこの百年ほどはデカートが軍勢を必要としないほどに平和でもあった。
そういう学問の場について、ボーリトンは夜のうちに港に届いた伝書を西に向けて配達して歩きながら学志館に通う道すがら、皮肉交じりに考えていた。
学問で新しい商売が始まってカネがこっちの懐にもう少し回る世の中になればいいのに、だがそうなれば当然に盗みも争いも増えるな。そんな風にだ。
彼の抱える伝書の宛先の幾らかは学志館のあちこちになっていて、ボーリトンは休憩の意味合いを含めて学志館の初等科に通っていた。
朝のうちに配りきれない分は授業の合間や放課後に配ることになる。
そういう風にして学志館に通っている奉公人の子供は少なくない。
実のところ学志館という組織は軍隊のないデカートにおいては政庁と同じくらい幅広い注文の取れる客筋の窓口だったから、ついでのついでに丁稚の小僧に読み書き算盤を教えてくれるなら、年に金貨十枚を払ってネタ拾いなり得意先回りの顔つなぎをさせることくらいは、間尺に合わないほどの出費ではない。
商いに関係ない農民の子供も幾らか通っている。
畑も持たない小作や季節農にとって金貨十枚というのは安い払いではない。
それでも流行り廃れというのは近所付き合いの一つでもあって、流行りの歌やおべんちゃらが口にできないような子供は、デカートのような街場にあっては処世の接穂もない。
ちょっとは先を見たり子供の将来を想像するくらいに余裕のある家であれば、学志館に子供をやって、その学問が子供の身肌にあって上手くゆけば政庁勤めやどこぞの商会の手代番頭になれば、自前の水の口も持たないような小作よりは畑もないような農民よりははるかにマシだということになる。
しかしデカートは小さな町ではない。
差し渡しで五リーグを越えるような広がりのあるデカート市の郊外というべき西の端に更に学志館自体も一リーグに渡って広がり、近くに学生や研究者の集落を作るような施設である。
近所にたまたま住んでいるか宿を借りるか、はたまたデカートを跨ぐために馬を馬車を揃え仕立てるか、という条件は子供が学志館で学問を積む上で年に金貨十枚という学費よりもはるかに険しい壁となる。
初等科は学志館の中では比較的デカートの天蓋の柱に程近いところにあり、特段に険しい道程というわけではないのだが、数リーグという距離は子供の足では数時間を意味する距離でもある。
当然に様々な理由で通えなくなる子供も多い。
一言で言えば体力の問題ということになる。
ボーリトンはたまたま続いているが、ボーリトンと同じドクのところで学志館に通い始めて途中で辞めた子供ももちろん少なくない。
辞めた理由はそれぞれ様々であるわけだが、ボーリトンが続いている理由も、なんとなく、という以上に意味があるものでもなかったから、人それぞれ、という以上に説明はできなかったし、知恵を使ったお遊びがなんとなく気に入っていたからという皮肉交じりの感想につながるわけだ。
そういう皮肉を感じたのは、お得意の届け先が不機嫌そうに寝坊して代金チョッキリしか払ってくれなかったので小遣い銭がなかったせいでもある。
今日は学志館の中でも配り先は幾らかあるから、昼飯に困るほどに小遣いに困るということもないだろうが、小銭で心付けを払ってくれるかどうかは届け先次第なので不安はある。だがしかし、それで全て投げ出すほどにボーリトンは幼くはない子供だった。
とはいえやはり多少不安もあったので、学志館の事務局に押しかけてひとまず最低限の小銭を懐に落としこんでおかないと思う程度には朝の出来事はボーリトンのみぞおちを抉っていた。
事務局の守衛室で一束の封書と引換に、代金の収まる革袋の中身を守衛と一緒に改めて、そのとき渡された紋章の押されたぽち袋に入った中身の大きさ硬さ重さを確かめて、銀貨の感触手ごたえにボーリトンは安堵した。
事務局宛の配達は毎日あるわけではないが、確実に銀貨がもらえる配達先だったし、封蝋の押された封書というのは、なんというか公に認められた気分になる。
強いて上げればボーリトンが学志館に通い続けている理由であるとも言えた。
カネが人生の全てではないけど、公の関係はカネを通じておこなわれるものだ。という直感はボーリトンの中にあって、デカートの公の組織である学志館がボーリトンを公に認めているという風に感じられていた。幾らかは棄てたが、ボーリトンは学志館のものに限らずあちこちの封蝋を仕事の記録代わりに集めていた。
あまり見栄えよくない身形の女生徒が図書館の自習室で封蝋を扱っているのに気がついたのもそういうわけである。以来ボーリトンは教室で封蝋を扱っているような迂闊な執事見習いの動向は気にかけていた。
彼自身ももちろん垢抜けない貧乏な浮浪児である自覚はあった。一方で孤児上がりながら勤労によって生計を立てているという自負もあったから、一種の同胞意識を勝手に抱いていた。
公証はつまりそれこそが執事そのものであったから、公証があれば何者であってもある家の公の執務を代行できてしまう。子供のおもちゃにするには危険なものだったし、学志館に通う子供のすべてが盗みや後ろ暗いことと無縁というわけではない。
封蝋とともに扱う公証というものはつまり身の証であって、どういった格好のものでも身の証を立てるために公証があるということも言えるわけだから、それを訝しく思うことはそれこそが不明である。などとボーリトンはその場で自己解決したわけだが、それがボーリトンにとってゲリエ家の執事であるロゼッタ・ワーズワスの最初の印象だった。
年下のクラスに編入された、いかにも所在無げな雰囲気の執事見習いの少女に彼は社会の先達としてちょっとした優越を抱いた、というところだ。
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