第10話 平凡な僕と重責
◆
胸。胸。そして輝くピンクパールのような乳首。
その清楚さと対照的な紅い鳳凰の入れ墨。
目の前のモデルが乳首を立てている。もしかして興奮しているのだろうか?
紅と風呂に入ってから、僕はヌードデッサンが進まなくなった。モデルの身体を見ては性的な妄想を浮かべる。
妄想する身体はいつも紅の引き締まったナイスバディ。何を食べたらあれだけ胸が大きくなるのか。尻はぷりんっと肉付きが良く触り心地も良い。僕の筋肉質な真っ直ぐな尻とは違った柔らかさ。
母の胸は紅のふんわりとした乳とは違い、筋肉質だった。ボディビルダー並みに鍛えた筋肉。胸も筋肉の塊で出来ていて平らに近い。僕は朝の訓練しか参加していないから筋肉はそれ程、付いていない。
組長になる女は母のように逞しい筋肉質で、鍛え上げられた身体を作らなければならないと僕はなんとなく思いながら生きてきた。鬼姫もイチも鋼のように鍛え上げられた美しい筋肉を持つ女性達だ。
紅はあのような柔らかい、マシュマロのような身体で僕と闘うのだろうか。きっと乳首を吸ったら甘くて白いミルクが出てくるに違いない。そして紅が瞳を濡らして……僕の名を呼ぶ。
その時、チャイムが鳴った。
「はい、そこまで」
美術の先生が用紙を回収していく。
ヤバい。ちょっと胸のラインだけ取ったデッサン。いやちょっとじゃない。胸しか描いてない。
皆が描き終わった用紙を出す中、僕は全然出来てないまま回収された。
「烈、あれなんだったの? お
「いや、む、胸……」
「胸……、そ、そうだったんだ。胸、胸ね」
ミコが頬をピクピクさせながら頷いた。
「ねぇ、進路決まった?」
「うーん」
先生に回収されていく皆のデッサンをちら見する。上手い。
新宿芸大へ、そのまま内部進学する生徒が多いのだろうなと予想した。
「デッサン……も出来ない僕が芸大か……」
でも他に出来るものもない。美術系に進むのは子供の頃からの夢だ。この学校は芸術系の授業に特化していて、他の学部用受験科目はギリギリの単位数だと学校案内に書いてあった。高校生プロ画家や音楽家も珍しくない。
血痕式で僕が勝てば、宮組を一大オタク会社にも出来る。
エロく、それでいて清楚なアニメを作って、オタク劇場を作って、アニメグッズ屋を作って、それから……。
それから、僕はどうしたいのだろう。
新生宮組になったオタク企業の経営者になるのか? それとも絵を描いて生きていくのか? ナウシカの作者のように。
「饅頭……」
僕の絵は売れるのだろうか。
いや、オタク企業になった宮組を経営していけば好きな絵を描いて生きていける。
しかし宮組の人はオタク企業になってもついてきてくれるだろうか。そこには社長としてのカリスマ性が必要で。
「どっちを向いても出来る気がしない」
いっそ、紅を連れて逃げる。
いや、僕は紅を養っていけるだけの給料を稼げるのだろうか。
そもそも自分が毎月使ってるオタク費用も
「なんかどっちを選んでもバッドエンドだ」
「なーにさ、バッドエンドって。烈は新宿芸大に行かないの?」
「うーん、行く以外の道がないんだけど」
「一緒に芸術系に進まないの?」
「どうしよう。僕、ミコみたいに才能ないしさ」
「そこは訓練あるのみじゃない?」
「うーん」
「進路希望用紙提出日は月曜日だし、ご両親とも相談してみたら?」
「うーん。でもほら、嫁入りするし。あ! 学費、どうするんだろう。え? 今からバイト?」
親には先日のゴタゴタのせいでお金の話がし辛い。
「……その辺りから話し合ったほうがいいかもね」
「うん」
いくら婚約相手が大好きな紅だからといって、僕は借金と交換で女(おんな)宮(みや)家(け)に入る身。大学に行かせて貰いたいなど言いにくい。
暗い気分のまま、僕は紅の家へと向かった。
ビルの地下駐車場から自宅用の階へ向かう。自宅は宮組の本部にもなっているから、二十四時間組員達が詰めている。
