第5話 サプライズ

 ◆


 金が全くない桜山組が開く、跡取り娘の誕生日パーティーは想像以上に豪華だった。父もニューヨークから駆けつけて、僕の頬にキスをする。

「烈、誕生日おめでとう。そして婚約おめでとう。純白のパンツスーツが良く似合う。美しい娘に育ったね」

 父は母の被害者に過ぎない。怒りをぶつけても仕方がない。

 僕は笑顔を浮かべる。

「ありがとう、パパ」

「もうパパは卒業だよ? お父様と呼んでくれ」

「はい、お父様」

 僕は宮組に入籍するのだと改めて思う。パパからお父様へ……か。

「今日になって烈の婚約を聞いてびっくりした! パパは知ってたの?」

 愛らしいピンクパール色をしたドレスをまとった妹のりんが唇を尖らせる。

 そんな拗ねた顔も愛らしい。

「もちろん! 凜にはサプライズだったね」

「もー、酷い! 私の義姉様が出来るのに! どんな方?」

 凜が僕と父の顔を、キラキラした瞳で見る。

「それもサ・プ・ラ・イ・ズ!」

「もう、パパってば! でも楽しみ!」

 そうか。僕と結婚するというのは凜の義姉になるのか。

 凜の笑顔が心に痛い。

「烈。宮組の皆様がいらしたわ。扉の近くに来なさい」

 黒留袖を着た母に腕を引かれ、僕は扉へと向かう。

 ネクタイがずれていないか確認する。

 会場が静まり、扉の向こうから何十人もの気配がする。宮組の姐さん達だ。

 人々が一斉に頭を下げる。

 僕も下げようとしたら、母に小突かれた。

 母は真っ直ぐに立ち、僕の背中にそっと触れている。

 毛足の長い絨毯の上に現れた強い視線の女は黒紋付きを着て、光輝く金色の帯を締めていた。

 紅に燃えた不死鳥が飛ぶ。

 不死鳥のイメージといえばオレンジ色だが、帯に描かれた不死鳥は血を吸ったような紅色だ。黄金の夜空を羽ばたく紅色の不死鳥。

「あっ」

 僕は先頭を歩く女性を見て声を上げた。服装も雰囲気も違う。あの夜はゲームコスプレ衣装で遊び心があった。華やかな空気を纏っていた。

 紅(くれない)だ。間違いない。

 しかし今は先週と違う。全く違う。

 会場を威圧するような空気を纏い、一歩ずつ僕に近付いてくる。

 まさか、まさか紅は宮組のヤクザ? それも……。

「烈、また会えたな」

 紅はふっと笑い、きらびやかなオーラを纏う。

 あぁ、やっぱり紅だ。

「紅……」

 紅がそっと右手を上げる。ダンスに誘うように、そっと。

 僕は彼女の手の平にすっと右手を重ねる。

 紅はゆっくり僕の右手の甲へとキスをした。

「君を迎えに来た。今日から私の元へ来い」

「はい……」

 僕は目を潤ませながら応えた。

「烈は今日から女宮紅おんなみやくれないが貰う。いいな、桜山」

「はい。烈をよろしくお願いします」

 母が頭を下げた。

 僕は母と紅を交互に見た。

「紅って……宮組の人だったんだね」

 母がぐりぐりっと僕の靴先を踏む。

「いたっ!」

「すみません。組長」

「く、くみ……っーー!」

 さらに母がぐりっと足を踏み、ねじる。あまりの痛みで言葉が出ない。

「宮組組長、女宮紅だ」

 紅が微笑む。周囲が輝いて見える。帯から鳳凰ほうおうが飛び立ちそうだ。

「桜山組組長の長子、桜山烈です」

 僕はうっとりと紅を見た。

「あちらの椅子に座ろう。お前が知りたい」

「僕もです」

「一人称は流行はやりの僕か。アイドルが好きなのか?」

「いえ。リアル系のアイドルはちょっと苦手で。むしろアニメとか漫画が好きです。ライトノベルとかゲームもやります」

「あの日も有名なゲームのコスプレだったな」

「紅はゲームをやるんですか?」

「舎弟がやっているのを見た。プレイは未経験だ。宮組フロント企業の一つにはゲームとかアニメ部門があって、そういうのを観たり、プレイしてる社員に訊いたりしている」

「面白そう!」

 紅が二人掛けのソファーに座る。真珠のように白くてヒラヒラした布地。ゴージャスでふわふわな座り心地のソファー。

「烈はコミックやゲーム産業に興味があるのか?」

「はい。夢は漫画家ですから!」

「漫画家? 君は桜山組の跡取りだろう?」

「桜山組には他にもいい人材がいます。僕はヤクザには向いていません。ほら、これが僕の四コマ漫画です」

 僕はツイッターに載せた四コマ漫画をスマートフォンに表示し、紅に見せた。

「……これはピカソみたいな……なにか特殊な読み方が……?」

 紅が眉毛を寄せ、縦皺たてじわを作る。

「そんなんじゃないですよ。ピカソってアニメ監督か誰かの名前ですか? 美術の先生もいつもそう言うんですよね。影響されているとするとツイッター四コマで有名なネコラッタ先生かなぁ。この線とかネコラッタ先生を意識してます。この四コマは先日のコスプレパーティーが面白かったので、そのレポート漫画です。ほら、これが紅」

