デカート行政庁
行政庁の玄関先は珍しく朝から賑やかだった。
「ふざけないで頂戴!こっちはお遊びってわけじゃないのよ。人の命がかかってんのよ」
「知ったこっちゃないわよ。アンタはアタシにその小利口に動く知恵を貸しなさいな。アタシだってこれでもアナタにいろいろ助け舟出したでしょ」
「それとこれとは、話が別よ。だいたいね。アタシがそんなところに差し出口したら、ぶっ飛ばされるじゃすまないわよ。お屋敷吹っ飛ぶ騒ぎになるわよ」
「あの速いのでお屋敷まで吹っ飛んでってお目にかかりたいって話で、ついでにいつく知恵を貸してほしいって頂戴って言ってんのよ」
「だいたいね。あんた。アタシのボスに奥様って言われたいの」
二人の少女が大声で怒鳴り合いながら行政庁の中を歩く。
二人の身なりはやたらと目を引く。
生地も仕立ても立派だ。
だが、服装は場違いだった。
一人は夜会にでも出るのかというドレスの上に男性物のチェスターコートで無理やり絞っている。
頭には騎兵が被りそうなつば付きの帽子と首元に泥除けのゴーグルと胸当てに分厚いつけ襟を下げている
もう一人は最初から狩りにでもゆくような格好をしている。強いてあげれば賞金稼ぎのような風貌の少女だ。
男のような黒い鹿革のシングルジャケットとズポン。厚みのある真っ赤なたぶん甲獣のスパッツ。刻みの深い底の広いブーツはスパッツのせいでよくわからない。
シャツは糊が効いて白い。首元から膨らみかけの胸元のネクタイは艶めいて黒い。
腰のところで肩からのマントを縛り上げている。
首に砂塵よけのメガネと胸当てとつけ襟をぶら下げ、雨よけのつばのついた大きな帽子を小脇に抱え、相方と文句を言いながら歩いている。
最低限元老貴族の館の戸口を叩き乗り込むだけのドレスコードをわきまえた、早馬乗りしかもいざとなれば馬を捨て山をかける種類の早馬乗り、通称雷光乗りの格好だ。
そうとなると、いかにも子供――小柄な少女が妙に高そうな格好をしている理由もそれなりに理解が出来てくる。
馬に負担をかけないために早馬乗りは小柄なものが多いのは常識で、街道を走破する必要から真実子供ということは少ないが、見た目ではわからないことが多いし、二十代半ばならベテランという職でもある。
マントもジャケットもズポンも少し前に流行った色で鹿革を藍と茶とで黒くなるまで煮染め蝋で固めた高級な革処理だ。
偽物でないことは小柄な少女が、かつかつと機敏に歩き、その体の線を乱していないことでわかる。間違いなく野外を過ごすのには適した服装だが、とてつもなく高い。
甲獣は大きければ数グレノル小さければ数ストンという西方域の砂漠地帯に生息する育ち過ぎのイノシシの仲間の総称のようなものだが、その名の通り皮膚がともかく硬い。
多少の下生え、笹竹の群生に突っ込んだとして膝から下は破られはしないだろう。
二人の少女は遠くから響き渡る声で言い合いをしながら廊下を突き進んでいた。が、目的地についたらしい。
奥にいた行政監房長は何事かと少女を眺めていたが、しばしその赤いすね当てに目を奪われていた。それがその姿がホンモノならこのあたりだとヴィンゼの西の砂漠を突っ切る命知らずの早馬連中ということになる。
「アンタ、ヴィンゼの人だったのかい?」
「ええ、まぁここしばらく少し前からお世話になってますが。――おっしゃるとおり全部そろえてきました。囚人の朝食前に監房の移動手続きを済ませて。既に弁護人立会での行政官接見時間の予約はとってあります。間に合わせて」
そう言うと、男装の少女は腰から書式を並べて官吏に命じた。
「行政執行官の命令も先ほどもらってきました。わたしの公証は、いま捺します」
少女は公証を示し、弁護人欄に大きな音を立てて捺した。
それは、遠くの登楼から響く朝の始業の鐘よりもはっきりと行政庁の一階に響いた。
その後、日が傾かないうちに、元請け雇用主であるロゼッタとロゼッタに遺失事件を報告したユーリの証言が十分に整合取れたと行政庁で認められたために、地下水道不法占拠者つまり地下道に住み着く住所不定無職の輩として大ネズミ駆除のついでに公定競売で奴隷として売られるところだったヘーチョは、拘束後五日で解放された。