「お帰り、烈」
紅はビルに在宅している時、いつも僕を出迎えてくれる。そしてハグとキス。最初、キスがあまりにも濃厚過ぎて舎弟達の前でするのが恥ずかしかったが、三日程で慣れた。慣れって怖い。
部屋には秘書兼ボディガードのコードネーム・ヒルがいる。朝担当のアサはショートカット、ヒルはボブ、ヨルはロングと髪型が違う。外にいる時は黒いサングラスを着けているが、皆、秘書の時は眼鏡だ。ブルーライトカット付きらしい。今もヒルは凄い勢いでキーボードを叩いて仕事をしている。
「あの、紅。ぼ、僕、アルバイトがしたいのだけど」
「アルバイト? 生活費は鬼姫に、小遣いも渡しているが他に買うものがあるのか?」
「……大学の学費とか」
「学費は私が払う。ご両親にもそう伝えた。そういえばそろそろ進路を決める時期か。ソファーに座って話そう」
僕らは紅の仕事部屋にある来客用ソファーに座った。
紅が横に座り、そっと僕の肩を抱く。
「君の家の借金は、君が女宮に来た段階で支払われている。まだ婚約段階とはいえ君はもう女宮の者だ。だから好きな進路を考えるといい。海外の大学に行きたいと言えばそれも叶う。私はそちらで働くから」
「そうなの?」
「勿論。烈は何になりたい?」
「僕……昔からデザイン業界に入ろうと思っていたんだ。ナウシカって漫画、知ってる? アニメ誌に連載されていた有名な古典漫画なんだけど。そこに描かれたクシャナ姫とかそういう女性に憧れて、ああいう漫画とかアニメを描いて暮らしたいって思ってた。でも僕が描くと『へたうま』って言われて炎上するんだ」
「ヘタ馬!?」
ヒルが手を止め、視線をこちらに向けた。
「なんだ、ヒル。知っているのか?」
紅が訊ねるとヒルは声を少し裏返して言った。
「い、いえ。失礼しました」
ヒルは視線をパソコンに戻すが、キーボードを打つ手はゆっくりになった。
「これ、僕が描いた一コマ漫画」
僕はスマホを取り出し、紅に見せる。
「……昨日? このおでん串みたいなのと馬は何を現している?」
「え? おでんなんて描いてないよ。こっちがミコで、こっちがミコに跪いているホスト。題名は『歌舞伎町に現れる姫と王子様』」
「……ほう。一コマ漫画というのは奥深いな」
紅が深く頷く。
「私は漫画への
「はい」
紅に呼ばれたヒルがこちらを見た。
「お前はオタク産業に詳しかったな」
「はい。部署を管理しております」
「烈の進路相談を聞いてアドバイスしろ。下の階のオフィスを見学させるといい。烈を社員達に紹介してやってくれ」
「はい」
「烈、ヒルは宮組のオタク産業部門の企業総括・
「あの、紅が婚約式の時に言っていたオタク企業のこと?」
僕が驚くと紅は頷いた。
「あぁ。オタク産業は日本の一大産業じゃないか。特に女性はそこに金を落とすからな」
「そっかー」
「瞳をキラキラと輝かせて……本当に烈は可愛い。そんなに嬉しかったか?」
「そりゃモチロン! 僕、デザイン業界とかアニメ業界で働きたかったから!」
「烈はこの先、宮組の会社全体の経営に関わるんだぞ。私の妻になるというのはそういうことだ」
「僕、オタク会社を起こしたかったから嬉しい!」
「そうか。ならヒルに詳しく聞いておくといい」
紅は優しく笑って僕を送り出してくれた。
僕はヒルと一緒に下の階へと向かう。
「へぇ。こっちにもエレベーターがあるんだ」
「烈様が使っていらっしゃるのは自宅がる五十九階直通エレベーターですからね。こっちは社員用エレベーターです。このビルは下の方はショッピングモールや華道、茶道などの文化教室。その上に宮組専用のフィットネスクラブや訓練所。あ、地下の訓練所は行きましたか?」
「いや、地下にも訓練所があるんだ」
「銃の訓練所があります。桜山組にもありますよね」
「うん。地下にあるよ。銃の訓練だけは好きだったな。実際に持って歩こうとは思わないけど」
