第4話 初恋は終わる

 ◆


『私達はまた会う。愛しい人』

 僕はベッドに横たわりながら口紅の付いたハンカチの匂いを嗅ぐ。なにか興奮を誘う香。そっと唇に重ねる。

くれない……」

 運命は残酷だ。たった一回会っただけの女性。ファーストキスの相手。でももう明日になったら僕らは結ばれない。

さらってくれよ……」

 ヤクザである桜山組から? 宮組から? ありえない。婚約者は全国の女ヤクザ組織の頂点に立つ宮組のお嬢様。ヤクザの組同士の婚約だ。僕は一生ヤクザの囲われ者。慰み者。相手は宮組。僕一人だって逃げられない。そもそも僕は今、お財布に入ってる三千六百一円しか資産がない。こんなことならもっとお小遣いを銀行に取っておけば良かった。スマートフォンゲームのガチャでお金を使わなきゃ良かった。パスポートはあるけど、家族名義のカードは停止。母が言うには明日、僕は宮組東京本家へとドナドナされて住むことになるそうだ。結納金は僕と交換。物々交換だ。

 そして僕はヤクザの妻になる。

 紅、僕を助けて。

 僕は窓の外を見た。ここで逃げたら凜が……いや、凜と一緒に逃げる?

 まだ中学生の凜と?

 転がり落ちる人生が頭に浮かんだ。愛らしい凜がチンピラに犯されて、動画を撮られて、脂ぎった人達に輪姦りんかんされて……。

 母は、僕の婚約相手の名前すら知らないそうだ。

 僕は物だ。多額の借金と同額の物。人として生きる人生は終わり、明日からは物になる。ただ価値はデザイン事務所に勤めた僕が一生払えないような金額だ。高値で買われたなと思う。

 僕の価値は歌舞伎町にあるいくつもの持ちビルと同じ。経営している店舗と同じ。父の会社と同じ。母や父の生活も組員の生活も、全てを足したものが僕と同額だ。

 カタギの暮らしでは手に入れられない金額。僕の身体からだ一つの価値。桜山組と宮組は強固な繋がりになる。それも僕の身体の価値。

 でももう僕の人生は終わった。家を出て、カタギとしてデザイン事務所で働く日々。漫画を描いてネットに上げる平和な日々。

 子供時代と共に終わった僕の人生。一週間だけの初恋。

 明日、このハンカチだけを持って行こう。あとは何もいらない。

 僕は明日から物になる。

 宮組というヤクザに売られた「物」に。

 柱時計が零時を告げる音を鳴らす。

 成人になった僕。バースデーと共に人生が終わった僕。

 恋を抱かない、ただの物になる。

 この時から。

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