第8話 スポーツと殺戮の狭間で

 ◆


「この道場は薬、撒けますか?」

 鬼姫がスプリンクラーを見上げながら宮組の道場管理者に聞いていた。

「はい。桜山組長さんから伺っております。大丈夫ですよ。紅組長もよくやらかしますからね」

「え? 紅も!?」

 私は振り向き、管理者のお姉さんを見上げた。ニメートル近い身長に筋肉質な肉体。近くで見ると凄い威圧感だ。

「そうですよ。幼い頃からやんちゃな方でした。今もたまにスプリンクラーを作動させます。死人が出る前に」

「それは安心です」

 鬼姫が頷いた。

「はい。烈様は私達がしっかり見守ります。お任せください。鬼姫さん達も汗を流されますよね」

「はい」

「うちの組には歌舞伎町の鬼神とお手合わせをしたがっている者が沢山いますよ。稽古つけてあげてください。よろしくお願いします」

「私なんてまだまだです」

 鬼姫はちらりと僕を見た。

「姫は強いよ! 僕、何度も姫に道端で助けられたことがあるんだ!」

「ありがとう、お嬢。外では絶対に私達がお嬢を護ります。でも何かあったらいけませんから、護身術だけは学んでおきましょうね」

「うん。……ごめん、姫。いつも姫ばかり闘わせて。でも僕、本当に闘いが嫌いなんだ……」

「いいんですよ、お嬢。お嬢は一生、闘うことがなくていいんです。私達に任せてください。一生お護りします」

「ごめんね……姫」

 僕は姫に飛び付き、ぎゅっと身体を抱いた。

「本当にごめん……」

「いいんです、お嬢。でも訓練は続けましょうね」

「うん……」

 僕が鬼姫から離れると、道場管理者が言った。

「では皆様、着替えましょうか。更衣室はこちらです。ウェアは用意されてますからいつでも気軽に来てください。学校帰りに汗を流されるといいですよ」

 道場管理者が僕らを案内してくれた。

 更衣室でとても軽い最新型スポーツウェアを渡される。

 僕のウェアは地が紅で、金色の雷が描かれていた。鬼姫は大きな般若の絵柄、イチのには桜山組の家紋に黒い毛筆で『一』と描かれている。

「うわー、ピチピチ。凄いスポーツウェアだ!」

 僕は全身をピッタリと覆ったスポーツウェアを着て鏡の前でくるくると回る。

「身体がバネになったみたいに動きやすい」

「宮組の道場にはスポーツ用の防具はありませんが、このウェアが大抵の力は吸収します。薄い防弾チョッキだと思ってください。頭もきちんと被ってくださいね」

「被っても音が聞こえるし、前も見えるし呼吸も出来る!」

 僕は頭部用の布を被る。

「楽でしょう。組長と繊維メーカーが開発したんですよ。目潰しも布で止まりますから怪我しません」

「紅、凄い経営能力があるんだね! 足も動かしやすいし、いい感じだよ」

 僕は空中に二、三回、蹴りを入れた。

 三人が少し青ざめながら僕を見る。

「え? なに?」

「この繊維は能力を引き上げるとか、そういう効果はありますか?」

 鬼姫が管理者に冷や汗をかきながら言う。

「そうですね、あります。紅組長なんて蝶が舞うように美しく動いているようにしか見えませんけど、相手が倒れますからね」

「蝶かぁ。紅、綺麗だろうなぁ」

 僕はうっとりと妄想した。

「お嬢の……脚の動きが見えなかった……」

 妄想に耽っていた僕に、イチの呆然とした呟きは聞こえなかった。


 ◆


「お嬢、お嬢! 早くスプリンクラーを!」


 次の瞬間。

 僕は紅のベッドに横たわっていた。

 服は脱がされ、金色に輝くシルクのパジャマに着替えている。

 両手を開いて、閉じる。身体中を検査するが怪我はない。

 そう、僕には怪我はない。

 でも……。

「お嬢、起きましたか?」

 いつもの笑顔。鬼姫だ。

「また……僕……」

「大丈夫です。心配はいりません。宮組の皆さんはお嬢と組めて嬉しかったと笑いながら言っておりましたよ」

 僕は起き上がり、鬼姫が支えるカップからスポーツドリンクを飲んだ。

「ほんとかよ……相手は意識を失ったり……してんのに……。骨を折った奴はいた?」

「折った者はいません。お嬢も訓練を続けて良かったですね。それにやはり宮組の皆様はお強いです」

「そうか……ダメだな、こんなんじゃ。組なんて支えられるわけがない。僕はヤクザ向きじゃない……。もっとマ……ううん、お母様みたいにしっかりした女じゃないと」

 僕は横になり、腕で目を隠した。泣きたい。ただ、泣きたい。


 記憶に刻まれる人々の恐怖感。恐怖感を抱く者をなぶるかのように追いかける僕。脳内が鮮やかに輝き世界がスローモーションに見える。人の気配が手に取るように感じる。動く気配を追う。急所を狙いオトす。気持ちが高揚する。全身の筋肉と血管を感じる。口から入る酸素と出る二酸化炭素。

 道場の隅でスーツを脱ぎ、どろどろになった液体をく女。意識を失い、また痛みを堪えながら運び出される女。女。女。

 僕を押さえようとし手を伸ばし、回し蹴りを入れられる鬼姫とイチ。

 叫ぶ、鬼姫。

『早くスプリンクラーを!』


 僕は溜め息をいた。

「こんなんで、紅と結婚出来るのかなぁ。愛想尽かされちゃうかも」

「紅組長も同じようだと宮組の方が言ってらしたじゃないですか。今日は初めての人に沢山会って、お嬢はちょっと緊張しただけですよ」

「そうかなぁ」

「そうです。まだ日にちはありますから、血痕式まできちんと訓練して、紅組長を一瞬でオトせるようにしましょう。先手必勝です」

「うん、僕、頑張るよ。先手必勝!」

 僕は鬼姫と拳をコツンと合わせた。

 血痕式で切れるわけにはいかない。

 きちんと技を練習して、紅をオトして……そして。

 僕は天井を見ながら、ヤクザ組織とは何かと考えた。

 そして歴史の表にいる漢達のヤクザ組織とは違う、歴史には書かれない女ヤクザ組織。これらが長く続いた意味はどこにあるのだろう。

 考えているうちに再び眠くなった。

 まだスプリンクラーから撒かれた睡眠薬が効いているのだ。

 紅の匂いがする。

 紅が僕の頭を撫でてくれる。

 僕が極妻になるか、組長になるか。

 女ヤクザ組織がどういうものか知らないまま、僕は眠りに落ちた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る