第17話 めちゃくちゃ荒ぶってますけど

 ルノンさんは人間の姿で現れたせいか、私という存在を怖がることなくすんなり受け入れて握手を求めてくる。すっと伸ばされた手を握ると、「よろしくお願いします」と優しく言った。


 私も「よろしくお願いします」と返したけれど、その声は太陽も驚くくらい明るい声にかき消される。


「ルノンちゃん、久しぶりー! 元気だった?」


 村長という言葉に相応しく落ち着いた雰囲気のルノンさんに、対照的なほど落ち着きのないセレネさんが飛びつく。


「セレネ、あなたは相変わらずのようですね」


 ルノンさんが、呆れた声にため息を一つおまけする。


 反応からして、どうやら二人は知り合いのようだ。

 それにしても、セレネさんはどこにいてもセレネさんで、無駄に元気が良いということらしい。


「うん。相変わらず元気だよー!」


 私の思いを肯定するようにセレネさんが答えて、ルノンさんがため息を追加する。そして、ルノンさんはぺたりとくっついているセレネさんを「そういう意味ではないのですが」と言いながら私の方まで押しやると、乙女を見ながら問いかけた。


「そちらの方は?」

「ああ、瀬利奈ちゃんの相棒。メインクーンの乙女ちゃん」


 ざっくりとした説明に、私の後ろにいた乙女が前へ一歩進み出て元気よく挨拶をする。


「リナと一緒に住んでいて、今日はお手伝いに来ました」


 珍しくかしこまった言葉を使っているから、一応、知らない人に気を遣うということはできるらしい。


 乙女は小さい頃から大きかったけれど、うちに来たばかりの頃はやんちゃな子猫で悪戯ばかりしていた。その彼女がちゃんと挨拶をしているなんて、嘘みたいだ。

 大げさなくらい頭を下げてから、ルノンさんと握手を交わしている乙女は随分と立派に見える。


 私は、我が子の成長に感動する母親気分で胸を張る。そして、ご褒美がわりに彼女の頭を撫でると、乙女が嬉しそうに笑った。


 ああ、可愛い。


 荒れ果てた畑をバックに乙女に骨抜きになっていると、セレネさんが今日の本題である“熊”の話を始める。


「で、熊はどうしてるの? 今日、来た?」

「今日はまだですね。そろそろ来るのではないかと思いますが」

「そっか。でも、まあ、大丈夫。瀬利奈ちゃんは凄腕の獣使いだから、熊のことは任せて!」


 どん、とセレネさんが胸を叩いて、私は思わず隣にいる彼女の腕を掴む。


「ちょ!? セレネさんっ。話を大きくしないでください」

「話なんて大きい方が良いから。どんどん大きくしていこう!」

「いや、駄目ですって。期待値を上げられると、つらいです。ていうか、セレネさんはルノンさんとどういう関係なんですか?」


 話を雪だるま式に大きくされても困るので、私は別の話題を振った。


「あれ? 言ってなかったっけ? あたし、この村の出身だって」

「今、初めて聞きました」


 唐突に明かされた事実に、村の人と親しげな理由がわかる。

 熊語が話せるというのも、熊の国との境に住んでいるからなのかもしれない。


「編集長もここの出身だから」

「え? じゃあ、サカナさんやコテツさんも?」

「二人は違うよ。で、ルノンちゃん。お隣の熊さん、話し合いするつもりがないんだっけ?」

「え?」


 ちょっと待って。

 それも聞いていない。

 さらりと告げられた恐ろしい事実に、私はルノンさんを凝視することになる。


「ええ。言うことを聞いてくれないんですよ。こちらの話は理解しているみたいなんですが、話し合いをするつもりはないようです。だから、獣使いさんに何とかしてもらおうと思って」

「だって、瀬利奈ちゃん」

「……あの、出発前にサカナさんが“話し合いができます”って言ってましたけど」


 言った。

 サカナさんは確かに言った。

 熊と話し合いができると。

 聞き間違いではない。

 熊が話し合いをするつもりがないなんて、聞いていない。


 おそらくあえて隠されていたであろう情報に、背筋がぶるりと震える。


「できるけど、したくないっぽいね。だから、瀬利奈ちゃんが頑張るしかないってこと! 言うことは聞かないみたいだけど、言葉は通じてるからなんとかなるんじゃないかな」

「そんな無責任な」


 セレネさんのなんとかなるという自信の出所がわからない。


 言葉が通じているのにも関わらず、言うことを聞かないなんて、ものすごく駄目なパターンなのではないだろうか。友好的じゃないし、和平案を蹴っ飛ばしてゴミ箱にナイスシュートしているようなものだ。


 命とさようならする日が近づいているのかもしれない。


 短い人生だったと世を儚んでいると、後ろからにゃーにゃーと猫の鳴き声が聞こえてきてくる。


「熊が来ました!」


 ルノンさんの声が響き、振り向くと畑の端っこに熊が二匹。


 距離にして十メートルほど向こうに真っ黒で胸の部分に白い毛が生えている熊と、黒い熊よりも大きくて茶色が薄くなったような色をした熊がいた。


 説得をしているのか、数匹の猫が遠くから熊に話しかけるようにくおーくおーと鳴いている。けれど、それも長くは続かなかった。


「ブフォー!」


 地鳴りのような低い声で熊がうなり、猫が逃げ出し、一緒に私の肩もびくりと震える。隣を見れば、乙女が目を丸くしていた。


 熊はと言えば、周りに猫が一匹もいなくなったことを確認してから、畑を掘り返し、野菜を投げ捨てていく。どうやら、野菜を食べることを目的としているわけではないようだ。


 そもそも、食べ物なら畑の向こうにある森にたくさんありそうだ。ちょっと怖い雰囲気もあるけれど、食べるものには事欠かなそうに見える。それに猫の国のように、熊の国でも食べるものくらい作っていそうだ。


「胸が白いヤツがツキノワグマで、茶色っぽいのがハイイログマだね。瀬利奈ちゃん、どう? 可愛くない?」


 畑を荒らす熊を見ながら、セレネさんがのんびりと言う。


「可愛いか、可愛くないかで言えば可愛いですけど……。でも、めちゃくちゃ畑荒らしてますよ? あれ、本当に襲ってこないんですか?」


 正直なことを言えば、怖い。

 今は熊たちの興味が畑にしかないことがわかるから話をしていられるけれど、こちらに向かってきたら逃げ出す自信がある。


「今まで襲われた猫はいません。今日も襲わないとは限りませんが」


 ぐるり。


 ルノンさんの声が聞こえたみたいなタイミングで、熊二頭がこちらを向く。おまけに牙も剥いていて、殺気みたいなものを感じる。


「ブッフォー!」


 低く吠えて、熊たちが四つ足でこちらにのしのしと向かってくる。


 ツキノワグマの方は、それほど大きくない。

 問題は、ハイイログマだ。

 大きい。

 すっごく大きい。

 頭から丸かじりされそうなほどで、私はじりじりと後ろへ下がる。


「――こっちに向かってきてますけど」


 熊との距離を一定に保ちながらルノンさんに告げると、熊が畑からスイカを一玉むしり取る。声を上げる間もなくそれが投げられ、頭の上を通過していく。


「うにゃー!」


 後ろにいた猫たちが逃げ、さらにスイカが投げられる。

 当たったからと言って死にはしないだろうけれど、怪我はするかもしれない。

 私たちは、車に向かって駆け出す。


「今までもこんなことが?」


 走りながら問いかける。


「こんな風に攻撃してきたことは、なかったです」


 ルノンさんの驚いたような声と一緒に、フガフガという呼吸音が聞こえてくる。


 ヤバイ。

 すごくヤバイ。


「リナ、熊が追ってきてる!」

「知ってる」


 死ぬ気で足を動かす。

 でも、速度はほとんど変わらない。

 ふくらはぎが痛い。

 そう言えば、筋肉痛だった。


 死ぬ。これ、絶対に死ぬ。


 生命活動を終える覚悟した瞬間、熊が私たちを追い越していく。


「え?」


 視線の先には、まるまるとしたお尻。

 その向こうにはジープが一台。

 でっかい体からは想像できないスピード。

 熊たちは車に体当たりをした。


「ええ!?」


 思わず大声を出す。

 足も止まる。

 周りを見れば、みんな走ることをやめていた。


 だって、私たちが乗ってきた車がひっくり返ったんだもの。

 驚きもする。

 さらに言えば、熊たちがタイヤに牙を立て、ドアを引きちぎっている。


「セレネさん。私、触れば熊だって魅了できるんですよね?」

「編集長がそう言ってから、触ることができれば魅了できるよ。あの人、見る目は確かだからね。能力の見立てが外れたことないし、瀬利奈ちゃんならどんな動物も魅了できるはずだよ」


 隣でセレネさんが自信たっぷりに言う。


「じゃあ」


 私に任せて下さい、と言うつもりだった。

 けれど、セレネさんに腕を掴まれる。


「――だけど、今は駄目。あの熊、かなり気が立ってる」

「でもっ」

「初めて編集長以外の猫を操るっていうのに、あの状態はちょっとね。ぶっつけ本番には適さない。今日は帰ろう」


 セレネさんが珍しく真面目な声で言って、私を引っ張る。


「でも、車壊されちゃいましたし、畑だってまた荒らされるかも」

「だからだよ。車を目の前で壊すなんて、今までなかったことしてるんだから危ない。そうだよね、ルノンちゃん」

「ええ。小屋を壊されたことはありますが、猫がいないときでした。まさか目の前で車を壊すなんて……」

「それでも、触るだけなら」


 怖くないわけじゃない。

 でも、放っておくわけにはいかないと思う。


 熊は、今までになかったことをしている。

 と言うことは、猫を襲うかもしれない。

 私たちだって、襲われるかもしれない。

 それに車がなければ帰れないし、ジープの解体作業に勤しんでいる今なら、触れる可能性がある。


「駄目、帰るよ。一度村に戻って、車を借りる」

「ねえ、熊がこっち見てるよ」


 乙女の声と同時に、タイヤだったものが飛んでくる。

 威嚇なのか、ゴムの塊は私たちから離れた場所に落ちたけれど、心臓がぎゅっと縮まったような気がした。


「今までとは、熊の様子が違います。一度、村まで戻りましょう」


 ルノンさんが有無を言わせぬ口調で言う。けれど、それを否定するように「獣使いらしく働きなさいよ」という勇ましい声が聞こえ、ルノンさんの後ろから犬くらい大きな猫が一匹姿を現す。


「操らないなら、あんな熊くらい人間らしく撃ち殺したらどうなの」


 不穏な台詞を口にしたのは、後ろ足ですっくと立った猫だった。

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