「二十歳になったら狩猟免許を取りましょう。狩ったばかりの猪鍋はとても美味しいですよ」
「本当! 取る取る! 狩猟免許取る!」
「烈様は本当に可愛らしい」
「え? なに? 突然」
「いいえ、一緒に狩猟へ行くのが楽しみだなと。キノコ狩りも一緒にしますから、キノコの種類とか覚えてくださいね」
「それはばっちり! お母様に子供の頃から叩き込まれてる! 銃は使わないけど、ナイフでの狩りは少しだけやったことがあるよ! でも猪は危ないからナイフで倒すのはまだ駄目だって言われてて」
「そうですか。十八歳でも取れる狩猟免許がありますから、そこから取っていきましょう」
「そうだね。紅は忙しそうだけど一緒に行けるかなぁ」
「紅様も一緒ですよ。宮組のモミジ狩りは大勢で行くのです。着物着用です」
「着物! 狩猟に着物!」
「はい。私達の正装ですから。いつ何時、着物でも狩りが出来るようにと。山も登りますしね」
「凄いなー、さすが宮組」
「まぁ、表向き茶道や華道家元のモミジ狩りですからね。銃はその場で組み立てます」
「銃の組み立ては私も毎日練習してる」
「それは良い心掛けです。このビルは北側数階に分けてコンピューターサーバールームがあります。サーバーは海外にもあります。サーバールームの分、少しオフィス部分は狭くなっています」
「オフィスってなんの企業?」
「メインは金融です。あとは細かく色々ありますよ。このビルにあるのは司令部みたいなもので、企業実態は他のビルにあります。ここにいるのがオーナーであり資本家。企業は手足みたいなものです」
「桜山のお父様の企業も入っているの?」
「はい。そもそもあの投資企業に一番資金提供しているのは宮組ですから」
「そ、そうなんだ……す、すいませんでした……」
「いえ、チェックを怠ったこちらのミスでもあります。あの暴落は宮組でもかなり損害があったのです。烈様の意見は正しかったですよ。この階から下五階部分は金融部門です」
「うわぁー、熱気があるねぇ」
幾つものモニターを見る女性達が地平線の彼方まで続く。
「いやー、ビル、広いわ。天井も高い。柱も大きいね」
「机の間には等間隔に休憩デスクがあります」
「凄い。めっちゃ皆さん、お茶点てるのが早い。そして濃そう」
「お茶を飲む人、紅茶を飲む人、好きな飲み物が飲めるようになってます。壁に設置された棚には色々な茶葉が用意されています。珈琲は焙煎出来る場所があって、もう少し下の階です。勿論、電話でお茶を頼むことも出来ますけど、お茶を淹れる時間が社員の小休憩時間になってます」
「楽しそう。あっ」
僕は目の前の女性に声をかけた。
「ここ、数値が違うよ。こんな数値にしたら大変なことになっちゃう」
「あっ、すいません。え?」
女性は学生服を着た僕と、紅の秘書であるヒルを見る。
「女宮紅様の婚約者、桜山烈様だ」
「あ、桜山兄貴の娘さんですか! えー! 紅様の婚約者様って、烈様?」
女性が立ち上がり、僕に握手を求めてくる。
側に座っている女性達が立ち上がり、僕を見る。
「紅様の婚約者様!」
「というか、桜山兄貴んとこの娘さん!」
「え? もしかして娘さんって、桜山烈さん?」
女性達が席を立ち、近寄ってきた。洋装、和装、まちまちだ。
「お会いしたかったですー! 桜山兄貴から烈さん……いえ、烈様の噂は聞いておりました! 金融にお強いとか! だから今もプログラミング修正が出来たんですね!」
「え? お前、ミスを烈様に修正してもらったの?」
「そうなの! 後ろを通りがかった時、数値がおかしいって直していただいたの! びっくりしたわ!」
女性達がキャーキャー言いながら僕を見る。背が高く骨太で、夕方だからか少し髭が生えかかっている女性もいる。
「通りすがりにプログラミングが見えたんですか?」
ヒルが僕に聞いてきた。
