第10話 ケット・シーの国ってどんな国?

「ケット・シーの国って、ケット・シーって生き物が住んでるんですよね?」


 私は、素直に疑問を口にする。

 猫の国に住んでいる生き物を考えれば、ケット・シーの国にはケット・シーが住んでいるはずだ。でも、ケット・シーがどんな生き物かわからない。


 私は答えを聞き逃さないように、立ったままの猫耳をぴくぴくと動かした。


「ケット・シーは、人の言葉を喋る猫の妖精だ。当然、そいつらが住んでる国がケット・シーの国で、今日はそこから使者が来ている。でも、人間。管理局は遠いからな? いいか、セレネの真似をして行ったりするなよ」


 ケット・シーがどんな生き物か見たいけれど、タロウ編集長に言われるまでもなく、管理局とやらがどこにあるかわからないまま飛び出すほど私は無鉄砲ではない。


 とりあえず、「行きませんよ」とここから離れるつもりがないことを宣言してから、ケット・シーについてさらに話を聞くことにする。


「人間の言葉を喋る猫がケット・シーなら、人間の言葉を話しているこの編集部の皆さんもケット・シーみたいなものじゃないんですか?」

「人間、お前話をちゃんと聞いてなかったな。ケット・シーは、妖精だ。見た目は猫だが、猫じゃない。猫の姿のまま人の言葉を喋る」

「え、そんな私に優しい生き物なんですか? 猫語喋れなくても大丈夫じゃないですか」


 ケット・シーの国へ行けば、猫語がわからない私でも猫とお喋りできるわけだから、ケット・シーの国は夢の国も同然だ。それに、猫の妖精なら猫みたいなものだし、話し合いができれば触らせてもらえるかもしれない。私でも、触れるかもしれないのだ。


 行きませんよ、とさっき言ったけれど、前言撤回したい。私は今すぐ管理局とやらへ行って、ケット・シーに会って話をするべきじゃないのだろうか。


「リナ、なんか怖いオーラ出てる。たぶん、ケット・シーも怖がると思う」

「……あの、乙女。私、まだケット・シーに会いに行くって言ってないんだけど」


 隣からかけられた思いもよらない声に抗議する。

 だって、さっきのは脳内会議状態でまだ口にしていない。


「でも、行きたいって思ったでしょ?」

「思ったけど。そんなにケット・シーに会いたそうな顔してた?」

「してた」


 お吸い物くらいあっさりと断言されて、私はうなだれる。


 飼い猫に伝わるほど、頭の中味がだだ漏れになっているなんて。

 ちょっと、いや、かなりショックだ。


 こんなにも読まれやすい思考だから、動物が逃げていくのかもしれない。

 私が己の正直すぎる顔とオーラを恨みながらぐったりとしていると、追い打ちをかけるような言葉がタロウ編集長から投げつけられる。


「あのな、人間。ケット・シーはお前が考えているほど、簡単な奴らじゃない。義理堅いが、荒っぽい奴らもいる。猫にすら触れないお前が行っても、ろくな事にならんぞ」

「まずは猫から、ってことですか?」

「そうだ。さっさと猫を触れるようになれ」

「が、がんばります」


 やる気を見せたいところだけれど、猫という猫に逃げられている現状を考えると体から力が抜けていく。こんにゃくみたいにへろへろになった私は、乙女の肩に寄りかかる。

 そんな私を見かねてか、サカナさんが明るい声で言った。


「そうそう、瀬利奈さん。この世界には、ケット・シーの他にも色々な生き物がいるんですよ。どこかに、瀬利奈さんが触れる生き物がいる国もあるかもしれませんね」

「そんな国があるなら、ドラゴンとかユニコーンの国へ行って触ってみたいです」


 あるわけないよねー、と思いながらも願望を口にすると、サカナさんが当然といった口調で言った。


「触れるかどうかはわかりませんが、どちらの国もありますよ」

「え? あるんですかっ」


 液状化寸前の私の体に、生き生きとしたキャベツよろしく芯がしゃっきりと通る。


 背筋が伸びて、視界は良好。

 気分も爽快。


 ゲームに出てきそうな生き物に会えるかもと思ったら、元気いっぱい胸いっぱいだ。獣使いの能力を使えば、ドラゴンもユニコーンも魅了できるかもしれないと思うと力ががんがん湧いてくる。


 触れるかどうかという問題もあるが、それはゴミ箱に投げ捨ておく。

 現金な人間と言われても良い。

 伝説上の生物と思われている生き物がいると聞いて、元気にならない人なんて人間じゃない。


「ケルベロスとかそういう奴らもいるぞ」


 タロウ編集長が私を喜ばせる言葉をさらに積み重ねる。

 当然、私のやる気メーターはぐんぐんと上昇する。


「ケルベロスは、頭が三つあるわんちゃんですよね?」

「わんちゃんと言うほど可愛いかは知らんが……。冥界の番犬と呼ばれているくらいだから、犬の一種と言えばそうかもな」

「ドラゴンとかケルベロスとかの国って、どこにあるんですか? 私、会いに行きたいです」


 思わず前のめりになる。

 伝説上の生物に会えるチャンスなんてそうそうない。それに、いかつい生き物なら私の愛を怖がらずに受け入れてくれそうな気がする。人間界にもいそうな動物だけが、私の好き好きオーラに恐怖を感じるという可能性だってある。


