第二章
「……それで? 君は爆弾の十メートルの至近距離にいたのに助かったのかね。ヒヤマ副主任」
「はい」
その日の午後八時。リョーは部隊のまとめ役であるタフト大尉のデスクに呼び出された。部屋に到着して質問が始まったが、大尉は「休め」の声一つかけない。が、リョーはさっさと手を後ろで組み、足を軽く開いていた。
「同僚のジャイルズ副主任は至近距離の爆発で即死。それなのに君は気密シールドを展開して難を逃れている。爆発がある事を知っていたと問われても、おかしくないな」
「向こう一年ぐらいは私の銀行口座でも監視したら良いんじゃないですかね。出所不明の送金があるかも」
リョーはまともに相手をするつもりがなかった。事態が収拾ついてからも、妙なニコチン切れの感覚が続いていたのだ。日報を書いている間も、気がつけば周囲の雑音がくぐもって聞こえ、終いには止まって見える。そんな調子なので今この部屋に入る前にも、粗相をしないために一服してきたのだった。
「……君の日報を見たが、なんだねこの、『止まって見えた』というのは」
「そのままですよ。みんな止まって見えたんです」
タフトは日報を表示しているパッド型端末を無造作にデスクへ放り出した。そして両手で瞼をゴシゴシとさすると、小さくため息をついた。
「走馬灯ってヤツかね?」
「かもしれません」
「その時のバイタルサインが記録されている。凄いぞ。心拍数二百、血圧百七十だと?」
心臓の鼓動が震動になって頭蓋に響いていたのは分かっていたが、そこまで激しい物だとは、リョーも数字を聞かされて初めて知った。
「半年前の受傷が原因の、心的外傷後ストレス障害ではないかね」
リョーは鼻で笑った。
「そんな。もう半年前ですよ? ただのヤニ切れです」
「タバコによる高血圧なら、なおさらだ。――君を任務から外す」
「……は?」
「後送だ。医者を受診したまえ」
憮然とした態度をとっていたリョーだったが、途端にうろたえはじめた。
「よしてくださいよ! 俺はマトモです!」
「バイタルは嘘をつかん。それに、ジャンキーはマトモではない」
ジャンキー。その言葉に、リョーの臓腑の奥がきな臭くなるのを感じた。何処かの緒が焼き切られようとしている。
「軍医を紹介する」
タフトはタブレットから連絡先を探し始めた。
「結構です」
リョーはすかさず遮った。気をつけの姿勢をとり、形だけの敬礼をすると踵を返してドアへと向かった。
「ああ、副主任。この星での任務は明日で終わる。部屋は今日中に引き払ってくれ。そして君は医者の診断書をもって、部隊への復帰可否を出すから、そのつもりで」
リョーはタフトの言葉を背中で聞き、ドアをスッと静かに閉じる素振りをした。ドアは戸枠に収まる寸前で勢いよく引き込まれ、部屋中に破裂音を響き渡らせて閉じられた。
「クソッ! クソッ! クソッ!」
リョーは悪態を三連発し、廊下を足早に移動した。その間に左手をパッと開き、時計のバックルの端末を起動させる。ネットワークへの接続待ち時間さえも自分を邪魔しているように感じられ、リョーはさらに口汚く悪態をついた。
格安のシャトルチケットを購入して照会番号をダウンロードし終わると、グッと左手を握ってディスプレイを消滅させる。
『僕のオフィスに来い。検診を受けるんだ――』
今朝方ベッドの上で読んだ、カクイのメールの文面がフラッシュバックする。無視を決め込もうとしていたが、否が応にも、木星を訪ねる必要が出来てしまった。
*
翌日、リョーは星間シャトル機上の人となっていた。
共用スペースであるデッキに据え付けられている公衆電話の前で、左手は受話器に、右手は電話機の頂部でカツカツと単調なリズムを刻んでいる。足下には大きめのボストンバッグが一つ。このバッグの内容物だけが、彼の全資産だ。
「――もしもし?」
電話の相手が出る。地球にいる妹、アトリだった。
「リョーだ。元気にしてるか」
「ちょっ! 兄さん!」
恒星間飛行中なので音声のやり取りしかできない。それにしても、雑多な宇宙線の干渉を受けてノイズが乗っていた。