「うん。このプログラミング、ベース作ったのは僕だから、たまたまおかしな箇所を見て」
「凄いですよね、あのスピードが後ろから見えるなんて! さすが烈様!」
プログラミング修正された女性がアイドルを見るかのように、僕を見る。
正直、恥ずかしい。
「お父様の方が凄いよ。僕はまだまだ。美術が専門だし」
「美術! もしかして最近の生け花は烈様の作品ですか?」
「あの生け花は絶対、明日のチャートだって噂してたんですよ!」
「そうそう! 毎週、ゴールドだったり、仮想通過だったり! それも飾りにヒントがあるじゃないですか!」
「それを華道の師匠が理解してくれなくてさぁ」
「うちもうちも! あれ、チャートだと思えばすぐ理解出来るのに!」
僕は金融部門の人達の意見を聞いて嬉しさに涙した。
「凄い! あのテーマを分かってくれたなんて!」
僕が言うと、女性達が顔を輝かせた。
「勿論わかりますよ。左半分が今日のチャートですからね。右半分は明日の予想。そして中心はどの商品かのヒント」
「あの生け花が飾られるようになってから分かる人は成績が上がって。もう私らは夜、生け花交換の時、集合して、情報交換して、ビル中の生け花をチェックして右往左往ですよ!」
「烈様が生けてない時は叫び声を上げる人までいたりして」
「それ、チートだよね」
皆が楽しそうに笑った。
「烈様は金融の才能がおありだったのですか」
ヒルの一言にその場にいる全員がどっと笑った。
「桜山兄貴んとこの娘さんですし、学生さんですから皆、暗号で呼んでいたんです」
「『
「烈様が紅様と御結婚ということは、来年度から金融部門をみてくださるのですか?」
「嬉しい!」
皆が勝手に盛り上がる。
「いや、烈様は来年の進路を決めるために社内見学中だ」
ヒルが通る声で言うと、背の高い女性がまだ少し低い声で言う。
「金融学科とか志望されるのですか?」
「いや、僕は美術系が専門なんだ」
僕が和服の女性に返答すると、おおーっと声があがった。
「確かに。金融予測生け花は素晴らしかったです!」
「しかし未来の私達の為に是非経済や金融学科へ!」
「烈様が我々の部署へいらっしゃるのをお待ちしてます!」
部署の女性達が一斉に立ち上がり、お待ちしてます! と声を揃えて言った。凄い音量だ。
「は、はい……考えておきます……」
僕は驚きながら、ヒルと一緒に階下へと行った。
「烈様、金融部門で大人気でしたね」
「お父様の仕事をたまに手伝っていたからね。毎日、チャットするんだけど、いつも金融の話ばかり。お父様は金融バカでさぁ。でもコンピューターとか、プログラミングを教えてくれたのもお父様なんだ。美術はあまり食えないから、いざとなったらお父様の会社に入ろうと思って勉強していたわけ」
「なるほど。金融屋の桜山兄貴から英才教育を受けて育ったのですね」
「お父様は……お母様と駆け落ちしてから一度も親戚に会ってないんだって。お父様の一族は財務省や銀行系の人達だからね。女ヤクザな桜山家との結婚は許さないって言われたみたい。国を動かす資産を持ってやる! が、お父様の口癖。そんなお父様が仮想通貨で失敗するんだから駄目だよねぇ」
僕がはぁ、と溜め息を吐くと、ヒルが微笑んだ。
「でも烈様が女宮家へいらっしゃいました。あの暴落も愛し合うお二人を結び付ける運命の暴落だったのですよ」
「運命の暴落って。ヒルは面白いことを言うなぁ。でもこんなことがなかったら、僕は紅を知らずに見合いが来ても蹴ってしまったかもしれない。お母様だって驚いて即お断りしていたかも。僕と……紅がクラブで会ったのは偶然で。お母様にも秘密だったし。僕は紅が誰だか分からなかったし」
「あの夜から紅様はお変わりになりました」
僕はそう言うヒルを見上げる。
「紅様は五年前、先代を亡くされて組を継いでから仕事ばかりしておりました。一切泣かず、そして笑いもせず。あのクラブの夜、先代が無くなられてから初めて笑顔を浮かべたのです。私達は紅様が烈様を連れて更衣室へ行ったのを知っていましたから、
