STASIS<ステイシス>

日向 しゃむろっく

序章

 シャトルの窓から見える眼下の景色を、淡褐色の砂が覆い尽くしている。

 機内にアナウンスサインが鳴った。


「皆様。あと五分ほどで、当機は目的地に着陸します。外気温は摂氏四十度。湿度二十%です」

「ひどいな」


 チャコールグレーの蛇腹詰め襟に、でっぷりと肥えた体を収めた男——ユーリ・セランデルは、忌々しそうに言った。ハーフフレームの眼鏡の奥から、エメラルドのような碧眼が覗き、下界を見下ろしている。年は四十台前半といったところか。


「ダイエットはツアーのオプションかい」


 セランデルは渾身の自虐ジョークをいったつもりだった。だが、周囲の座席に座る面々は、戦々恐々としていた。ただ一人、彼のすぐ後ろに座る秘書の女性だけが噴き出していた。


 セランデルの正面に座っている痩せぎすの男が、その雰囲気を打ち破るようにして口を開いた。男の制服にはドクター・ロアキンという名札が張り付いていた。


「シャトルは森の着陸パッドで直接下ります。森の中は日光が遮られ、さほど不快な気温ではありませんよ」

「ほう」


 過ぎゆく砂だらけの景色の中に、突如として青々とした、巨大な森が現れた。シャトルはその上を滑空すると、森の中に穿たれるようにして整備された着陸パッドを目指した。


 着陸パッドの横にはコンクリート造りの建物が併設されていた。

 ゆっくりと垂直にシャトルが降下していく間に、セランデルの眼は周囲を覆う木々を睨み付けていた。


「鬱蒼としていて、気味が悪いな。着陸パッドを建設するのに、どのくらい伐採したんだね」


 セランデルはロアキンに尋ねた。


「一万五千から二万本ほどです」

「もっと切った方が清々したろうにな」

「ご冗談を。あの木こそが、金の卵を産む雌鶏ですから」

「ふん」


 機体の壁の一部が外側へ開き、そのままタラップになった。セランデルはすでに狭い機内で立ち上がり、詰め襟のすそを下へひっぱり皺を正していた。その様子を見てロアキンはそそくさとタラップ前へ駆け寄り、案内役の務めを果たそうとしていた。


 新鮮な外気がシャトル内部を循環する。星は変われど、森の空気という物の『うまさ』は変わらなかった。


「足元にお気をつけ下さい」


 急勾配のタラップをロアキンが駆け下りると、次いでセランデルが全体重を落とし込むようにして下りてくる。そのたびに、シャトルが微震した。


「確かに。涼しいな」

「気温二十七度。紫外線量はオーストラリアの平均に比して九割程度ですが、許容範囲です」


 秘書が細かいデータをセランデルへ伝える。


「ご心配なく。このまま森の中へご案内できます。どうぞ、こちらへ」


 研究施設から数名の職員が駆け寄り、シャトルの面々にヘルメットを手渡していく。セランデルはヘルメットのサイズと頭のサイズが合わず四苦八苦し、結局はベルトを最大に伸ばして頭に乗せるしかなかった。その不格好さを、秘書は再び笑い飛ばした。

 一行はロアキンを先頭として、薄暗い森の中へ入っていった。


「……ご承知の通り、われわれ協会の医療部は、代替臓器プロジェクトを手がけています。人工臓器や自家移植は今や当たり前になりましたが、人工臓器は所詮は作り物。自家移植のために臓器を複製しようにも、時間が足りないケースが往々にしてあります」


 森は人の丈ほどの幹を持つ木が織りなしていた。木々の肌はサルスベリやシャラのように滑らかで、磨けば顔が映りそうだった。

 ロアキンが説明を続ける。


「この星の住民であるスードゥ人は、遺伝子的には地球人とまったく異なります。しかし構成要素が同じであるため、遺伝子をデザインし直して『余計な臓器』を一つや二つ、その身に宿させることは難しいことではありません」


 ロアキンが自分たちの大業を語るうちに、一行は目的地へ到着した。森のとある木のまわりに、数十人ほどの現地民——スードゥ人が集まっている。彼らは人の形をしていたが、誰も腰巻きすらしていなかった。