「兄さん! 本物なの! カクイの下手なお芝居じゃないでしょうね!」
リョーは苦笑した。
「市民ナンバーがディスプレイされてるだろ」
そう言って、彼は左手首の時計のバックルをみやる。バックルからは青いビームが受話器の受光部に伸び、データ送信と本人確認情報を送信している。
「……本当だ。普通はこんなところ見ないし」
「まあな」
「えっ? 電話が出来るって事は太陽系に来ているの?」
「今シャトルに乗ってる。一時間後には木星のターミナルに降りる。そこに用事だ」
「うそっ。あーん。どうしよう。予定があって木星まではちょっと」
「気にするな」
「気にするよ! っていうか木星って事はカクイ?」
「そうだ」
「どこか怪我したの?」
リョーは参った。我が妹ながら、鋭い。電話どころかメールにもろくすっぽ返事をしない自分のことだ。カクイにわざわざ会いに来るという事は、体の不調以外あり得ない。
「――怪我の予後がどうなってるか、ちょっと見せるんだ」
内容を詳しく伝えず、真実を伝えた。
「痛むの?」
「別に。気にするな」
「ごめん。実はアカデミーの合否発表が明後日なんだ」
「アカデミー? お前、大学はどうした」
「もう卒業するよ。これからは専門を学ぶの。そのためのアカデミー」
「よく分からんが、まあ気にせずやれ。金は工面する」
「……学費は借りようかと思って」
「やめろ。借金だけはするな」
リョーの口調が断固としたものに変わる。なかば怒気もはらんでいた。
「俺に遠慮するな。お前には頭があるんだ。その頭を使わないでどうする」
「…………」
「もうそろそろ到着だ。またな」
「あっ。ちょっ」
リョーは通話を打ち切った。金の話だ。押し問答になるのは分かっていた。
「――デッキや、お化粧室をご利用の皆様へ。間もなく当機は木星ターミナルに……」
着陸前のアナウンスが響く。リョーは自分の座席へと戻った。
木星の衛星軌道を公転する木星ターミナルコロニーは、金属水素の塊である木星をエネルギー供給源とした、自活能力のある植民施設である。ここより、太陽系の内惑星……火星、月、そして地球へアクセスする事になる。
空港に降り立ったリョーは、コロニー中心へ向かう直通列車に乗り換えた。
コロニーの行政機能を持つセントラルセンターは、複合商業施設のほかに病院や公営住宅も併設されている。その総合病院に、カクイ・ボルストラップは務めていた。
「ドクター・カクイ・ボルストラップに会いたい」
外来受付に到着するなり直ちに切り出したリョーに、事務員は面食らった。
「……担当科はご存じですか? アポイントメントは?」
「消化器科……だったかな。アポはある」
「少々お待ちを。失礼ですが、お名前は」
「ヒヤマだ」
事務員が手元の端末でどこかへコールをかけている。その間、リョーは受付から待合フロアを眺めていた。
「確認がとれました。どうぞ、五階のオフィスへ」
エレベーターに乗り、五階のフロアに向かう。そこでまたナースステーションで道を尋ね、ようやくカクイのオフィスを見つけることができた。
リョーはノックもせず、引き戸を開けた。
「相変わらずだな、リョー」
真向かいに陳列されているデスクに座る若い医師が出迎えた。
紅葉した葉っぱのように紅い髪色に、グレーの瞳。病院から一歩も出たことがないのではと思うほどに白い肌の優男。カクイ・ボルストラップその人だった。餓えた狼のようにギラついたリョーとは、どう見ても馬が合うとは思えない。
「まさか来るとは思わなかったよ。コーヒーでも?」
「テメェが来いって言ったんだろう。くれ」
「主治医の務めだ。砂糖は?」
「テメーはいつも上から目線だな。砂糖はいらねえ、クリームだ」
「そりゃ君より年上だし? 栄えある地球市民だし? 何よりアトリの大学入学にあたっての後見人だしね」
「…………」
「久しぶりに会えて嬉しいよ、リョー」
そう言って、カクイはクリームで真っ白になったコーヒーを差し出した。
「クリームで冷えたコーヒーが好きだったろ」