「え! ヒル、クラブにいたの?」
「いえ、ヨルから聞いたのです」
「あ、ヨルか。そうだよね、ボディガードだもんね」
「ええ。私達三人のうち、誰かしらが紅様をガードしてますから。ヨルは鬼姫から桜山の長子である烈様がいらっしゃると連絡を受けてました」
「そっかー。紅も知ってた?」
「お伝えはしました。でも顔まではその時、知らなかったみたいですね。イベント会場でヨルが『あれは誰だ』と訊かれて驚いたようです。私とアサに、ヨルからすぐ連絡が来たんですよ。烈様のお写真と共に」
「こいつがどんな女か調べろって?」
「いえ。紅様がお選びになった方がどんな者でもいいのです。私達の主人ですから。でもこの三年間、心から笑うことのなかった紅様が笑っておられる。その笑顔をもたらせた烈様に感動したのですよ。烈様の存在自体に。烈様は私達にとっても大切な方なのです」
「紅が笑った……か。それだけで嬉しい」
「烈様が何を学ぼうとそれは烈様にとって役立ちます。そしてこちらがオタク企業総括部門です」
「す、すごーい! 魔法少女からボーイズラブまで沢山揃ってる! 机の上にレアフィギュアがある!」
「こちらの部署の者は生粋のオタクが多いです」
オタクTシャツを着たり、コスプレをしてる人もいる。
「服装は自由?」
「はい。特に自由なのは企画課です。外部の人と会う時はどの部署もジャケット着用か着物です」
「どこの階にも着物姿の人がいるねー」
「宮組の仕事着ですからね。新入社員は着物に慣れないといけませんから、入社一年ぐらいは着物着用が義務です」
「うちのお母様とかいつも着物だし。そういうものだよね」
「皆、仕事が終わってから華道教室などに向かいますからね」
ヒルと大きなフロアを見て回っていた僕は見たことのない新作フィギュアを見つけた。
「うわっ! 凄い! 魔法少女の初めて見るフィギュアがある! こんにちは!」
「こんにちは」
オタク部門の人達は少し内気なのか、声が小さい。
「社会見学をしてる桜山烈です!」
「桜山……?」
試作品と思われるフィギュアを机に並べている女性は、僕とヒルの顔を見た。
「ヒル様……? この高校生は?」
「女宮紅様の婚約者だ。桜山組のお嬢さん」
するとフロアから「紅様、婚約したの?」とか、「うっそー!」とか「あの眼鏡高校生が婚約者だって」とか「仮面4の主人公みたいな子ね」とか聞こえてくる。
「この魔法少女フィギュア、新作ですか?」
僕は我慢出来ずに聞いた。
「そう」
女性の前にあるモニターにはフィギュアの元になる3Dグラフィックが映し出されていた。
「これ魔法少女の103話『水龍王との最終決戦!』のシーンですよね! あの回は最高でした! 魔法少女達が集まって魔法陣を描きこの魔法少女王にエネルギーを注ぐ場面ですよね! ここ、このスカートがもっと七色の光の風で持ち上がってパンツの色が見えるがみえないかの瀬戸際にファンはドギドキするんですよね!」
「パンツ……」
「そうでしょう! パンツ重要ですよ! フィギュアは勿論下から覗けてパンツが見えるんですよね! それがフィギュアを買う特典ですもんね!」
「と、特典……」
「ドギドキ☆社のフィギュアは下着が着脱可能になっていて、割れ目とか陰毛まで造られているんですよ。精巧な造りで! これは見たところヒロインカンパニーのフィギュアとお見受けしますが、ヒロインカンパニーのフィギュアは色気が足りないんです! 下着は着脱不可能ですし!」
「え? ドギドキ☆のフィギュアは割れ目まで造られているのか?」
ヒルが驚いて僕を見る。
「割れ目よりも驚きなのは
「企画力が