「ご心配なく。彼らは外性器を持ちませんので」


 ロアキンの説明通り、遠目に見てもスードゥ人の体は平滑で、性差がよく分からない。


 セランデルはその群衆の中に、とりわけ異様な姿をしている個体を見つけた。他の平滑な肌を持つ者達と異なり、その肌はナラのように大きくひび割れ、体幹は歪んでいた。


「彼ですか? 彼はソミカ。スードゥ人の長老のうちの一人です。我々に色々と協力してくれています」


 ロアキンはニヤリと笑った。

 スードゥ人達は一様に、何か頭上の物を見上げている。セランデルがその視線を追うと、人の頭より二回りは大きい、クリーム色の果実が実る枝があった。


「もうすぐです。彼らがああして集ってから、二時間後には落果します」

「二時間も待つのかい?」


 セランデルがうんざりしたような声で言った。


「失礼しました。彼らが集まってもう一時間五十五分経ちます。もう落ちるでしょう」

「きみは言葉がたりんね」


 ロアキンは頭をかいて、うわべだけの申し訳なさを滲みださせた。


「ソミカとか言ったか。彼はどういう形で協力してくれているんだい?」

「本当に色々です。不満をいう住民を抑え込んだり。しかし一番の貢献は、彼の特異的な遺伝子の提供ですね」

「特異的な遺伝子?」

「はい。彼はあのように節くれ立った体をしていますね? あれはモンストといって、体のあちこちに成長点というものが出来る奇形形質です。そのおかげで、彼は体のあちこちに手腕や複数の臓器を持っています」

「気味が悪いな」

「ええまったくです。しかし、その遺伝子をちょっといじることで、スードゥ人の体に人間の臓器を創り出させることができるんですよ。——ああ、もう落ちます」


 果たして、ロアキンの言ったとおりになった。実は自重で枝から離れ、地面へと落下した。よく下草が刈られた地面へ衝突すると、果実はその形を留められず、崩れた。


「おお!」


 スードゥ人の群衆が異口同音に完成をあげた。彼らは身を寄せ合うように、崩れた果実へ殺到した。ロアキンはセランデル達を先導し、その群衆をかき分けて視線を確保した。


 崩れるほどに熟して柔らかくなった果実の中に、赤子が眠るようにして縮こまっている。果皮の下に果肉は少ない。橙色の筋が赤子の皮膚につながっているが、ほとんどが落下の衝撃で離断していた。果汁も少なく、全ての養分を赤子へ与えたかのようにパサついている。


「——このようにスードゥ人は木の実から産まれます。そして成熟していくと、五シーズンほどで次第に体が木質化し、あのような低木へと変態、森を形成するのです。いわば、この森はスードゥ人の終の場。墓という訳です」


 ロアキンが饒舌に語る間にも、スードゥ人達の『儀式』は続いていた。

 見守っていた群衆の中から若い男に見える個体が進み出ると、赤子を抱き上げ、足を持って逆さづりにする。そして臀部を二、三度ひっぱたいた。


 赤子が泣き出す。群衆は再び歓声をあげた。若い男は赤子を大事そうに抱えなおすと、先ほどのひび割れた肌の個体——ソミカに手渡した。


「——タクラニの子よ、我らの世へ歓迎する。そしてタクラニよ、新しい命をこの世に送り出してくれたこと、感謝する」


 しゃがれた男声が絞り出される。ソミカは赤子の頭を優しくなで、すでに生え始めている髪を整えてやった。赤子はもう泣いてはいない。


「白のティウよ。この子に祝福を」


 ソミカに『ティウ』と呼ばれた、色白の個体が前へ進み出た。背中の中程まである髪は浅黄色で瞳は赤い、背は他の者より若干低めである。いくらか華奢な造りの体躯から、セランデルはその個体に女性らしさを感じた。そのティウが何かを述べようとした時。


「ああソミカ。その子はこちらで預かるから」


 ロアキンがソミカとティウの間に割って入っていった。


「——ロアキン。儀式を続けさせてくれまいか」


 ソミカはしゃがれ声を一掃落ち込ませ、懇願するようにいった。


「だめだめ。この後、変な樹液を飲ませるんだろ? 無菌化に支障のあることはさせられないよ。ちょうど大事なお客様もお見えになっているんだ。我々の成果を、間近で見てもらわなければ」