リョーは憮然とした態度を改めず、黙ってコーヒーをすすった。乳脂でギトギトになった苦みが食道を席巻する。
「タバコはまだやってるのか」
「ああ」
「五百年前に絶滅した文化を、健康を代償に保存しているわけだ。君は文化勲章を授与されるべきだな。滞在中はどうするんだ。当然ながらタバコなんて無いぞ」
リョーは袖を巻き上げ、二の腕を見せた。そこにはニコチンパッチが三枚貼ってあった。
「本当に君はバカだな。用法用量を守れって書いてあるだろ」
「読むかよそんなの」
「君みたいな人間がいるから医療訴訟が絶えないんだ。弁護士会からも感状を貰え」
カクイの言葉の暴力は容赦が無かったが、リョーはまるで借りてきた猫のようにおとなしくしていた。そして話を切り出した。
「昨日、任務に復帰した。だが初っぱなでやらかしちまった」
「警備対象と喧嘩して撃ち殺したか?」
「ソリドロジェン社の固体窒素採掘プラント。知ってるか?」
「……あのテロ、君もいたのか。今朝のニュースで見た」
「目の前で爆弾が爆発した。十メートルぐらいの至近距離だ」
「嘘つけ。それが本当なら君は死んでいるし、助かっていても失明している」
「衝撃波が来る前にヘルメットの気密シールドを展開して助かった」
「待てよ。君は爆弾が炸裂したのを見届け、後手の対応で一命を取り留めた事になるぞ」
「そういう事だ」
「結構じゃないか。君はスーパーマンになったわけだ。クリプトナイトに気をつけろ」
「ヤバい状況で小便チビるスーパーマンかよ」
「君でも失禁することがあるのか」
「ボディアーマーのトイレパックにな。助かった後も、しばらくはおかしかった。手に力が入らなかったし、視野も狭くなっていくし。なにより……」
「何より?」
「周囲が、止まって見えた」
いつの間にかタブレット型端末を取り出し、カルテを入力していたカクイの手が止まった。
「走馬灯って奴か? いずれにせよ、ちょっとおかしいな。半年前被弾したとき、心的外傷後ストレス障害を負った可能性がある。それが今回のテロ事件でおもてに出てきた」
「それくらいは俺にでも想像つく。それ以上の成果を期待して、俺はここに来たんだが」
「うん」
カクイはペンの頭を顎にあて、カチカチとクリック音を鳴らしている。何かを考えている時の癖だった。
「おいカクイ」
「肺はどうやって移植した? 幹細胞から複製して自家移植か?」
「……いや」
「免疫抑制剤は何を飲んでる?」
「そんなもん。飲んでない」
「…………」
カクイの表情が一層曇った。普段ならばリョーの嘘偽りを確認するところだが、診断中のやり取りに関しては別だった。
「正直、心当たりがありすぎて困る。尿検査からやろう」
そう言うとカクイは内線をかけ、検査の手配をした。すぐに看護師が現れ、リョーは別室へと通された。
一時間後。尿検査を済ませ、血液検査を終えた頃。心電図検査のため待ち合わせ室で待機していたリョーの元へ、カクイがやってきた。
「ちょっと、来てくれないか」
「心電図がまだ終わってねぇぞ」
「待たせる。とにかくオフィスに来てくれ」
オフィスに入るなり、カクイはリョーに向き直って詰問を始めた。
「どんな治療をしたんだ。いや、どこで手術をうけた」
「――なんだよ」
「君の血液を調べた。血液型の判別がつかないのはレアだがよくあるケースだ。だがDNA解析をしたところ、約半分が地球人の遺伝配列じゃない」
「…………」
「ゲノムデータバンクも当たってみたが、合致する物がない。後天性遺伝子疾患でもない。病原物質も見つからなかった。そうなると、ここ最近で一番体をいじられた事象が原因である可能性が高い」
「……移植か」
「もう一度聞く。どこで手術した」
カクイの語調が強まる。滅多に見せない、険しい表情をしていた。
「……スードゥって太陽系外の星だ」
「聞いたことない」
「当然だ。……協会の勢力圏だからな」
『協会』という言葉を聞いた瞬間、カクイは目を剥いた。
「よりにもよって協会の闇医者にかかったのか!」
