猫と行く初仕事の旅

第13話 私にできること

 猫の国で匍匐前進を続けてかれこれ二週間が経ったが、私は未だに猫に逃げられている。この国に来てから今日までに触ることができた猫は、私に懐いている乙女とセレネさん、そして引っ捕らえられ、私の前に連れて来られたタロウ編集長だけだ。


 この編集部の雇われ編集部員となってから二週間、状況は何も変わっていない。


 今日も今日とて猫との追いかけっこに疲れ果て、とぼとぼと猫編集部へと帰る道を歩いている。逃げ去った猫は十五匹。猫を撫でるという行為がこんなにも難しいものだとは思わなかった。


 今まで自分は普通だと思っていたけれど、ここにいると普通ではないように思える。

 いや、人間の世界ではどこにでもいる普通の高校二年生なのだ。


 青春まっただ中、充実した毎日を送っている。

 五月に入って、新しいクラスにも慣れてきた。

 勉強だって、まあまあできている。

 連休中の今日も、午前中は学校に行ってきた。


 でも、猫の国ではただのポンコツ女子高生だ。

 私は溜息をつきつつ、猫編集部の扉をノックする。


「戻りました」


 静かに挨拶をして乙女とともに席へ戻ると、タロウ編集長の視線が突き刺さる。無言の圧力を感じた私は、「残念ながら」と前置きをしてから事実を伝えた。


「やっぱりダメでした」

「今日も、猫がすごい勢いで逃げてたよね」


 乙女が楽しそうに一言付け加える。


「それは言わなくていいから」

「人間、お前はどうして無になれないんだ」


 タロウ編集長がこの世の終わりのような声で言い、大きな溜息をつく。目には壊れたおもちゃでも見るな哀れみが浮かんでいて、怒鳴られるよりも心にくる。私の繊細なハートは、ざっくりざくざく刻まれてみじん切り状態でダウン寸前だ。

 だが、この一言は言わねばならない。


「猫が可愛すぎるのがいけないんですよおおおっ」


 私は勢いよく椅子から立ち上がり、思いの丈をぶちまける。

 がおおおおっとトラかライオンにでもなった気分で、凜々しく拳も握る。けれど、隣で乙女が「リナ、面白い」とか言っているせいでイマイチ格好がつかない。さらに、向かい側からサカナさんがのんびりと声をかけてくる。


「まあまあ、瀬利奈さん。煮干しでも食べて落ち着きましょう」


 言葉とともに、煮干しが山盛りになったお皿とお茶をコテツさんが運んでくる。そして、煮干しタイムがやってきて、編集部はバリバリボリボリという煮干しを噛み砕く音に支配された。


 猫の国っぽいなあ。


 煮干しの匂いが充満する編集部にいると、そんな感想しか出てこない。セレネさんはサボっているのかこの部屋にいないけれど、みんな無言で煮干しを貪り食べている。お茶菓子が煮干しだということに慣れてきた私も、煮干しを頬張る。


 これ、意外に美味しいんだよね。

 ちょっと苦いところがあるけれど、それがアクセントになっていてどんどん食べられる。


 周りを見れば、みんなのお皿には煮干しが一匹も残っていない。窓際の空間に置かれたテーブルの前、正座をしているコテツさんのお皿も空になっていた。


「コテツさん、足しびれませんか?」


 私は煮干しを食べつつ、問いかける。


「しびれませんね。僕にとっては、こっちの方が楽なので」


 ぴっと背筋を伸ばして正座しているコテツさんは、涼しい顔をしていた。

 アイロンがかけられた小綺麗なズボンにワイシャツを身に纏った彼は、いつもあの場所で仕事をしている。と言っても、本を作っているわけではない。お金が大好きなコテツさんらしく、経理を担当している。


「瀬利奈さんも正座をしたら、仕事が捗るかもしれませんよ」

「猫が懐くなら正座もいいですけど」


 電卓を叩くコテツさんを見ながら返事をすると、愛想が欠片もないタロウ編集長の声が聞こえてくる。


「無理だな」

「そんなすっぱり言わなくても」

「馬鹿なことを考えていないで、さっさと仕事をしろ。猫に触れなくても何かできることをやれ」


 ええー。


 と言う叫びは口に出さずに、心の中に留めておく。

 しかし、仕事をしろと言われても私にできるようなことは思い浮かばない。何しろ私は、猫への聞き込み以外にすべきことを聞いていないのだ。ついでに言えば、その聞き込み調査の結果が何の役に立つのかも知らない。


「あの、タロウ編集長。私にできることって何ですか?」


 ここへ来てからというもの猫と追いかけっこしかしていない私は、ストレートに聞くしかない。


「本を作る以外に何をするつもりなんだ。お前は」


 私の仕事が本を作ることだということは、しっかりと記憶に残っている。でも、作る本の内容までは聞いていない。


「どんな本を作るんですか?」

「猫による猫のための本だ。俺たち猫が読みたくなる本を作る。ここは、猫が読む本を作る編集部なんだから」


 まあ、確かに。


 猫が集まって作るのだから、猫が読む本を作るという言葉に違和感はない。でも、私が見た本を読んでいる猫はサカナさんだけだから、猫に需要がある本というものが想像できない。