 ――ユニコーンはともかく、ドラゴンとかケルベロスはいかつすぎて私が恐怖しそうではあるけれども。


 そんなことを考えていると、隣からのんびりとした声が聞こえてきた。


「あのね、ケルベロスの国は遠いよ。どれくらい遠いかって言うと……。えーと、ケルベロスの国ってどこでしたっけ? 編集長」

「セレネ、お前なあ。わからないなら、口を挟むな」


 タロウ編集長が呆れたような顔をして、溜息をつく。だが、セレネさんはまったく気にしていないようだった。


 コテツさんと同じくらいか、ちょっと下くらいの年齢に見える彼女は酷くマイペースな性格ようで、今はケルベロスのことなどどうでもよくなったのか鮭をむしゃむしゃと食べている。長い黒髪はとても綺麗で落ち着いていそうに見えるのに、中味はまったく違うらしい。


 自分のペースを崩さないセレネさんは、猫らしいと言えば猫らしいような気がする。それに比べると、細かい性格に見えるタロウ編集長は猫らしくない。


「ドラゴンもユニコーンもケルベロスも、国はここからかなり遠い場所にある。いくつも国を超えていかなきゃならんから、歩いていくとか無理だぞ」


 カチャカチャと食器を片付けながら、タロウ編集長が言う。


「歩きが無理って。そういう遠い国に行くときは、どうするんですか?」

「一応、この国にも人間界と同じ乗り物がある。だから、行くならそれに乗ればいい。ただ、俺たちはドラゴンやユニコーンの国に行ったことはないぞ」

「行くのが嫌になるくらい遠いんですか?」

「遠いことは遠いですが、問題はそこではないですね。他の国のことには、あまり興味がないんですよ。僕たちは」


 そう言って、コテツさんが立ち上がり、トレイに食器をのせていく。私も手伝おうとしたけれど、コテツさんに「座っていてください」と制止される。


「隣の国と上手くいっていれば、他はそれほど関係ないですからね」


 興味がないといった雰囲気でコテツさんが言う。そして、それに同調するようにタロウ編集長が付け加えた。


「用もないのに、わざわざ会いに行くことはないからな」

「だからこそ平和とも言えますね。関わりが増えれば揉め事も増えますから、用もないのに他国へ行く必要はないでしょう」


 サカナさんも興味がないらしく、さっくりと言い切る。


 猫編集部の考え方は理にかなっている。面倒なことを増やしたくないなら、関わり合わないことが一番だ。

 私からしたらそれは少し、いやかなりつまらないことだけれど、猫の国で争い事が起こるよりは良いと思う。


 でも、ケット・シーの国の使者を見に行こうとしていたセレネさんは、みんなとは違う意見のようだった。


「あたしは、会ってみたいけどね」


 私とサカナさんの間で、セレネさんが目をキラキラと輝かせる。マイペースな彼女は、好奇心旺盛でもあるらしい。

 面白い人だなあとセレネさんを見ていると、彼女は思い出したように「そうだ」と大きな声を出した。


「瀬利奈ちゃん、あたしはセレネ。よろしくね」


 にこりと笑って、セレネさんが握手を求めてくる。


 そう言えば挨拶がまだだった。


 私が慌てて「よろしくお願いします」と言いながら彼女の手を握ると、腕が引き千切られる勢いで上下に振られた。


 やけに元気が良くて、掴まれた手がかなり痛い。

 でも、セレネさんはまったく気にしていない。

 それどころか、わくわくとした顔をして私を見ている。


「瀬利奈ちゃんは、これからどうするの?」

「外で、猫を触る練習をしようかと」

「みんなに聞いたけど、猫に近づけないんだっけ。猫じゃらしでも持っていけば? サカナさん、持ってたよね?」

「ありますよ。持ってきますね」


 テーブルを片付けようとしてたサカナさんが猫じゃらしを取り行き、私に手渡す。


「あー、実はエノコログサで試してみたんですけど、乙女が釣れてしまって」


 受け取ったものの、猫じゃらしが役に立つかわからない。


 乙女に後ろでも向いていてもらって使うべきか。


 そんなことを考えながら、私は思わず手にした猫じゃらしをゆらゆらと揺らした。


「うにゃー!」


 え?

 うにゃー?


 聞こえてきたのは猫の鳴き声で、隣を見ると乙女は人間の姿で座っている。もしや、と思って見たタロウ編集長も人間のままだった。……二人とも、ものすごくじゃれつきたそうだけど。


 じゃあ、誰の声なのかとくるりと辺りを見回せば、足元に黒猫が一匹。

 うにゃーの主がいた。

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