「部隊付の医官に勧められたんだ。……治験に参加すれば安く済むって」
カクイは天を仰ぎ見、渋面を作った。そしてリョーを改めて見据えた。
「この……バカ野郎!」
カクイの大音声がオフィスの外まで響いた。
*
「おはよう兄さん」
「おう」
リョーは手のひらに浮かぶディスプレイで微笑むアトリに挨拶をした。首までに伸ばされた黒髪。毛先は若干のパーマがかかって内側を向いている。浅黒いリョーと違って、白くきめ細かい肌が対照的で目立つ。しかし目の造形の鋭さや瞳の色など、細かい顔のパーツが似通っている。
「悪いけど、背景はモザイクかけさせて。片付けてないの」
そういうアトリの背後は、トリミングされたようにモザイク処理されていた。
「部屋着はジャージか」
「そこは勘弁して」
リョーが笑うと、アトリも笑った。釣られて笑ったというより、リョーの笑顔を確認できての喜びだった。ナッツ色の瞳に感情が巡り、何から会話を始めようか逡巡しているのがわかる。
十年前、二人は事故で両親を亡くしている。直後リョーは学校をやめ、七つも歳が離れた幼い妹を養うため、宇宙へ出た。そして実入りの良い傭兵となった。
「あれ? そこ誰の家?」
ディスプレイをのぞき込むようにしてアトリが近づく。
「カクイのアパートだ。ちょいと泊めてもらってる」
カクイに激昂された後も、リョーは病院が閉まるまで検査を受け続けた。その後カクイは残ってデータを吟味すると言い、リョーに家の鍵を託したのだった。
「で、どうだったの?」
「何が」
「予後を見てもらったんでしょ?」
「んああ……。まぁ、ちょっと悪かったな」
「……大丈夫なの?」
「はは。ヤブ医者にかかったからな。心配すんな。余程マシなカクイにみてもらってる」
「そう……」
「これからまた病院にいく。あー……明日は合格発表だったな? 電話しろよ」
「うん。カクイにもよろしくって」
「おう」
通話が終わると、リョーは下唇をかんだ。
病院にやってくると、リョーは受付も通らずカクイのオフィスへと向かった。机にはカルテを表示してあるパッド型端末の他に、ぶ厚い医学書や雑誌が山積していた。その山の中に、カクイが頭を抱えて待っていた。
「おはよう。……眠れたか? リョー」
「お前は寝てねーのか」
「これくらい。なんてことないさ」
「コーヒーか?」
リョーはカクイにコーヒーをすすめた。しかしカクイはかぶりをふった。
「いや。飲み過ぎて胃が痛いんだ」
胃痛の原因は他にもありそうだった。
「……で、どうなんだ」
「――端的に言うと、君の体はエイリアンとの雑種になっている」
カクイの言葉に、リョーは頭が真っ白になった。理解が出来なかったという事だ。
「……その顔は分かっていないな。君の移植された肺の組織を検査した。豚の肺ならまだ良かったろう。どうも地球外高等生物の肺らしい」
「それがなんの問題になる」
「肺の神経が、君の神経と接合されているんだ。普通はこんなことしない。移植なんて、免疫をだまくらかして、正規品ではない部品を修理に使っているようなものだからな。オリジナルの部品じゃないから脳という制御装置のサポートは当然受けられない」
「保証が効かないわけだ」
「そう。それなのに君の脳は、海賊版の肺を正規版と認識し、ご丁寧に恒常性維持を行っている。そして免疫機能も、海賊版を野放図にしているわけだ」
「……それで?」
「接合された神経の細胞を起点として、体中の細胞が地球人とエイリアンの雑種になりつつある。いや、正確にはもうすでに置換済みか……」
そう言ってカクイはリョーに波形図を投げてよこした。リョーに読めるはずもない。
「神経電位速度が、常人の倍以上の数値を示している。人間が乗用車なら、君は戦闘機かも」
「周りがゆっくり見えるのはそのせいか?」
「ゆっくり見えるのは君の脳に変異が及んでいる証拠だ。高精度脳スキャンの結果、君のシナプスに存在するドーパミン量が異常に多いことが分かった。ドーパミンが大量に放出されると、人間の脳は急性ストレス反応……つまり火事場の馬鹿力の状態におちいる」
