ボーリトン

「ごきげんよう、ロゼッタ。最近なにやってるの?なにそれ?税務台帳?作付台帳?渡舟組合?なんに使うのそんなの」

 ロゼッタがデカートの新しい地図と住宅資料を探して図書館を書棚をうろうろしているところにユーリが声をかけた。

「ん。ああ。ユーリ。ちょっと新しい地図が欲しいんだけど、いいのがないから作ろうかと思って」

「そんな資料で何かできるの?」

「街中や郊外の細かいところはわかんないけど、天蓋の柱のあたりの土地に住んでいる人たちはあんまり動いてないでしょ。そういうところがわかれば、とりあえずいいかなって」

 書棚からとった資料を眺めながらロゼッタが自分のやっていることをユーリに説明する。

「新しい地図が欲しいってこと?」

「まぁそうね」

「住んでいる人がわかればいいの」

「うーん、まぁ、そういうわけでもないんだけど、とりあえず聞き込みから始めるのがいいかなと」

「自転車探しで聞き込みをするのに使うのね」

「うん。まぁそんな感じね」

 気のないロゼッタの言葉にユーリが少し不審げな表情になる。

「私が自転車盗まれたの知っているの驚かないの?」

「まぁ、結構にぎやかにやっているからね」

 ロゼッタの言葉にユーリが露骨にがっかりする。

「そういう話なら、私にも相談しなさいよね。せっかく面白そうな催しなのに」

「⋯⋯なんかいい知恵があるの?」

 ユーリが満足するまでいなくならなさそうな雰囲気に資料探しをあきらめ、書架から離れた。ユーリも誘われないままついてくる。

「ウチの人たち使うとか?」

「あなたね。家でいつもそんな調子なの?」

 資料を乗せた台車を押しながらロゼッタはあきれた声で返した。

「そんなわけないじゃない。お店の人たちよ?内々のことしてくれる人もいるけどね」

 ユーリはバカにしたように鼻を鳴らしてから、笑って言った。

「⋯⋯アンタね」

「でも仕事ってことにすれば、みんな一も二もなく応じると思うわよ。ゲリエ様がお困りってことなら、おカネって話じゃなくても商いの種になるだろうし」

 ユーリの話はそれなりに筋は通っているとロゼッタも思ったが、そうすると事前にローゼンヘン館に話を通す必要がある。

 そうなると多分新しい自転車が一台送られてきておしまいになる。

 多分。

 それはたぶん二人がやる気になっている今、水を差すとロゼッタがしばらく恨まれる。

「それはもう少し先の話かしらね。自転車なくなったって話も今はまだご報告してないし」

「それなら私が先に見つけちゃうのもちょっと面白いかもね」

「⋯⋯まぁそれも面倒が少ないかもね」

「⋯⋯あら。意外。お楽しみを邪魔するなって言うかと思った」

「あたしが邪魔をするわけにはゆかないけど、あなたが好きにやってしまうのはいつものことでしょ。アレだったらあなたが勝手に借りたことにしてもいいくらいよ」

 ユーリもさすがに渋い顔をした。

「ロゼッタ。あなたがどう思っているかわかりませんけど、わたくし人様のモノを勝手に拝借して恥じないような、はしたない育ちではありませんのよ」

「さすがに軽口が過ぎたわ。悪かったわね。忘れて」

 改まった言葉づかいでユーリが抗議したのに、それまでユーリに目を向けていなかったロゼッタが相手に目を向けて、軽く目を伏せた。

「ちょっと心外だけど、私とあなたの仲を思えば、あなたの言うことも方法としてはアリなのはわかるわ。筆箱に借用書を一筆入れておけばいいかしらね」

 ロゼッタが驚いたのに満足したような顔でユーリは微笑んだ。

「⋯⋯本気?」

「まぁ、私が先に見つけちゃったら、そういう方法もあるわねって云う話。お楽しみに水を差さない程度にみんなに時間切れを示すのは必要でしょ」

「それはたすかるけど」

