第15話 血痕式
◆
「紅、見て。月が貴女のように紅い。血のように紅いよ」
京都に着き、新幹線から車に乗り換える途中、僕は空を指した。
「美しい夜だ」
そう言って紅が僕の頬にキスをする。
「満月の夜はいつも興奮する。三々九度の盃、落とさないように気を付けよう。めちゃくちゃ緊張する! 宮組本宅に行くのも初めてだし……」
「大丈夫。烈は必ず気に入られる」
「そうかな。僕、師匠達にはいつも怒られてばっかりなんだ」
「人は期待しなければ怒りもしない」
「そうなの?」
「そうだ」
「そうかな」
紅はいつも僕を励ましてくれる。
でも……僕は優しい紅を倒さないといけない。あと数時間で血痕式だ。頭の中でいくつもの戦闘シミュレーションをする。大丈夫。負けない。
「組長、お帰りなさいませ」
僕らは屋敷に着くと、大勢の組員にお辞儀をされた。本家の組員は皆、着物姿だ。後ろに立つアサ、ヒル、ヨルも珍しく着物だ。その後ろには母と鬼姫やイチがいる。女ヤクザ組織の住居は基本的に男子禁制だ。男性と結婚する組長は組の屋敷とは別の場所に住む。桜山組の事務所も父が入ったことは一度もない。男性や
たまに男性から女性に性転換した者がいる。多くは女ヤクザ組織組長の血縁者で、六本木宮殿にも数人いる。宮組京都本家にも数人いるようだ。
母屋の大広間に通される。部屋には大勢の組員がいた。
「彼女が桜山烈だ。こちらは烈の母・桜山組長の
「桜山烈です。よろしくお願いします」
「桜山組長、桜山燃です。よろしくお願いします」
僕らがお辞儀をすると、「よろしくお願いします」という声と共に黒い着物集団が頭を下げた。
この部屋にいる人数だけで桜山組の構成員数を上回るのではないか。僕は大きな天井を見渡した。何畳ぐらいあるのだろうか。
「では私達は支度しよう。アサは桜山組長を案内してくれ。ヒルとヨルは会のチェックだ。あとは皆に任せた」
はいっと会場に声が響き渡る。
「烈と私はこちらの部屋で着替えだ。屋敷を案内する時間がなくてすまないな。明日ゆっくり回ろう。西の者を改めて紹介する」
「はい」
僕らは別の部屋へと向かった。一体この屋敷には何部屋あるのだろうか?
二十三時になると屋敷が騒がしくなってきた。
「今夜は宮組の血痕式だ。全国の組長が屋敷に集まる。組長達は血痕式の証人でもあるからな。関東の組長達はお前の顔見知りも多いだろう」
「僕……中学に入ってからは組の集まりに参加していないんです。小学生の時は他の組の子供達と遊んだり、家を行き来していたんですけど……」
「あの事件のせいか?」
僕はびくっと体を震わせた。
「知ってるんですか……?」
「池袋で組屋敷からそこの嬢ちゃんと抜け出して繁華街に遊びに行き、嬢ちゃんがオニイサン達にちょっかい出されて、烈が十人近く半殺しにした事件だろ。こちらでは
「お母様……宮組の京都本家で大暴れですか……」
「まぁな。だからお前が池袋の嬢を助けて二十も年上の男達数人を伸した話は武勇伝として広まっている。さすが燃の娘だと」
「は、恥ずかしい」
僕は両手を顔に当てようとしたところを、美容師に止められた。
「力の強い女が頂点に立つ。それが女ヤクザ組織というものだ。烈もそう教育されてきただろ?」
「ええ、もう、本当に。体中が腫れて二週間、学校を休むぐらいお母様に
瞳が濡れる。美容師がそっと布で目頭を押さえた。
「……その後、お母様に気絶するまで殴られました。でも僕もお母様にとても暴力を振るってしまった。僕はそれから他人への暴力が怖くなったんです。あのお兄さん達がどうなったのかも教えて貰えなくて……死んでしまったのではないかと震えていました。もう遺体が処分されているのではないかと。でも高校の時、そのお兄さん達にすれ違って生きていてくれてほっとしました。でも……僕は……その人達もお母様も……殺そうとした」
「でもそんな烈を桜山は止めたのだろう。良い母親じゃないか。私は母に止められたことが一度もない」
「え?」
僕は横を向きそうになり、美容師に顎を押さえられる。
「師範達何人がかりで止められたことはあるがな。母はいつも道場に来て、冷たい瞳で私の訓練を見つめるだけだった。私が興奮して暴力が止められなくなって、相手を殺しそうになっても、母は一切、手を出さなかった。決してね。宮組の道場で人が死んでも、闇に消えるだけだ。私はそれを大人になってから知った。もし子供の私が組員を殺しても、それは女宮家跡取りを育てるための尊い犠牲だと、そう叔母様に聞いて愕然としたよ。だから母は一度も私の暴走を止めなかったのだと」
「紅……」
「暴力で対峙し我を忘れたお前を止めた桜山、何もせず『自分の手が人を死なせる』ことを覚えさせようとした母。どちらが正しいか私には分からない。でもどちらの母にも信念がある」
「そうだね」
「烈。私達はこれから闘う。私達の信念を賭けた闘いだ」
「信念……」
「そうだ。血痕式は力で闘う儀式だが、信念が強い者が勝つ。烈も烈の信念を貫け」
「……僕の信念……。はい」
信念。
僕は宮組という組織をどうしようとか、オタク部門を発展させようとか、ずっと考えてきた。でもそこに僕の信念はあったのだろうか。
僕は鏡の中の自分を見た。白粉を塗り、紅い口紅を付けて。これから白無垢を着る。
僕は血痕式の闘いのシミュレーションばかりやってきた。暴力に支配された宮組を終わらそうと思っていたのに、でも僕が考えるのは闘いばかりだった。
くやしい。
僕はまだまだ子供だ。成人して、高校も卒業したのに、大人になっていない。
突然の病で先代組長を無くし、二十歳で宮組を引き継いだ紅。
二十歳の紅には信念があったのだろうか。
それから五年経った紅はもう立派な宮組組長だ。
僕は紅と結婚する。そして血痕式で紅を一発で倒さなければならない。そうしないと勝機はない。
僕はもう暴力から逃げない。紅との人生を選んだ。血と暴力に塗(まみ)れた桜山組も宮組も……そして絵を描き続けるオタク人生も手放さない。
僕はぎゅっと拳を作り、立ち上がった。
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