「危ない目に遭うと、とんでもない力が出たりするアレか?」
「そう。脳という制御装置が雑種細胞によってアップグレードされ、処理速度が上がった。ついでに筋肉やそれに命令を伝える神経までな。だから君は相対的に物が『遅く』見えているんだ」
「今はなんともないぞ」
そういうリョーの二の腕を、カクイは指さした。
「ニコチンだ」
「は?」
「ニコチンの害悪の一つとして、ドーパミンの分泌阻害と、受容体の不活性化があげられる。ニコチン中毒っていうのは、タバコを吸っていないから脳のドーパミン量が足りていないということなんだ。吸えばドーパミンの代わりにニコチンが受容体に接合し、多幸感や充実感が得られるように錯覚する。――だが今はそれが君の命綱でもある。大量に分泌されるドーパミンをニコチンが阻害し、多くの受容体を不活性化させている。つまりニコチンを摂取している状態が『ノーマル』になっているわけだ。――わかった?」
「わかった」
カクイは全精力を使い果たしたようで、椅子の背もたれへ身を投げ出した。鼻梁の上をつまみ、疲労困憊といった様子だった。
「――どうやって治すんだ」
「遺伝子治療しかない」
「いくらかかる」
「むしろ、何が必要かだ。君のオリジナルの遺伝子配列が必要なんだ」
カクイは力なくコーヒーメーカーに歩み寄ると、こりもせずブラックコーヒーをマグカップへ注いだ。
「君の生命保険だけど、グレードは?」
「Aだ」
「そうか。遺伝子の登録オプションはないな。終わりだ」
「は?」
「治せない」
「それはお前がヤブだからか?」
「――そうか。じゃあ火星の医大を出て、地球の連邦メディカルスクールを出て、連邦医師免許を持つ医者の意見を聞いてみようか」
カクイは湯気の立ち上るコーヒーを一息に飲み干した。
「無理だ! 遺伝子治療の最先端を行く医者だって、逆立ちしたって無理だ」
「……ふん。まあいいさ。診断書をくれ」
「君の体の異常はエイリアン細胞のせいだからって書くのか? それこそ身の破滅だぞ」
「なんで」
カクイは口を開けて、一瞬呆けてしまった。
「まさか『条約』を知らないわけじゃないだろうな」
「知ってるさ。太陽系外の物を許可無く太陽系内へ持ち込むなってアレだろ」
「君の胸に入ってる物はなんだ」
「……いわなきゃバレねえさ」
「バレてる」
「なんで」
「DNAシークエンサーでゲノムデータバンクにアクセスした時点で、君のワケの分からん雑種遺伝子がサーバーにアップロードされた。遅かれ早かれ、マークされるぞ」
「余計なことしやがって!」
リョーは犬歯をむき出しにして吼えた。気のせいか、頭髪も怒りで逆立っているように見える。それと対峙しても、カクイは全くひるむ様子を見せない。
「そもそも君が闇医者にかかるからだろう!」
正論を真っ向から叩きつけられ、リョーは押し黙るしかなかった。自業自得ほど、他人から指摘されて苛立つものはない。
「なんでそんなに急いだ。僕に相談してくれれば良かったのに」
「……重量物も持てず走れもしない廃人を、傭兵部隊がいつまでも置いとくか? 医官が勧めた治験に参加したら、雇用を保証されたんだ」
「……軍の医官に勧められたって言ったな? そいつはどうした」
「死んだ」
「また。どうして」
「入院して五ヶ月ほど経った頃、病院が現地住民に襲われた。治験に参加していたヤツは結構いたが、病院の人間と一緒にみんな殺された」
「君はなんで無事なんだ」
「病院のシャトルを奪って逃げた。……それが一ヶ月前の話さ」
沈黙がオフィス内を包んだ。カクイはリョーのがむしゃらなあがきへの反応に困り、リョーは自分の直面している災禍に混乱していた。
「……ひとまず今日も僕の家に泊まれ。火星の総務局に知り合いがいるから聞いてみる」
*
キッチンの換気扇が単調な排気音を部屋に響き渡らせている。ファンが吸い込むのは、リョーが口から吐き出したタバコの煙である。上半身はインナーシャツのみで、袖口からは円形のパッチかぶれがのぞいていた。何度かしつこく掻きむしったアトも見える。これ以上パッチを使い続けるのは、リョーの忍耐の限界を超えていた。
