第十章

 ル・アの戦闘艇は一路、大変動を生じている赤道地帯の森へと飛行していた。

 カーゴ内のクローン達は装備の補充を終え、皆々ヘルメットだけを外してくつろいでいる。どの個体も、みな同じ顔、同じ髪色、同じ目をしている。しかし、互いの違いが分かっているような雰囲気である。


 ある一団がカクイのピックアップに搭載されている重機関銃を物珍しそうに触っていた。


「オイ。オモチャじゃねぇぞ」


 リョーは私物を触られているのがいたく気に入らないようだった。彼はカーゴの壁に背中を預け、両足を投げ出して座っている。額には大きめのコインのような機械が二つ取りついている。


「動くな。黙って絵を見ていろ」


 カクイはリョーにパッド型端末を持たせ、絵を見せていた。絵は次々と変わり、コイン型の機械を通じて脳の活動が記録されていく仕組みである。


「これは何の意味があるんだよ」

「黙ってろ」


 ピシャリと言われて、ようやくリョーは静かになった。


「脳神経に不自然な安定が見られるな」


 別の端末に表示される脳神経活動グラフを見て、カクイは眉をひそめた。


「結構なことじゃねぇか」


 カクイはリョーの額から装置を取り払った。


「ティウ。君はリョーを殺そうとしていた。その種明かしをする時じゃないか?」


 リョーは、カーゴの隅で足を抱えて静かにしているティウを睨み付けた。カクイが端末の画面を指さし、声だかに続ける。


「アセチルコリンの量がずいぶんと安定している。まるで調節されているみたいだ」

「……地球人の代謝のことなど、知ったことか」

「ごまかすな。アセチルコリンが飽和すると、人は呼吸筋が麻痺する。心臓も動きが遅くなり、瞳孔も縮まる。全部、さっきリョーが陥った症状に当てはまる」

「察しの通りだ。脳の神経伝達物質を大量に放出させ、呼吸を止める。簡単だろう? だが分かったところでお前に何が出来る。今そいつの命綱を握っているのは私だ。私が死ねば、お前達が言うなんとかという物質が脳であふれる。結果は分かるな?」

「種明かしご苦労さん。カクイ。なんとかしろ」

「無理だ」

「はぁ? お前医者だろ」

「手段が無い」

「んなワケねぇだろ! この変な機械だって、お前があのクローン人間を言いくるめて無心したんじゃねぇか。何かあるだろ!」


 リョーはパッド型端末とコイン型の機械を振り回して当たり散らした。


「……なあ君ら」


 カクイはル・アのクローン達に声をかけた。いつの間にかピックアップから重機関銃を下ろして、整備を始めている。それに気づいたリョーは声にならない叫び声を上げた。


「コリンエステラーゼ活性を上げる薬剤はないか」


 クローン達は顔を見合わせ、しばしの沈黙が訪れた。首筋に見える機械化された部分のアクセスランプが二、三度点滅したのち、一体が答えた。


「耐神経剤用の解毒剤は揃っている。だが、どれもコリンエステラーゼ活性を回復させるだけで、元の活性は上げられない。お前も医者なら分かるだろう」

「ああそうだな。僕がバカだったよ」


 カクイは苦虫をかみつぶした顔をリョーへ向ける。


「だ、そうだ」

「解毒剤があるって言ってるぞ」

「彼女らが言ってるのは毒ガスの解毒剤だ。V剤なら、君も聞いたことあるだろ?」

「何がダメなんだよ」

「V剤を始めとする神経ガスは、例えるなら脳内のゴミ収集車を片っ端からパンクさせるんだ。するとどうなる?」

「脳みその中がゴミであふれる?」

「そう。解毒剤はそのゴミ収集車のパンクを修理してくれる」

「結構じゃねぇか」

「話はここからだ。ティウが君の頭にした事っていうのは、ゴミ収集車が回収仕切れないゴミを脳内にあふれさせるって事だ。これでは解毒剤の意味は無い」

「ゴミを出させなくしろ」

「残念だけど、この世にある神経ガスは全てゴミ収集車がターゲットだ。パンクしてない収集車にパンク修理して、スピードが上がる訳でもなし」

「手詰まりか」

「エステラーゼ活性を上げるか、アセチルコリンを出させなくする物があれば良いんだが、そんな物は病院だって常時ストックはしていない。ましてやここは戦闘機だ」


 リョーは大きく鼻からため息を吐き出し、壁へ体を投げ出した。そしてタバコを取り出して咥えると、タバコをピコピコ揺らしながら言った。


「機内禁煙?」


 誰に向かって言ったわけでもないので、当然ながら誰も反応しなかった。だが、カクイが何かを見つけてリョーの肩を叩き、カーゴの隅を指さした。そこでは三体のクローンが喫煙具の類いをふかしていた。


「宇宙タバコってか」


 リョーはオイルライターのフリントを弾いた。タバコの先端が赤く光り出すと金属製の蓋が勢いよく閉じられ、キーンという音が響く。ニコチンが頬の内側の皮膚から全身へと染み渡る。

 カクイが煙を払いながら言った。


「ともあれ、この船に乗っかっていれば地球には帰れる。良かったな」

「俺はまだアイツにタマ握られたままなんだが?」


 リョーは顎でティウを指した。


「それはそうだが……」


 一番の懸案事項にカクイは悩んだ。ふとピックアップのほうを見てみると、クローンの一体が座席からリョーの血液サンプルが入った容器を取り出していた。それに気づいたカクイはピックアップのほうへすっ飛んでいった。


「……オイ」


 リョーはタバコを咥えたままティウを呼びつけた。


「元の世界を取り戻したいって思うのは辞めておけ」


 ティウがリョーへ怒りに満ちた視線を飛ばした。


「俺は本当のことを言ってるだけだ。協会という外圧がなくなっても、それは一時的だ」


 リョーはコクピットのほうへと首を傾げる。


「アイツらが協会を追い出しても、次の日には協会が大挙してやってくる。それだけの旨味があればな。それにだ」


 フィルターまで減ったタバコを床に押しつけて消すと、二本目を吸い出した。


「お前らは地球人のテクノロジーを見ちまった。地球人がいなくなったとして、その先の未来にあるのは没個性な文明だ。空の飛び方はロケット、地面の走り方は内燃機関。ゼロから考えた技術は顧みられない」

「……お前達ほど我らは怠惰ではない」

「お前が新しい文化を擁立するのか? これからこの星の表面に、何十という戦闘機と戦艦が墜落するだろうよ。銃もゴロゴロおちる。劣等感という傷痕の上に立って、何を説くっていうんだ」


 初めてリョーとティウの視線が合った。


「昔の平穏さは残らない」


 リョーはスードゥの有様に、かつて自分が戦ってきた植民星や協会の息がかかった地球型惑星の出来事を重ねた。連邦政府の依頼で協会の勢力を追い出しに行くたび、原住民が地球の言葉のロゴやキャラクターをあしらった安いシャツを着ているのを見かける。地雷かと思って警戒した物が、彼も飲み慣れた甘ったるいコーヒーの缶だった事もある。一度部外者が踏み荒らした『自然』というものは、二度と戻らないことを、リョーは一番知っていた。


「……ならば。お前達地球人は償いをするべきだ」


 しばしリョーはにらみ返すティウの目を眺めた。そして、何か諦めたかのように頭を壁へゴトリとぶつけると、大きく煙を吐き出した。

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