「——そんな幼い子を、どうするんだ?」


 セランデルは尋ねた。ロアキンは一瞬うろたえたが、すぐに水を得た魚のように饒舌になった。


「遺伝子を再構築します。成熟し木に変態すると、子ではなく指定された臓器を木の実として実らせるように。……ああ、君! この子をデザインラボへ」


 ロアキンはソミカから赤子をひったくるようにして奪い、セランデル達にくっついてきた施設スタッフに渡した。その様子にスードゥ人の群衆はどよめき、怒声のような声もあがった。


「ここで生産される臓器の何よりの強みは、拒絶反応が起きないことです。誰にでも移植でき、何にでも使えます。だからデッドストックもない。非常に優れた工場で……」


 ロアキンの言葉が周囲の群衆の怒声によって中断された。

 ソミカは怒る彼らに対して、抑えるよう目配せをしていた。が、真に彼らを抑えたのは、セランデル達の背後から展開してきた、武装したスタッフによる示威だった。


 シャトルの面々は皆、一触即発の雰囲気に身の危険を感じていた。いくら現代兵器で武装している護衛に守られているからといって、包囲されていては誰かしらが犠牲になるのは素人でも分かった。ただ一人、セランデルだけは腹を押し出して堂々としていた。


「無遠慮が過ぎたようだなロアキン博士」


 セランデルはねっとりと、ロアキンをたしなめた。ロアキンは気まずそうに視線を泳がせていた。


「それで? 補助プログラムのほうが成功したことは分かった。主幹プログラムのほうの進捗は? 本部はそちらの方を気にしているんだが」


「そ、それはラボのほうでご説明いたします。君! 皆様をご案内して……」


 ロアキンに促され、彼の部下であるスタッフが先頭をかわった。セランデルを始めとした面々は武装スタッフに守られながら、着陸パッドに併設されていた施設へ、来た道を戻った。


「クソッ! 調整役のくせに。形ばかりか態度までデカい」


 ロアキンは口汚く、そして誰にも聞こえないようにセランデルを罵った。


「ロアキン」


 ソミカに再び声をかけられたロアキンは眉間に皺を寄せ、苛立たしさを隠さず振り返った。


「なんだ、ソミカ」

「頼むから、幼子までが苦しむようなことはしないでくれ」


 ソミカの言葉に、ロアキンは眉をひそめた。


「あの子が製造を担うようになるのは木になってからだ。——木が苦しむのか?」

「当然だろう」

「ソミカ。君は、死人も傷つくと痛がると言ってるんだよ? 分かっているか?」

「分かっていないのはお前だろう。地球人」


 ソミカの後ろから若い女声が聞こえてくる。ティウだった。


「我々は木となり、新たな生を得ているのだ」


 ロアキンは苛立ちと蔑みの入り交じった声で反論した。


「麻酔をしろとでも? 君たちが変態した木は痛覚がないことが分かっている。むしろどうやって痛みを与えられるのかね」


「物事を表面的にしか見られないほど、地球人は劣等なのか」


 辛辣な言葉を投げつけられても、ロアキンは涼しい顔をしていた。彼らが言葉だけで、もはや強硬な手段をとる力もないことは、すでに分かっていた。


「その劣等な地球人に刃向かった君らはどうなった? 半年前の、研究施設襲撃みたいなことをまたやってみるか? まあ僕は感謝しているけどね。前任者達が君らによって一掃されたおかげで、職位が繰り上がったんだから」


 そう言うとロアキンは踵を返し、セランデル達と同じように道を戻る素振りを見せた。


「同じように、あのデカくて脂ぎった連絡官も殺してくれないか! そうしてくれたら、お礼に木にも麻酔をかけてやろう! ははは!」


 上司の陰口と、自分が隷属させている者への蔑みをまき散らし、ロアキンは一転して上機嫌になっているようだった。森の入り口側へ消えていくその背を、ソミカとティウ、そしてスードゥ人の群衆は怨嗟渦巻く瞳で見送った。

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