今晩もカクイは病院泊まりだった。宿直の日だという。昼間は火星の総務局の友人とコンタクトを取り合い抜け道を探っていた。だが、太陽系外の覚醒物質や珍しい動植物の密輸を試みる者達といたちごっこしてきた法律は、盤石の出来であった。
腕時計のバックルが震える。アトリからの着信だった。
「兄さん! 今大丈夫?」
「おう」
「うかったよ! 合格してた!」
ディスプレイの向こうで、アトリは合格通知を画面に貼り付けんばかりに広げて見せていた。
「良かったなあ」
「しかも特待生奨学金まで貰えたよ……やったよぉ」
合格通知がディスプレイから取り払われると、アトリは眼を腫らして泣いていた。しばらくは嗚咽で会話にならず、リョーはその様子をただただ見守っていた。そして、十年前に遺体安置所で両親の亡骸を見て泣きじゃくっていた彼女を思い出していた。ただ、あの時とは置かれている状況が違っている。泣いているアトリがもらす嗚咽には、所々笑い声が潜んでいた。
自分の役目が終わったという気持ちが、リョーの心中を渦巻いていた。アトリは自分の道を自分の力で切り開いた。もうリョーの力を借りなくても生きていける。そのことを確認しての、安堵だった。
両親が物言わぬ姿になったのを見たときから、リョーはアトリを食わしていくことだけを考えていた。父親や母親の遺体が、足下で泣き崩れる妹を守れという、最後の言いつけを投げかけているように感じたからだ。
がむしゃらになって働き、遺児年金や親の生命保険も全て自分たちの自立のために使った。最初のうちは塞ぎ込んでいたアトリだったが、朝から晩まで駆けずり回るリョーに呼応するように学業に復帰。遊びや付き合いもせずに勉強に励んでいた。
ある意味では、この十年で苦しかったのはアトリかもしれない。リョーは傭兵業にシフトすることで、付き合いや遊びを覚えた。だが、アトリはリョーから送られてくる稼ぎを無駄にすまいと、一心不乱に学業だけに専念していたのだから。
亡き両親や、リョーの無言の期待を感じていたのかもしれない。プレッシャーや、学友からの妬みもあったかもしれない。今まで気づかないふりをして過ごしていた感情が、ディスプレイの前で決壊していた。
「――今日はもう切るか? 話にならねえだろ」
気がつけば右手のタバコは、ろくに吸っていないのにフィルターまで燃えていた。キッチンの隅から引きずり出した空き缶にタバコを放り込むと、新しいタバコをくわえて火を点ける。
「うう……。だめ、まって……」
アトリはディスプレイから離れ、何処かへと中座した。すると水がシンクに落ちる音が聞こえてくる。顔を洗っているようだ。戻ってきたアトリの顔は案の定しめっており、前髪が濡れていた。
「あー……。落ち着いた。取り乱してごめん」
リョーは何も言わず首を振った。
「なんかお祝いしないとな。なにが欲しい?」
「まだ終わりじゃないんだから、良いよ。これからが本番なんだから」
だがリョーは何かをしてやりたかった。ことと次第によっては、これが彼女との今生の別れになりかねないからだ。
「……ちょっと、長いこと辺鄙な所に派遣されることになったんだ」
「え。どこ?」
「任務上、言えない」
「ええー……」
リョーはタバコを一口吸った。ここ十年で、初めてアトリにつく嘘に緊張しているのだ。
「だからよ……。まだ太陽系にいる間に、なんかお祝いをなと思って」
アトリは困った風に考え出した。遊びを知らず、これといった趣味もない彼女にとり、なにかお祝いをといわれるのが一番困った。具体的な欲望を提示することになれていないのだ。
「……なんでも言うこと聞いてくれる?」
「おう」
「まって。もう一回。録音する」
「言質とるのかよ。卑怯だぞ」
ディスプレイの右上端に赤文字で、記録中の記号が現れる。
「なんでも言うこと聞く?」
「おう。聞いてやるよ。なにが欲しい? 車か? 服か?」
「地球にきて」
「……おいちょっとまて」
