第12話 幸せな婚前旅行は勉強漬けだった
◆
夏休み。
僕は紅と共に一週間かけて海外の大学を見て回った。僕は紅が所有するプライベートジェット機に初めて乗った。中はホテルのようで、会議室やベッドルームもある。短期間で欧米を回るのだから当たり前か。桜山組が所有する飛行機よりも大きく、長距離用の機体だと紅が教えてくれた。
案内をしてくれる紅の知人達は日本から同じ機に乗り、僕らに海外入試の方法を説明してくれた。各大学へ行くと彼らが教授の模擬授業の手配をしてくれていて、僕は鬼姫の通訳を聞きながら学んだ。
多くの学校は僕の学力が足りず入学するのが難しかった。外国の言語を学ぶところから始めなければならない。
紅と話し合い、最終的に僕は内部進学し経済学部へと進むことにした。
大学に行きながら鬼姫やイチに語学を教わる。芸術系の授業も無理のない範囲で取っていく。
宮組組長である紅も、鬼姫もイチも経済学部出身で、とても僕の学力では入れない大学だった。
新学期が始まり、僕は大学の授業について行けるよう、とにかく勉強した。勉強しながら、うちの学校の芸術学部はやはり特殊なコースだなと思う。芸術系の単位がとにかく多い。だからこそ漫画家を目指す僕もこの学校を選んだのだけど。
「お嬢。宮組の姐さんになるには力さえあればいいんですよ。まずは最強である。これです」
鬼姫はそう言って微笑む。これは子供の頃から何度も鬼姫に言われてきた。
しかし暴力から逃れたかったのが僕の夢だったはずだ。
だが結婚を半年後に控えた僕の能力数値で一番高いのは暴力だった。芸術センスも勉学もそこそこだ。金融周辺のセンスは褒められ、そこを伸ばせば良いと紅に言われた。
でも僕はまだまだ未熟で、女ヤクザ組織を暴力組織からカタギへ移行させようとしても、僕自身の能力が追いついていない。
「あ~あ、周りが優秀過ぎるんだよなぁ」
かといってそれは宮組の
僕が宮組組長や姐さんになったら、そういう娘の親になるのだ。
「……はぁ、責任重大」
「なんだ桜山、責任のあるポストに就きたいのか?」
え? と僕は頭を上げる。担任と目が合うと、ニヤリと笑われた。
「文化祭のクラスの出し物は桜山が統括するか」
「いや、ちょっと待ってください、先生!」
「反対意見のある者は手を挙げろ」
僕は教室を見回したが、
「では桜山に決定だ。前に出て文化祭の出し物を決めろ」
「ええー!」
僕は文句を言いながら、とぼとぼと教壇へと向かった。
十一月末にある文化祭はかなり本格的な芸術祭だ。
作品を個人やグループが作り始める。夏休みから取りかかっている者もいる。高校の文化祭といっても我が校では制作発表会。三年性にとっては卒業制作発表会だ。
僕達のクラスは戦国カフェをやることにした。僕はお抹茶班、ミコは衣装班、クラスメイトはスイーツ班、インテリア班などに分かれた。当日は大半が給仕に回る。
「でさぁ、烈。利休コスなんだけど、この利休ちゃんと利休様とどっちがいい?」
「え? 利休ちゃん?」
僕は本から目を上げると、そこに二枚のキャラクターシートが掲げられる。
『利休ちゃん』と書かれたキャラシートには抹茶色のビキニ、髪の毛は金髪巻き毛に利休っぽい抹茶色の帽子、ひらひらしたスカートは前がはだけ抹茶色のホットパンツ、足には抹茶色のガーターベルトとストッキングの少女キャラ。
『利休様』と書かれたキャラシートには僕が真っ茶色の帽子を被り、着物を着ていた。その着物には写真のような淹れ立ての抹茶が胸元に描かれている。抹茶々碗は僕がミコに貸した物と同じだ。地は瑞々しい畳の色。足元には清らかな水がリアルに描かれ流れている。
「り、利休様がいいかな……でもこの着物……」
「うちの系列で反物を作っている会社があるんだ。前からこういう絵柄の反物作ってみたかったんだよね。どうかな? 帯のお太鼓に和菓子柄を入れてさ」
「これ、ミコが作るんだ! 反物から制作か。凄いね。じゃあこれがいいよ、ミコ!」
「面白い柄でしょ? 気に入った?」
「うん」
「抹茶班は抹茶を点てるだけじゃなくて、給仕もしないとね。衣装班はクラス全員分の衣装を作るからみんな大忙し!」
そう言ってミコは笑った。
僕は放課後、調理室で出された落ち武者パフェを笑いながら食べた。溶けかかったように見せた白いアイスクリームに髪の毛のような細い棒状ブラックチョコレートが乗り、容器の外にだらんと伸びている。スプーンの取っ手は折れた槍のイメージだ。周りには雑草のように見せたハーブが生えている。それも食べられるそうだ。
クラス全員でイメージを固めていく。高校生活最後の文化祭は面白くなりそうだった。
文化祭当日。
門の周辺には大型の作品が展示されていた。絵画展示、廊下には弾き語りが立っている。講堂では演劇やパフォーマンスも行なわれていた。
戦国カフェは盛況だった。僕は教室の一角でお抹茶を点てる実演を行なっていた。少し料金を高めな設定にしてお客様をもてなす。
「こちらへどうぞ」
案内係のミコが紅を連れてお抹茶実演コーナーにやってくる。紅は白地に燃えるような鳳凰が描かれた着物に血のように紅い帯だ。帯には流れ星が描かれている。
「紅、来てくださったのですね」
僕は立ち上がり、手を伸ばす。そしてここが教室だと気付き、引っ込めようとした。
「もちろんだ。盛況で良かったな」
紅は素早く僕の手を取り、口付けた。
真っ赤になった僕の耳に、教室のざわめきが入ってくる。
「烈の……お知り合いですか?」
ミコは頬を染めながら紅を見上げた。
「ミコ、こちらは婚約者の紅、紅、こちらがいつも話している友達のミコ。この着物の制作者」
僕は自分の着物を指した。
「ほう。素晴らしい柄だな。ミコさん、いつも烈が世話になっている。私は
「いえ、あの、その……烈はいい子です。その……幸せにしてあげてください。あ、あたし、山梨ミコです。よろしくお願いします」
そう言ってミコはペコリと頭を下げ、入口に戻って行った。
僕は少し緊張しながら紅にお抹茶を出す。
紅の作法は完璧だった。彼女が醸し出す空気が戦国カフェにピンッとした清らかな緊張感を伝える。雑談が止み、客達がちらちらと僕らを見た。
僕は興奮しそうな呼吸を整えつつ、紅を見た。美しい。やはり美しい。
紅は席を立つと微笑み、また後で、と言って去って行った。
僕はぼーっとしながらお辞儀をし、またいらしてください、と言った。
紅が来てくれた……。忙しいから無理かと思っていたのに……。
そんな僕の甘い動悸は、ミコが案内してきた、子供の頃から師事している、鬼のように厳しい茶道の先生の姿を見た瞬間、止まった。
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