「でもまずはこのフィギュアのスカートが場面の最高潮のシーンまで上がってませんし、魔法少女王はスポーツ選手だからもっと脚が筋肉質なんです。ただの細い女の子じゃなくて格闘技も凄いんですよ。設定資料集に夢は吉田選手って書いてあったじゃないですか」
パソコンの前に座る女性がちらっとモニターを見る。
「あ、そうだな。見落としていた」
そう話していると私達の前に白い幅広のカチューシャで前髪を上げた銀髪美女が来た。
「桜山烈様、私、このフロアを総括している
「始めまして。桜山烈です」
「魔法少女シリーズがお好きなんですか?」
「はい! フィギュアは全種類買ってます! 一番買うのはドギドキ☆社ですけど。あそこのは魔法少女王のと親衛隊長のを三体買ってます。親衛隊長の陰毛と割れ目は凄いですよ。金髪の陰毛は有名なセックスシンボル歌手から買ってるから高いんですけどね」
「烈様がそれ程、魔法少女にお詳しいとは知りませんでした」
「ぼ、僕、美術高校に通ってて漫画家になるのが夢なんです! これ! 僕が毎日ネットに上げてる一コマ漫画です! み、見てもらえますか?」
僕はスマホを取り出し、画像を見せる。スマホを白峰、ヒル、そしてフィギュアを造ってる女性が覗いた。
白峰がスマホを指し、体を震わせた。
「これは……へ」
「へ?」
「い、いえ……素晴らしい一コマ漫画ですね」
白峰が少し興奮気味で言う。
「ど、どうですか?」
僕はごくりと唾を飲み込みながら白峰に聞いた。
白峰が真っ赤な顔で僕を見つめる。
「私は好きです! 大好きです!
興奮した声で白峰が言い、僕の手を握ろうとした時、ヒルが素早く白峰の
白峰が身体を折り、床に吐く。
「烈様が紅様の婚約者であることを忘れたか、白峰」
「失礼……しました」
白峰は膝を折り、咳き込みながら俯いている。
「行きましょう、烈様」
「え? ヒル、白峰さん、大丈夫かな」
「鍛えてますから大丈夫ですよ。烈様はお優しいですね」
ヒルが柔らかな笑顔を僕に向ける。
僕らはビルをゆっくり回って、宮組の組織を見る。
ショッピングセンターを回って、紅にチョコレートと珈琲豆を買って戻った。
「烈、お帰り。どうだった?」
笑顔で迎えてくれた紅の後ろに、ヨルが立っていた。
僕がよく会うのはヒルとヨル。アサは朝食時間に少し会うだけだ。
「えっと……時間があったら進路について相談したいんだけど」
僕は紅の席の前にある五人座れるソファーに座った。元々ここにソファーはなく、僕との婚約後に置いたものだ。僕はいつもここで宿題をやっている。
「いいぞ。かなりゆっくり見てきたな。気に入った部門はあったか?」
ヒルが珈琲を淹れに行った。
「うーん。本当はオタク部門が好きなんだけど」
「聞いたぞ。白峰にプロポーズされたって?」
紅がくすっと笑った。
「いや、あんなの冗談だろ。もういきなりヒルが殴って驚いた。でも冗談にしても失言だよね。びっくりした。でもちょっと白峰さんは僕を見る目つきが不気味に輝いていて怖い」
「そうか。フランス支社に飛ばすか?」
「い、いや、そこまではしないで欲しい。金融部門の人達は僕の生け花を誉めてくれてさ。結構、馴染みやすいかな」
「烈が生け花で翌日の予測をしてたのは初めて知った。生け花の師匠達はなっていないとお前のセンスに文句を言っていたのに、見る目がないな。そこについては師匠達にも言っておいたよ」
「あれ……気付いてくれた人達が沢山いて、凄く嬉しかったんだ」
「烈は金融部門が好きか?」
「うん。お父様の仕事も手伝っていたし。美術もいいけど金融もいいなって、今日、改めて思った」
「金融の仕事をしながら絵や漫画を描くといい。そのためのスタッフは沢山いるからな」
「あ、そういえばオタク部門にいるヒロインカンパニーの3Dスタッフはアイディアとエロ心が足りないね。ドギドキ☆社とかなり差がついてる。萌えとエロは表裏一体だから」
「萌えとエロは表裏一体か」
「うん。あー、金融と美術かぁ。どうしよう」
「烈。お前がやりたいことをすればいい」