「猫が読みたくなるなら、人間の本でも良いんですか? サカナさんがよく小説を読んでますけど」

「サカナを基準にするな。サカナは、どんな本でも読む本好きの変わり者だ」


 ですよね。

 知ってました。


 心の中で答えて、私は考え込む。

 こうなると、どんな本を作りたいのかさらにわからなくなる。


「いいか、人間。とりあえず、ここでは人間の世界で言うところの週刊誌みたいな本を作る」

「もしかして、獣使いとして猫の秘密を聞いてくるってスキャンダルをすっぱ抜くってことだったんですか?」


 猫の秘密を聞いてこいという指令と週刊誌という言葉が頭の中でピコーンと繋がって、下世話な写真週刊誌や女性誌のようなものが浮かぶ。


「簡単に言えば、そういうことだ。猫の国の歴史をまとめた本を出したら、売れなかったし、読まれなかったからな。路線を変えることにした」


 どうやら、作るべき本は頭に浮かんだ雑誌たちで正解らしい。


「本を作る目的って、利益を出すことなんですか?」

「利益なんぞどうでも良い。最終目標は、猫が真面目に働きたくなる本を作ることだ。そして、この国の猫を働き者に変える」

「働き者?」

「そうだ。猫は怠けてばかりで駄目だ。もっと真面目に働いて、この国を良い国にする必要がある。そして、人間の世界でも本を出す」

「……無理なんじゃ」


 私は、周りを見る。

 サカナさんは小説を読み、乙女は居眠りをしていた。

 セレネさんは、職場であるこの場所に来てすらいない。

 コテツさんはせっせと電卓を叩いているが、お金が関係しないことで働くとは思えない。


「こういう怠けた奴ばかりだからな。俺は、猫が真面目に働くようになる本を作るんだ」


 タロウ編集長がぐるりと辺りを見回して、理想に燃えた目で言った。


「でも、タロウ編集長も用もないのに隣の国に行くことはないみたいなこと言ってたじゃないですか。それは怠け者じゃないんですか?」


 私は、頭に浮かんだ疑問を口にする。


「隣の国は知らん。俺には関係ないからな。だが、猫の国は俺が住んでいる国だ。良い国の方がいいだろ」

「それはそうですけど。そもそも、猫って本を読むんですか? サカナさんは読んでますけど」

「サカナみたいに本を読む猫は少ないな。だから、まず本に興味を持ってもらう。そのために週刊誌みたいな本を作って本は楽しいものだと教えてから、目的の本を広める」


 タロウ編集長が、バンッ、と机を叩く。そして、胸を張った。


「これが俺の計画だ」


 猫だったら髭がぴんっと伸びていそうな誇らしげな顔をして、言い切る。


「そういうわけだから、猫から週刊誌を作れるようなネタを聞き出してこい」

「……努力はします」


 私は力なく答える。

 努力でどうにかなるなら、もうすでに猫を撫でまくっている。毛がなくなるほど撫でまくっている。しかし、撫でられていないのだから、努力ではどうにもならないのだ。


 実は近所の犬を撫でられないか試してもみたけれど、逃げられている。散歩途中の犬に近づこうとした結果、犬は飼い主の後ろに隠れ、尻尾を足の間に入れぶるぶると震えていた。きゃんきゃんと情けない声で鳴いてもいたから、かなり怖かったんだと思う。


 悪いことをした。

 反省している。


 ちなみに、私が動物園の触れ合いコーナーへ行くと、小刻みに震えた動物たちが私を遠巻きに見るという現象が起こる。


 もう、生まれ直した方が早いのかもしれない。

 そんなことを考えていると、電話が鳴って、受話器を取ったタロウ編集長が猫語を喋り始めた。


「瀬利奈さん、今日は早めに帰るんじゃなかったんですか?」


 サカナさんに声をかけられて時計を見ると、約束の時間が近かった。


「そうですね。帰らないと」


 門限はないけれど、今日は母親から早く帰るように言われている。

 私は居眠りをしている乙女に声をかけて、立ち上がる。


 鞄の中に筆記用具を放り込み、んにゃーと伸びをする乙女を見ていると、タロウ編集長がやけに真面目な声で言った。


「ちょっと待て、人間。お前の世界は、もう連休だよな?」

「ゴールデンウィークですね」

「じゃあ、明日、朝からここに来られるか?」

「来られますけど。何かあるんですか?」

「ある。練習じゃなくて、本番だ。獣使いとして、隣の国へ行ってもらいたい」

「え、本番? 私、まだ猫に近寄れないんですが……」

「猫に近寄れないことは問題ない。詳しいことは明日話すから、とにかく乙女と一緒に朝から来てくれ。初仕事だ」


 タロウ編集長が眉根を寄せ、面倒くさそうに溜息をつく。


 断るような雰囲気でもないし、断る理由もない。

 猫には触れないけれど、私は猫の国が気に入っている。できることなら、毎日でも来たいくらいだ。


「わかりました」


 初めての仕事がどんな仕事かはわからない。

 できるかどうかもわからない。

 それでも、私は元気よく返事をした。

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