第7話 本当の気持ち
肉汁たっぷりのハンバーグにサラダ。
もちろん、ハンバーグは大きめ。
体重は気になるけれど、食べ盛り、育ち盛り。夕飯は、全部しっかり胃の中に収まった。人間と一緒に食事をすることが大好きな乙女も、私には美味しいのかどうかよくわからないキャットフードをもりもりと食べて、今は私の部屋のベッドでべたーんと伸びている。
猫の国ではしゃいで疲れたのか、今日は大人しい。お風呂から出てきた私にまとわりつくこともなく、ボール遊びをせがまれることもなかった。
「乙女、大丈夫?」
ベッドの横で、乙女の背中を撫でながら問いかける。
「にゃあ」
うん、何を言っているのかわからない。
わからないけれど、機嫌が良さそうに私の手に体を擦り付けてきているから、調子が悪いということはなさそうだ。
ただ、気になることがある。
私が撫でているとき、乙女の機嫌が良いこと。
もしかしたら、私の能力でそうなっているのかもしれない。
近寄ると動物が逃げていく私だが、撫でた動物に嫌がられたことはない。もっと撫でてくれとせがまれる。動物に逃げられるのに、撫でると懐かれる理由がずっとわからなかったけれど、今ならわかる。無意識のうちに、獣使いの能力を使っていたんだと思う。
じゃあ、乙女は?
私に懐いてくれていると思っていたのは間違いで、乙女の意思とは関係なく獣使いの力で魅了してしまっているだけかもしれない。
「ねえ、乙女。乙女は、本当に私のことが好きなの? 獣使いの力で懐かされているだけじゃないの?」
彼女の背中を撫でながら、心の中にあった疑問を口にする。今、乙女が答えたところで何を言っているのかわからないけれど、不安を溜め込んでいるよりはましだ。
「うにゃ、うにゃにゃあー」
「あー、乙女は鳴いてる姿も可愛いねえ。でも、やっぱりなに言ってるかわかんないや。土曜日に教えてね」
ふわふわの頭を両手でわしゃわしゃと撫で回して、乙女の額にぶちゅーと何度も唇を押しつける。
私は、人間ではなく猫の乙女だからこそできるスキンシップを楽しむ。髪を触ったり、抱きついたりするくらいならいいけれど、人間相手にキスを気軽にできるほど海外文化を取り入れていないのだ。
ざっくり雑に可愛がることができる猫という存在は尊い。
うん、素晴らしい。
そんなことを考えながら乙女を撫でていると、唐突にぽんっという音が部屋に響いた。
それは聞き覚えのある音だが、この部屋では聞こえてはいけない音で、私の目の前に美少女が現れる。
「獣使いは関係ないよっ」
乙女のそれなりに大きな声が響く。
人間界でむやみやたらに変身してはいけない。
そんな掟があると楓さんは言っていたが、乙女は掟をどこに投げ捨ててきたのか人間の姿でベッドを飛び降り、私にくっついてくる。そして、べろりと私の頬を舐めた。
「ちょ、乙女! なにすんのっ」
「舐めた」
「いや、言われなくてもそれはわかる」
飼い猫とは言え、今の乙女はお姫様みたいな容姿をした人間だ。ほっぺたを舐められるとか、心臓に悪い。猫だとわかっていても、ドキドキする。このままでは何かまずいことになりそうな気がするが、乙女は私の気持ちなどお構いなしに頬をもう一度舐めた。
「わー、待って、待って。舐めたらだめだって。あと猫に戻って、猫に」
「やだ」
「やだじゃない。というか掟! 掟はどこいったの」
「だって、猫だと言葉通じないもん」
「そうだけど。話があるなら、土曜日で良いでしょ」
「良くない。今、言いたいの。わたし、リナが獣使いだから好きなんじゃないよ。だって、リナに撫でられる前から、初めて会ったときからリナのこと好きだもん」
乙女が怒ったように言い、すりすりと頭を私の肩に擦り付けてくる。柔らかな茶色の髪がふわりと頬に触れ、猫の時と同じ日なたの匂いがしてくる。人間の姿をしていても変わらない乙女に、暴れていた心臓が少し落ち着く。
「そうなの?」
「そうだよ。撫でられるの好きだけど、撫でられなくても好きだもん。絶対に、リナが獣使いとか関係ないからね」
余程、自分の想いを否定するような私の言葉が気に入らなかったらしく、強い口調で乙女が言った。そして、甘えるように私の右腕をむぎゅっと抱きしめてくる。
「そっか。それなら嬉しいな」
乙女の言葉が本当か確かめる術はない。
でも、彼女の言葉を信じた方が精神衛生上良い。獣使いの力で乙女が懐いているのだとしても、彼女が関係ないと言うのなら、それを真実にしてしまった方が幸せだ。
それに、サカナさんが言っていた。
獣使い初心者の私は、魅了できる時間が短いのだと。
その言葉が本当なら、乙女を魅了していたとしてもすぐに効果が切れているはずだ。だから、まあ、たぶん、きっと乙女が言うように、獣使いの力とは関係のないところで彼女は私のことが好きなんだと思う。
じゃないと、落ち込んでしまう。
私は、わりと繊細なのだ。
「私も乙女が大好きだよ」
そう言って、乙女の髪を撫でると、また毛繕いをするようにぺろり頬を舐められる。おかげで、心臓が縄跳びをするみたいにどくんと跳ねて、私は乙女の頭を体から離すように押した。
「舐めたらだめ」
「なんで?」
「人間は、人のこと舐めたりしないから」
「わたしは、人間になっても猫だもん。リナのこと大好きだから舐めるの」
確か、猫にとって舐めることは愛情表現。
乙女が猫だということを考えれば、大好きの表現方法としては妥当だ。でも、人間の姿で猫にとっての愛情表現を選択するのはよろしくない。私の心臓にとって、とてもよろしくない。
「舐める理由はわかったけど、今日はもうおしまい。猫に戻ってね」
人間の乙女に舐められると、何かイケナイコトをしているような気がして自分の部屋なのに居心地が悪かった。さらに、寿命も縮まりそうなので、早く猫に戻って欲しい。
「つまんない」
乙女がふて腐れたように言う。
「バレたら大変だし、掟があるでしょ。私も乙女とお話したいけど、それは土曜日にたくさんしようよ」
ご機嫌が斜め上あたりに向いている乙女をなだめるように、背中を軽く叩く。すると、渋々といった様子で乙女が猫に戻った。
足元に、猫という名の毛玉が一つ。
頭を撫でてから布団に潜り込むと、催促するようにベッドの下で乙女がにゃーと鳴いた。
「おいで」
布団をめくって、彼女を呼び入れる。
ぴょんとベッドに飛び乗った乙女は、私の頬をべろりと舐めてから布団の中に潜り込んだ。
猫なら、気にならないんだけどな。
ふわふわでもふもふな毛玉のような乙女なら、大抵のことは許せる。けれど、人間の姿のときにはして良いことと悪いことがある。土曜日は、人間としてのルールを教えた方が良さそうだ。
私は、お腹の辺りで丸まっている乙女を撫でながら目を閉じた。
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