アトリは眼をくりくりと動かし、悪戯っぽく笑っていた。しかしそれはリョーの事情を知らないからであって、リョーは焦りを隠せなかった。
「大学の卒業式が来月あるんだ。卒業パーティがあって、みんな家族が同伴するの。カクイも呼んで、三人でさ」
「いや、俺は……」
「地球市民じゃないって? 滞在ビザならすぐ降りるよ。私が招待する書類を提出すれば良いんだし。それにカクイは医者で市民レベル八でしょ? 尚のこと大丈夫だよ」
ニコチンも切れていないのにリョーの指は震えた。地球には行けない。すでに火星の銀行口座は凍結されているのを昼間のうちに確認していた。そのうちに体の移動も制限されるに違いない。そんなお尋ね者状態である事を、祝いの席で暴露するのは御免だった。
「俺はそういうパーティは苦手だ……。カクイだけでも……」
「兄さん。お願い」
言質はとられた。お祝いを申し出たのはリョー自身だ。そして長いこと出ずっぱりでアトリとの接触を断ってきたのもリョーの責任である。ここで断れば、恨まれることは無くても彼女を大きく傷つけるのは間違いなかった。
答えは決まっていた。
「……わかった。必ず行く」
*
アトリと約束した日の翌朝。リョーはカクイの務める病院のカフェテリアに居た。
「おはよう……リョー」
「おう」
カクイはカフェで朝食をとっていた。彼は目の下にくまをため、顔は疲労で土気色になっている。折角のベーコンエッグのモーニングプレートは完全に冷えていた。食欲もないようだった。
「具合は?」
「タバコさえ吸ってりゃ、なんともない。テメェこそひでえ面だ」
「だれかさんのせいでね。食うか? あげるよ」
「もらうわ」
リョーはカクイの食いさしを引き寄せ、バターロールにベーコンエッグとサラダを全部挟んで一口にかぶりついた。潰れた黄身が、バターロールから皿へしたたる。
「――火星の総務局はだめだ。『前向きに検討』だとさ。だから官僚は嫌いなんだ。それから君の体のスキャン結果だが……」
「アトリが法科アカデミーに受かった」
リョーの言葉に、カクイが目を剥いた。
「マジか」
「マジマジ」
「凄いな! そりゃ……そりゃ凄い! え……凄い!」
眠気と驚きで、カクイの頭の中の語彙は激減しているようだった。
「いやー、感慨深いな! よし! 今晩どこかで呑もう!」
「……卒業パーティに呼ばれた」
「…………」
朗報に湧いたカクイだったが、冷や水をかけられたように現実に引き戻されようだ。血色の良くなった顔色が、また土気色に戻った。
「君の体のことは?」
「言えるはずがない」
「誠意に欠けるな」
「俺もそう思った。アトリに初めて嘘をついた」
「なんて?」
「パーティには行く、と」
「本当にバカだな!」
「テメェなら断れたか?」
カクイは口をへの字に閉ざし、目をつむった。
「なあ。遺伝子治療にはなにが必要なんだ」
「言っただろ? オリジナルの遺伝子配列だ」
「それはどうやって手に入れるんだ」
「君の体由来の物ならなんでも。血液とか毛とか。確度は下がるが、排泄物でも良い」
バターロールの切れ端を頬張るリョーの口が止まった。
「血液?」
「ああ。血液が最高だな。ただし、君の体がいじられていないときに採取されたモノだ」
「ふーん……」
リョーは無関心そうに振る舞い、頬張っていた朝食を飲み下し、まっさらになった皿をカクイに押しつけるように戻した。
「あばよ」
「どこへ行く」
リョーは振り返らない。
「おい!」
リョーは今しがた出発しようとするエレベーターを止めて飛び乗ると、カクイを取り残してカフェを立ち去った。
その後、リョーはコロニー中心から二駅ほど離れた場所の貸倉庫に向かった。この倉庫は傭兵組合が借り上げて運営している共有施設の一種である。ここへ傭兵達は各々の嗜好品や日用品を集積している。そしてことあるごとに戻ってきては補充し、また戦地へと赴くのだった。
リョーはここへタバコを四×十メートルの区画二つ分、保管していた。ほとんどが、タバコが禁制品となる前に、彼の六代前の先祖が一生分と思って買い込んだ遺品である。遺品整理のとき、それをリョーが見つけ、同時にとりこになったのだ。