「紅はなにやってるの?」
「そうだな。新しい会社の方針が楽しそうかとか判断している」
「楽しそうかどうか?」
「そうだ。いつもその仕事や結果が人に楽しみを与えているかを考えている。人生は短いが仕事に関わる時間は長い。だから仕事も、仕事の結果も人に楽しみを与えられるかを考えているし、人事配置をしている」
「楽しみかぁ。僕は漫画を描くのが好きなんだけど。楽しみは……どうだろう。いつもビクビクしている。人の目を気にして、評価を気にして、他の人の作品を気にして。楽しさを持つ心なんて、この六年で無くしてしまった気がする」
「烈……」
紅は僕の両手をそっと手で包み込んでくれた。
「人の評価は気にしないで好きなように描けと言いたいが、それは難しいのかもしれない。私は漫画も美術も人並みにしか分からない。でもお前が私に絵を見せてくれた時の顔は好きだぞ」
「ありがとう、紅。一緒に進路希望、考えてくれる?」
「ああ」
「ネットにね、成績とか記載されているんだ。僕は決して成績がいいわけじゃないけど」
僕は学校の生徒個人ページにアクセスした。
「これIDとパスワード。渡しておくね」
「烈の成績は理数系の方が芸術より勝っているのか。理数系と言語は成績トップクラスなのかな? この美術実技は……赤点再提出?」
「うっ!」
紅に痛い部分を突かれた。
「なるほど。芸術の実技は評価する先生によってまちまちだな。上か下か。芸術の評価なんてそんなものだろうな。安定した評価にはならないがパトロンがつくタイプだな」
「そう、かな?」
僕は紅を見つめた。
「私がパトロンになって好きに事業を起こしてみる。そんな人生もいいだろう」
「……」
「どうした?」
「違うんです。もっと紅にも僕の絵が好きになって欲しい」
「烈。例えば私は君の絵を一週間で『売れる作品、作家』にすることは出来る」
「でも……紅にまだ理解されてない」
「それは……私の勉強不足だ。すまんな」
「いえ。その……」
オタクだ、漫画家になるんだといって、大好きな紅にも理解されない。
それが悲しい。
僕は目の前の進路調査表の進学にクリックする。そして……。
「烈。それで後悔しないか?」
「はい。僕は一生、紅に向けて一コマ日記を書き続ける。血痕式の結果がどうなるか分からない。でも僕と紅はこの巨大組織に属する者を幸せにしていくんだ。勝ったら僕、頑張るから紅は支えてくれる?」
僕の言葉に紅が吹き出した。
「私に勝つと面と向かって言う奴はお前ぐらいだ。本当にいい女だな、烈。私も全力で闘う。そしてお前は私のもの、私はお前のものだ」
「そうだね。僕らはどちらが勝っても共に闘っていく」
「新宿芸大に進学するのもいいが、他の大学や職場を見るのもいいだろう。夏休みに大学見学やスタジオ見学に行くか? そうだな、一週間ぐらい休みを取って世界の大学やスタジオなどを見て回るか。パーティーとかで経営者やクリエーターにも会えるだろう」
「嬉しい!」
「それから進路を考えればいい。そして進路はいつでも変更が出来る。それを……」
ふと、紅は僕の頬に触れた。
「お前の進路を大幅に変えたのは私か」
「血痕式で勝てるか分からない。まだ僕はずっと続いている女ヤクザ組織を違うモノに替えていいのかも分かってない。でも運命を変えたのは僕と紅の出会いだ。紅だけのせいじゃない。母のせいでもない」
僕は紅の手を握り、指先にキスをした。
「何があっても僕らは出会って恋をした。これが人生だから」
「そうだな」
「僕はね……」
紅をじっと見つめながら語った。
「キレて人に暴力を振るってしまうこの体質が嫌いで、自分も、家も、歴史の継承も否定してきた。キレる、と言い訳をして……本当は違うんだ。暴力が好きな自分を否定して生きてきた。暴力を振るうと興奮してしまう。理性で暴力を止められなくなってしまう。……紅もある?」