「ヘーチョ。その薄板を踏み外すと足がなくなるわよ。腕は絶対にそのアーチの横棒より下にしないで。ユーリ。ヘーチョが転げないように少し前に詰めてあげて」
「分かってるわよ。でも狭い。前にお父様と乗ったときはこんなじゃなかった」
「当たり前でしょ。前は旅行カバン。今回は人間三人よ。前後に散らせて載せられないわ」
バリバリと足元で音を響かせる圧縮機関に悲鳴を上げるヘーチョ。
威権高に勾留していた子供を連れ去った少女二人組が面白げなことをやっていると群がっていた行政官たちが爆音に仰天し、騎兵の馬たちが竿立ちになる中を機関車が疾走して中庭を抜け政庁前を走り去る。
通りの風景が商店中心に変わったところでロゼッタは機関車を路肩に寄せ機関を止めた。
「いつまで寄っかかってんのよ。アンタ。気安いわね。重たいわよ」
そう言うとユーリはロールバーにしがみついているヘーチョを背中で押しのけた。
ヘーチョは悲鳴を上げながら脚を抱えるが、もちろん機関を止めたあとでは問題はない。
「めっちゃスッキリしたわね」
「ホーンと。あの看守長の顔ったらなかったわ。二日も顔つき合わせてたアタシらの顔忘れたのかって」
「家の若衆の仕立て直しが役に立ってよかったわよ」
「やっぱり高いの」
「高いっていうか、もう流行らないというか。ウチじゃ早馬あんまりやってないしね。商いの中心が穀物相場だからさ、あんまり遠くを相手にするような相場じゃないらしいのよね」
「どのへん?」
「マシオンくらいかな。セウジエムルとか」
「ちょっと南の方ってことしか知らない」
少女二人が雑談に興じているところに立ち直ったヘーチョが少し困ったような顔をしている。
「あ、あのさ、ありがとう」
「うん。気の毒なことになったわね。まぁわたしが雇用主だから、雇用責任で条件付き被雇用者の身元を保証し一時解放しただけなんだ。今回はそういう事になっている」
「どういう呪文?」
「そういう呪文なんだ」
「とりあえず、ボーリトンさんに会って今の話を報告してくれればいい。で、同じ様に同様の条件で雇用していたムーチョさんが司法の誤解によって窃盗犯として扱われ不当拘留されていることを司法当局に訴える際の証人になってくれるようにお願いしてください。ムーチョさんはアナタと違って窃盗犯――犯罪者として扱われているので、ちょっと厄介なの。……はい。これ証人出頭依頼票。同じ様に、ボーリトンさんとドクさんにも三人が学志館までの経路で地見屋と配達をおこなっている勤労学徒であることを証明していただきます」
「これって意味あるの?」
「あなたがたが、税金は払えないけれど勉強をする気があって、乞食や物乞いをしないでも生活が出来ている、社会に必要とされて生きている人々であるという証明になります」
機関車の運転席に座ったままヘーチョを見上げるロゼッタがどうしてそこまで堂々と明るく断言できるのか、彼には全くわからなかったけれど、彼女が大事なことを言ったことはなんとなく分かったのでできるだけ忘れないように、言葉を口の中で繰り返しながら伝馬便の番屋に急いだ。
この時間ならボーリトンがいると思ったからだ。
ヘーチョが行政庁に捕まったことを知った飛脚連中は誰もが心配していたから、無事の帰還とどうやって帰ってこられたのか武勇伝を聞きたがったが、ヘーチョは口を開いてなにを言うべきか忘れるのが怖くて、ボーリトンが帰ってくるまでなにも口にできなかった。
だからヘーチョはボーリトンが、自分の口にした言葉を聞いて涙をポロポロとこぼしだしたときに自分が間違ったことを言ったのかと思って、つられて泣き出してしまった。
その日の晩は伝馬便の番屋でのヘーチョのホラ話が明るく花を咲かせた。
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