「……」

「これがミコで、これが僕で、これが桜島鬼姫です。僕のSPもやってくれる幼なじみです」

「……そうか……」

 紅は意味深に頷いた。

「どうですか? 僕の漫画!」

 紅は少し困ったような顔をする。

 僕は紅の顔を見て少し早口になった。

「あー、やっぱり本人の前だと感想とか言いにくいですよね……別の時にでも聞かせてください」

「桜山烈。桜山組長からは烈が跡取りだと聞いている。それにお前の組の組員達もお前が次期組長だと考えている。お前はどう思っているんだ?」

「桜山組は僕の家族です。それは変わりありません。一生家族です。でも僕にはヤクザの適性がないっていうか。子供の頃から闘いが嫌いで……。インドア派なんで絵を描くのが大好きなんですよ。これは素質の問題ですね」

 僕は紅を見て、少し肩をすくめた。

「姫……あ、桜島さくらじま鬼姫おにひめのことですけど。姫なんかもいつも僕に組を継げって言うんですけど、姫は綺麗で誰もが振り返るようなで、頭も良くって喧嘩も強くって人もまとめられます。ああいう娘が次期組長になったほうがいいと僕は考えています。今回の事も……」

 僕は床を見ながら両手を組み、溜め息を吐いた。

「仮想通貨を両親に勧めたのは僕です。でもここが売り時だって両親に言ったのに、母は僕に内緒で持ち続け、父は母の意見のまま通貨をホールドし、大損を出しました。両親が悪いんじゃなくて、一番状況に詳しい僕が父の会社にある仮想通貨をチェックするべきだったんです。こんな僕が組長になる資格なんてあるわけがない」

「あの桜山組の利益は烈が出していたのか?」

「僕は金の流れを読んで父や母に助言していたに過ぎません。実際に動かすのは父ですから」

「そして今回の失敗か」

「そうです。母も父も投資の恐ろしさを知ったと思います。でも僕が嫁に行くことでチャラになって、あの二人はきちんと反省したのかな。僕は……僕の人生が……変わってしまったのに……」

「烈……そうだな。お前の人生は変わってしまった。でも私がお前を幸せにすると約束しよう」

 優しく微笑む紅に、僕はキッと強い視線を向けた。

「僕は紅が好き。昨晩、僕をさらってくれないかと思っていたぐらいに好き。でも僕は争いを好まないし、暴力も嫌いだ」

「烈……」

「僕は桜山組長になる気もヤクザになる気もなかった。僕は貴女の妻になって……暴力団組長の妻になって、どうやって生きればいいのでしょうか」

 悲しく微笑む僕。

 紅が僕の肩を抱いて耳元で囁いた。

「宮組の結婚式は結婚する二人が闘う場でもある。血痕式けっこんしきあとと書いてけっこん。これは何千年も続いた宮組の婚姻儀式だ。強い女が組の頂点に立つ。もし君が私に勝てば、宮組をヤクザ組織から解放すればいい」

 僕は目を見開いて紅を見た。

「何千年も続いた宮組を……解放?」

「そう。組長の意志は宮組の意志。烈。お前が宮組系列の道場で地道に子供の頃から身体を鍛えているのは知っている。どのぐらいの腕前なのかも。師範達からゲームではなく実戦も習っているはずだ」

「やめてください。あんな……あんな……」

 脳裏に浮かぶ血塗れの人。人。人。耳の奥から高い笑い声が聞こえる。僕が笑ってる。血を見て、倒れる人を見て笑ってる。脳が沸騰する。鮮血と目の前にある有り得ない方向へ曲がった腕が僕を狂わせる。頭の中でもっともっとと僕は叫ぶ。倒せ。敵を倒せ。もっと獲物を寄越せ。

 叫ぶ師範。道場の天井から煙が噴射され、僕の意識は遠のく。

 子供の頃から何度あっただろうか。

 病院のベッドで目覚めた僕は母を探す。

 母はいつもいなくて、消灯時間後に来る。

 そして僕の頭を撫でる。大丈夫。ママもそうだった。だから大丈夫。訓練すればコントロールが出来るようになるからと。

 確かに十五歳にもなると、意識が「キレる」こともなくなっていった。力のコントロールを覚えていく。そしてこの道場はそのためにあるんだと気付く。子供の衝動的しょうどうてきな暴力を自ら抑えられるようになる訓練。

 僕は学校で木炭を握る数時間前、毎日毎日、人を殴ったり、銃の調整をしたり、武器をバラしていた。毎日訓練をしないと落ち着かないのは、格闘技の訓練も、絵を描くのも一緒だった。格闘技の訓練を済ますと気分が落ち着き、勉学がはかどる。

「た……闘うのは……嫌いなんです」

 うつむく僕の頭に紅の手がそっと乗る。

「結婚式まではまだ半年以上ある。高校の卒業式当日が結婚式だ。宮組を、女ヤクザ組織をこれからどうするか考えてくれ」

「闘い……は、しなきゃなんですか? ……紅……と?」

「それは宮組の婚姻儀式だからな。闘いを放棄すれは暴力団としての宮組はこのままだ。自分の手で変えてみたいと思わないか?」

「でも……紅が」

「私の身体の心配か? 大丈夫だ。お前より強い」

 俯く僕を覗き込んで、犬歯を見せて笑う紅。

 ぞくり、と身体が震える。

「いい笑顔だ」

「えっ?」

 僕は笑っていたのだろうか。

「私達はいいパートナーになる。お前は私が惚れた女だ」

 そう言って紅は僕のオデコにキスをした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る