「ああ」
紅が僕の手をぎゅっと握ってくれた。僕の瞳をじっと見る。真剣な眼差し。なのに僕はその美しさにドキドキしてしまう。
「桜山家にはそういう体質の者がよくいるんです。今は薬で興奮体質を抑えることも出来けど……。でもお母様には剣道や柔道や華道や茶道の訓練を積むことによって体質改善をするように言われてます」
「女宮家もそうだ。女ヤクザ組織に関わるどの家もそういう体質の者が産まれる。新しく入る者もキレやすい者ばかりだ。暴力が好きで、暴力体質に振り回され、社会不適合者になる。女宮家は平安時代、宮中にいた時から暴力沙汰が耐えなかったそうだ。その姫の体質を琴などを学ばせながら落ち着かせたのが女宮家の女房達だった。いつしか女宮家は暴力的な姫や女房達、そして町娘達を引き受けて暴力体質を抑える教育をする一家として発展していった」
「そういう歴史があったんですか。僕、知りませんでした」
「今やヤクザ組織というのは銀行口座すら持てない者達の集まりだからな。女ヤクザの宮組は闇組織だから『暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律』に引っかからないが、暴力行為を行なうのは一緒だ」
「暴力を振るわない組織にすることは出来ないのでしょうか」
「そうだな。……難しいかもしれない。それは宮組の課題でもある。でも私もお前と同じ気持ちだ。暴力を振るう快感を抑えたいとは思っている……しかし私の代で議題に上げたことはない。だが母の代では何度も議題に上がったと聞いている。私はこの五年間、走り続けていて組織を
紅が僕の手の甲にキスをした。
「五年前。先代が急死なさった年ですね」
「ああ。急性リンパ性白血病に
「そういえば紅って大学で何を学んでいたんですか?」
「んー? 経済学だ。マネジメントを学んでいた」
「そうなんですか。僕も同じ大学に行きたいです」
「烈は今のところ学力的に無理だ。それよりも内部進学をし、この一年で大学の授業に向けて学力を少し付けた方がいいだろう。家庭教師を付けるか?」
「そう……デスネ。付けてもらいたいです」
「烈の学校は芸術に特化したカリキュラムだからな。中学あたりから突貫工事でやるか」
「ハイ……」
あぁ、僕、芸術の才能だけじゃなくて、勉強も出来ないんだ……。紅と同じ大学に通えないんだ。なんかとても悲しい。
「落ち込むな、烈。芸術を勉強してきた時間もお前の歴史だ。知っての通り、宮組には芸術関連の企業もあるし、株も持っている。勉強は全て身になる。損なことは何もない。芸術関連だと私は数値的にしか理解していないが、お前はもっと繊細に理解出来るだろう」
「そうかな。僕も……宮組の役に立つ?」
「少なくとも金融部門からは明日にでも烈を出向させてくれないかという直訴が来ているぞ。全く、お前は……まだ高校生なのに」
「うーん、稽古と勉強の時間の合間に行けたら行く」
「それならお前が学校から帰ってきて訓練所で汗をかいている時間に合わせて金融部門の者へ行くよう伝えておこう。あいつらも椅子の上で数字を見てばかりだとストレスが溜まるだろう。訓練をしながら情報交換をすればいい」
「それだと助かる」
「十九時になったら食事の時間。そして私達の時間だ。それまで私も仕事を片付けるよ。食事の後に家庭教師を雇って勉強時間を入れよう。私も一緒にいる。烈の学力を見ないとな」
「ソウデスネ……」
ヤバい。ヤバいなんてもんじゃない。僕は俯いて冷や汗をかいた。
「他の学校へ進学することは考えるか?」
「いえ……芸術系の授業も取りたいから……」
「無理はするな」
「ハイ、ガンバリマス……」
宮組組長・女宮紅の妻になるという重責が今頃になってググッとのし掛かってきた。
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