第15話 これって命が危ない系?
そう、パンダはとても可愛い。
ただ、可愛くても熊だ。
「ちょっと待って下さい。私、パンダは好きです。ついでに言えば、ホッキョクグマだって好きです。でも、パンダが暴れながら出てきたら、さすがに好き好きオーラを出す自信が……」
私は、もふもふだけでなく動物全般を愛している。この命を捧げてもいいと思ってきた。しかし、実際に命を差し出すような状況になったとき、「くまちゃん、かわいい!」と思えるのかと問われたら自信がない。
弱腰だと言われるかもしれないけれど、私だって自分が可愛いのだ。獣使いである前に普通の女子高生なんだから、暴れ熊と対峙したときに強気でいられなくても仕方がないと思う。
「瀬利奈さん、大丈夫ですよ。通訳がいますから、話し合いができます」
「通訳?」
サカナさんの優しい声に、私の猫耳がぴょこんと反応する。
「セレネが熊語を話せるので、通訳としてついていきます。それに、熊の国の熊は普段は襲ってきたりしませんからね。暴れている熊も、今はまだ猫を襲ったりはしていないと聞いています。だから、とりあえず国境にいる熊は、大きくてもふもふしていて可愛い生き物ですよ」
「大きくて、もふもふしている」
「そうです。しかも、話が通じます」
「大きくて、もふもふしていて、話が通じる」
脳内のリアルな熊がやや柔らかくなり、森のくまさんに近づく。
「話が通じるもふもふ。そう思ったら、熊が可愛く思えてきませんか?」
「――いけそうな気がしてきました」
私は、ぐっと拳を握る。
大きくてもふもふしていて話が通じるくまさんだと思えば、すごく可愛い感じがしてくる。
「襲ってくることはないと思いますが、もしそうなっても瀬利奈さんが触れば落ち着きますよ」
サカナさんがにこりと微笑み、「道中のおやつです」と言って袋をくれる。中を開けて見ると、猫編集部の定番“煮干し”に加えて、チョコレートや飴といった人間向きのおやつも入っていた。
現金な私は、やる気が出てくる。
「人間、無理はしなくていいぞ。管理局の担当は、魅了が無理なら追い返すだけでも良いと言っていたからな。俺としては魅了して熊に自分の国へ帰るように言って欲しいが、怪我をされても困る。あまりにも危ないようなら、何もせずに帰ってこい。管理局には、俺が話を付ける」
珍しく私を気遣うように、タロウ編集長が言う。
「わかりました。でも、魅了できるように頑張ります!」
期待に応えるような活躍ができるとは思えないが、返事は元気いっぱいにする。
やれるかどうかは関係ない。
やろうと思う気持ちが大切なのだ。
努力、根性、愛情。
この三つの言葉があれば、大抵のことは何とかなる。そう、何とかなるのだ。いや、何とかしてみせる。私にできないことはない。
「瀬利奈ちゃん、乙女ちゃん。そろそろ行こうよー!」
気合いで己の脳に“できる自分”をすり込んでいると、セレネさんが勢いよく部屋に入ってきて私の腕を掴む。そして、駆け出そうとするが、それをサカナさんが制止した。
「セレネ、もう少し待っていてください。今、コテツがお弁当を持ってきますから」
その言葉を聞いて、セレネさんが大人しく椅子に座る。私も自分の席に戻ると、サカナさんが優しく笑って「瀬利奈さん、これを」と言った。
「ヘルメット?」
「そうです。車に乗るときに被って下さい」
はい、と手渡された物は、猫耳でも被ることができるように改造された赤いヘルメットで、私は顔にクエスチョンマークを三つほど貼り付けて尋ねることになる。
「猫の国の交通ルールなんですか?」
「違いますね」
「……」
人間の世界でシートベルトの着用が義務づけられているように、ヘルメットの着用が義務づけられているわけではないらしい。それなのに、ヘルメットをもたされるなんて嫌な予感しかしない。
これって、命が危ない系なのでは。
恐る恐るサカナさんの顔を見ると、笑顔を作っていたけれど目が笑っていなかった。
「乙女にも被らせてください」
ヘルメットがもう一つ、私の机に置かれる。
私は笑いたくないという脳に鞭を入れ、ぎこちなく口角を上げて笑顔を作るとサカナさんに尋ねた。
「あの、サカナさん。一緒に行きませんか?」
「私は、読みかけの小説があるので行けません」
躊躇うことなくきっぱりと断られる。
私の口角が情けなく下がったところで、がちゃりと扉が開いた。
「お弁当、持ってきましたよ」
「あっ、コテツさん。一緒にいきま――」
「僕は仕事があるので行けません」