「ま、デカートも広いからそうそう簡単に見つからないと思うけど、心当たりは当たってみるわ。⋯⋯って言った矢先に心当たりがいたわ」

 ユーリの視線をロゼッタが追うと、司書室から出てきたボーリトンの姿を見つけた。

「⋯⋯どういうこと」

「あなた……まぁいいわ。教えてあげる」

 そう笑うとユーリはロゼッタを追い抜いてボーリトンに声をかけた。

「ごきげんよう、ボーリトン。お時間ある?」

「ごきげんよう、お嬢さんたち。残念ながら。⋯⋯今日の仕事の宛てがなくなったところさ。雑談の時間くらいはあるよ」

 ボーリトンは演技だけというわけでもなくうんざりしたような顔をする。

「あら、お気の毒。それならちょっと相談に乗っていただけないかしら」

 そんなボーリトンをユーリは鼻で笑った。

「⋯⋯長いのかな」

「あなたにお願いできるかもしれない話があるの。もちろんタダってわけじゃないわ」

「ユーリ。あなた」

 少し怪訝な顔になったボーリトンを見てロゼッタが慌てる。

「あら、ロゼッタ。このヒト、うちの店ではそこそこ有名なのよ。評判が良い方でね。番頭や手代の幾人かはこのヒトに目をかけているみたい。

⋯⋯ボーリトン。その気ならうちの丁稚に引き受けるように口きいてもいいのよ」

 そういうとボーリトンははっきりと嫌な顔をする。

「お嬢さん。アンタどういうつもりでそんな口が利ける立場なんだ。お店の帳場をどうにかできる立場でもあるまいし」

「こういうところがウチの店でも評判を分けてるのよね」

 いたずらっぽくロゼッタに目を向けて笑ったユーリをロゼッタは渋い顔で迎える。

「ユーリ。私もあなたの態度にはちょっとイラつくわ。あなたのお家のお店の話ではなく私の話なのよ」

「ごめんなさい。そうだったわね。私としたことが親友の窮地を説明する前に勝手な慈愛の押し付けをするところでした」

「ユーリ。⋯⋯ああいうのは慈愛って云わないわよ。家の立場を笠に着るというの。⋯⋯ごめんなさい。ボーリトンさん。ユーリとの話の流れであなたが力になってくれるかもという話が出たのだけど、ユーリの言うような話ではないの。忘れてください」

 そういってロゼッタはボーリトンに謝った。

「ロゼッタ。私の切り出し方が悪かったのは認めるけど、こいつがあなたの抱えている資料より、手堅く有能なのは間違いないところよ。なんたってこいつ地見屋だもの」

「どういうこと。地見屋って何よ」

「地見屋ってのはね……」

「⋯⋯わかった。ロゼッタに何か探し物があるってことだな。盗まれたのかい」

 ユーリがロゼッタに説明をしようとしたところでボーリトンが歩み寄って割り込むように言葉を継いだ。

「春風荘のみんなで自転車を探しているんですって」

 ユーリが改めてボーリトンに説明した。

「その資料は近所のお屋敷に聞き込みにあたるためか。政庁の警務隊ならそういうやり方をするのかもしれないな。俺たちはそういうものは使わないけど。確かにセレール家のお嬢さんの言う通り、俺たちは地見屋をやっているから、うせもの探しを引き受けることは、多い。自転車っていうと、よくロゼッタが乗っている奴だろう。あれが盗まれたのか」

「アレと同じ物がいくつかあって、その一つがなくなりました」

 ボーリトンはロゼッタの言葉にうなずいた。

「なんか馬留や厩舎あたりがにぎやかだと思ったらそういうことか」

「アンタ、なんかしらない?」

「知っていたらロゼッタに直に聞くよ。図書館でたまに見かけるんだし」

「別に急いで見つける必要もありませんし、手を煩わせることもないと思います」

「でも、なくなったとなると、ご主人様になんか報告しないとならないだろ。それに見つけるつもりが少しでもあるなら早い方がいい。自転車は割とあちこちの故買屋で見かける。結構高いぞ。俺もコナかけられたことがある」

「まさかアンタが盗んだんじゃないでしょうね」

 ユーリが意地悪気に云うのにボーリトンはうんざりしたような顔になる。

「そんなことしないよ。ああいうものは逃げられる奴が盗むものだ。乗り物だからな。少なくとも俺には逃げる先がない」

「冗談よ。お利口な考えの周るアンタはそうでしょ。期毎の試験でいつでも上位なアンタはケチな盗みをするなんて思わないわよ。朝早くに飯場で食事して郵便受けとってそのままここまで走ってくるんだもんね。毎日欠かさず。そりゃウチの店でも評判良いわけよ。街中で走らせたら馬より早いだろうって」

 思いのほかの高評価にボーリトンは驚いた様子だった。

「これくらいできる奴はほかにもいるだろう」

「他にもいるわね。そうね。でも、他にいるかいないかじゃないわ。アンタはできる。でもできない人間をできるようにするのが道具ってモノよ」

「うん?まぁそうかな」

「自転車があれば、アンタみたいに学志館通える子、増えるでしょ」

「⋯⋯つまりなんだ、お嬢さんが言いたいのは、盗んだのは学志館通っている子供って可能性が高いってことか。春風荘にあって盗まれたっていうならその可能性はそこそこ高いな」

 ボーリトンはユーリの言葉に少し怪訝な顔で尋ね返した。少女二人はボーリトンの言葉に目をむく。

「ボーリトン。何言っているかわかってるの。それ」

「⋯⋯何って、いきなり俺を疑ったのは不愉快だが、スジ自体は通ってる。あれがあれば五リーグやそこらの道のりは小半時で走れるようになるんだろう。細かいとこは知らんけど、そういうものが買えるなら俺だってほしい。後先考えなしなら魔が差す奴だっているだろう」

 ロゼッタがこれまで敢えて言葉にしなかったことを、ユーリが実のところ考えてもいなかったことをボーリトンはあっさりと指摘した。

「⋯⋯ボーリトンさん。手を貸してもらえますか。仕事として。金貨三枚でどうでしょう」

 ロゼッタは自転車のおよその元値とローゼンヘン館からの乗り出しとして聞いた値段からあたりをつけた金額を口にした。

「ロゼッタ。地見屋商売の相場は金貨で半々ってことになってる。急ぎってならそれぞれ倍ももらうこともあるけど、空振りも多いからお互いに恨みっこなしにできる金額にしとかないと」

「アンタ半金貨なんか使わないでしょ」

「そうでもない。ドクのお使いで薬を買うことは割と多い。アンタのお店でも薬草の類を頼むこともある。ま、俺のカネじゃないっていう意味ならそうだが」

「アンタんとこのドクって儲けてるのね。学志館に十人くらい入れてたでしょ」

「続いているのは四人だけだけどな」

「そいつらにも聞いてみなさいよ」

「⋯⋯当たり前だ。アンタやっぱりいちいちイラつくな」

「あら、そうかしら。私これでもあなたのことかなり気に入っているのよ。⋯⋯で、何やってるの?ロゼッタ」

 ロゼッタは手近な机でハンケチを書付に裂いて公証を押していた。

「なにって、お仕事としてお願いするんだから、当然でしょ」

「ああ、まぁ、そういうのがあるとありがたいけど、どのみち本腰を入れ始めたら俺一人でやるわけでもないから、そういうのはなくてもいいんだ。どうせ公印なんて見せるような取引でもないしな」

「それでも、気分の問題です。⋯⋯なんていうか、同窓生におカネ出してお願いごとって、ちょっとヤな感じだなって」

「ロゼッタ。⋯⋯アンタ、いいやつだな。どこかのお嬢様にも見習ってほしい繊細な感覚だ。とりあえず十日かそこら待ってくれ」

 ボーリトンは書付に押された公印と半ダカート金貨をロゼッタの手の中から摘み上げ図書館を出て行った。

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石炭と水晶 或いは自転車泥棒と文明の迷路 小稲荷一照 @kynlkztr

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