リョーは雑嚢に、引き絞られた青い弓矢のマークがあしらわれた紙箱を七つ、放り込んだ。ロゴには『ホープ』と書かれている。
リョーは鼻で笑った。カクイがこのロゴを指して、ボロクソに言っていたのを思い出したからだ。医者の彼に言わせればへそが茶を沸かすような話なのだ。
タバコの山から、今度は紺地の五十本入り缶を取り出した。ロゴは『ピース』と書かれている。蓋を開けると、中にはライフル弾が十数発入っていた。次にカートン箱を取り出して開梱すると今度はライフルのマガジンが現れる。タバコの山に隠れる武器が次々と掘り出されては雑嚢へしまい込まれる。
「君は直情的に過ぎる」
倉庫の入口側から突然かけられた声に、リョーは反射的にハンドガンを向けた。そこには、見覚えのある人影が立っていた。カクイだった。
「テメェ……」
「――噂は本当だったんだな。傭兵の貸倉庫が太陽系中にあり、武器の収蔵庫になってるって」
「なんでここに」
「君は僕のアパートの鍵を持ったままだ。貸したまま失踪させるほどお人好しじゃない」
そう言うと、カクイは手のひらに浮かぶディスプレイを見せた。
「キーホルダーが発信器になってるんだ。……部屋で鍵をなくすことが多くてね。まさかこんなふうに使う機会が来るとは思わなかったけど」
リョーは安全装置をかけ、銃を収めた。
「鍵は返す。さっさと出て行け」
「どこへ行くつもりだ? そんなに……」
カクイは雑嚢の銃器類をのぞき見た。
「『おもちゃ』を持って」
「テメェの知った事かよ」
「――せめて、なにを思いついたか聞こうと思ってね」
空のマガジンに銃弾をセットしている手を休めたリョーは、一瞬考えると話し出した。
「手術前に採血された」
「……確かか? いや。あり得るな。いくら闇医者でも、血液型ぐらいは調べるだろうし……」
「ああ。その血液がまだ残ってるならと思ってな」
「――すごいな。よくそこに気づいた」
「寝不足のテメェと違うからな」
リョーはフンと鼻で笑い、銃器とタバコ。そして若干の戦闘糧食で一杯になった雑嚢を背負い、倉庫を後にしようと立ち上がった。
「どうやって行くんだ。その……スードゥとかいう星に!」
「駐機場のシャトルでも盗むさ」
「それこそ犯罪だぞ」
「バレなきゃ犯罪じゃない」
「僕がバラす」
リョーはカクイを横目で睨みつける。倉庫入り口からの逆光の中で、リョーの瞳が金色に映えた。
「どうすりゃその小うるさい口を黙らせられる」
「簡単だ」
カクイはポケットから別のキーを取り出した。プレアデス星団を模したキーホルダーから、自家用シャトル用のキーだとすぐ分かった。
キーを指にかけてチャリチャリもてあそびながら、カクイは口を開いた。
「一緒に来いとお願いしろ」
「…………」
リョーのこめかみが痙攣するのを見て、カクイの表情が解けた。
「僕は主治医だ。患者の健康に責任を持つ義務がある。それに、君みたいながさつな人間に貴重なサンプルを扱えるハズも無い。医療関係者を同行させるのがスジだ」
「……帰ってこれるか分からねェぞ」
「大丈夫さ。君は百戦錬磨。僕は未開地で医師団員として活動したこともある。それに、君は分の悪い賭けは嫌いだったろう? その君が動くということは瑞兆なのかと思う」
カクイはシャトルのキーをチャリチャリと振り回してもてあそんでいる。腕っ節から見れば、リョーはカクイをぶん殴ってでもキーを奪い取り、一人で旅立つことも可能だった。
「――僕にも、卒業祝いの一端を担わせてくれよ」
リョーはカクイに詰め寄り、キーをふんだくった。代わりに、自分のハンドガンを一丁、マガジン数本と共に託した。
「こんなことで、アトリの気をひけると思うなよ」
「知ってる」
二人は倉庫を閉じ、肩を並べて歩き出した。気のせいか、リョーの足取りは軽かった。
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