言葉を最後まで紡ぐ間もなく、きっちりと断られる。
二人の態度とヘルメットから予想できること。
それは、これから私が乗る車が危険だということだ。
額につつーっと冷や汗が流れてくる。
「じゃあ、いこっか。瀬利奈ちゃん!」
コテツさんから大きな包みを受け取ったセレネさんが勢いよく立ち上がり、私のところへやってきてむんずと腕を掴む。そして、引きずるように歩き出す。
「ちょ、ちょっと、セレネさん。待ってください」
「早く行かないと今日中に帰って来られないよ! ほら、乙女ちゃんも行こう」
「行く!」
乙女がおやつの入った袋とヘルメットを持って、後を追ってくる。
私は廊下を連行され、乙女はスキップをしながらついてきて、外へ出ればそこには屋根のない車――オープンボディのジープが停められていた。
「古い車ですね」
よく手入れがされていてボロボロではないけれど、ピカピカでもない。昔の映画に出てきそうな雰囲気がある。
「年季が入ってるし、乗り心地は良くないけど、壊れてはいないから」
そう言って、セレネさんが車に乗り込む。
私は運転席から早くと促されて、ごくりと唾を飲み込んだ。猫耳は、しおれた花のように元気がない。
「リナ、乗らないの?」
明るい声に乙女を見れば、彼女はヘルメットを被って後部座席に乗っていた。
これは、安全対策。
ただのお守りのようなもの。
自分に言い聞かせるように心の中で呟いて、ヘルメットを撫でる。
大丈夫! セレネさんは安全運転してくれる。
覚悟を決めてヘルメットを被り、よいしょっと助手席に乗り込むと、追いかけてきたらしいタロウ編集長の声が聞こえた。
「おい、人間。途中で猫を魅了しようとするなよ! あやしい人間に追い回されて怖いと、管理局に苦情がいってるからな」
「……あの、あやしい人間って、私のことですか?」
「お前以外に誰がいるんだ」
この国で猫を追い回す人間なんて、私以外にいない。
それは知っているけれど、随分と酷い物言いに心がみじん切りにされる。しかし、タロウ編集長は容赦しない。
「いいな! 猫に手を出すなよ」
「大丈夫です。そんな余裕ないですから」
人聞きが悪いと思いながらも返事をすると、セレネさんの大きな声が響いた。
「それじゃあ、熊の国へ出発!」
シートベルトを締めると、セレネさんがエンジンをかける。
走り出す、と思ったら、その場でがくんと車体が揺れてシートベルトが体が食い込んだ。
出発しない?
どうしたのかとセレネさんを見ようとすると、もう一度、車がうなり、壊れかけのロボットみたいがくんと揺れた。
「エンストしただけだから、大丈夫だよ」
エンスト?
なんだそれは、と思う間もなく、今度は車が急発進する。
「うわっ」
「ごめんね。古い車だから、オートマじゃなくて」
「オートマ?」
「そう。マニュアル車だから、クラッチっていうのを踏みながら、これガチャガチャしないと進まないの」
セレネさんに促されて手を見ると、レバーのようなものを握って動かしている。なんだかよくわからないけれど、この棒を動かさなければ車も動かないらしい。我が家の車とは違うなーと手の動きを見ていると、スピードがぐんぐん上がっていく。
「ちょ、え? うわっ、わーっ!」
四季折々の花が咲き乱れるのどかな風景の中、飛ぶように車が走る。茅葺き屋根の家も、小さなお城のような家も猛スピードで過ぎ去っていく。
ヘルメット越しでもわかるくらい風の音もすごい。
びゅーびゅーいっている。
体が右や左に揺れる。
エンジンがうなり、スピードがさらに増す。
車が何かに乗り上げて、跳ねて着地する。
風景の流れる速さがおかしい。
――これ、やばいヤツだ。
死が近い。
熊の国に着く前に、命の炎が消えちゃうヤツだ。
「せ、せ、せれ、れねさああんっっ」
私は、情けない声を上げる。けれど、隣から聞こえてきたのはあはははーと楽しそうな笑い声だった。
「瀬利奈ちゃん、楽しいねえ!」
「ス、スピード、は、はやいですって」
「え? もっと速いほうがいい?」
「ちょ、まっ、だ、だめ、だめえええっ」
ぶるんるんっ。
車がご機嫌なエンジン音を響かせる。
背中がシートにくっつく。
スピードメーターは見たくない。
「リナ、すっごく面白いねっ! セレネちゃん、もっと!」
「オッケー!」
「死ぬ、死ぬからっ! スピード落としてくださいっ!」
私の抗議も空しく、車は速度を上げた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます