第八章
リョー達のいる地点から西へ一万キロほどの、スードゥの丁度反対側。
陽光を浴びて、協会のシャトルと輸送船、そして護衛の戦闘艇が次々と森へ降下する。森に穿たれた広場に輸送船が地面すれすれにホバリングしていると、横っ腹から兵士が三十人ほど現れる。低姿勢で周囲を警戒し、安全が確認されるとシャトルが降着した。
シャトルのタラップが下ろされ、グレーの詰め襟の太った男が降りてくる。セランデルだった。
「ここも熱いな」
先に展開していた兵士達がセランデルの前方を固めた。前方の森の暗がりから、ソミカとその取り巻きが二十人ほど現れたのだ。
「やあ、出迎えご苦労様」
セランデルは如才なく挨拶した。兵士達をかわし、右手を差し出して握手を求める。
「……ロアキンはどうした」
ひび割れた顔の皮膚の中で、ソミカの眼が辺りを見回した。毎日のように自分たちを観察してきていた存在が、この日に限って居ないのは違和感があるようだ。
「さあね。それよりも、今日はもっと偉い人が来ているよ」
セランデルはシャトルのタラップへ手を差し伸べた。後続の輸送船から下りてきた追加の兵士がタラップ周辺を固め、セランデルまでの花道を作る。
白髪交じりの、紳士然とした六十代の男が降りてくる、詰め襟の裾が金糸で縁取られ、襟には協会の徽章が飾られている。一見して、ロアキンよりも遙かに上位の人間だと分かった。さらにその後ろから、五十代の男がついてくる。
「遺構調査部長のミスター・モークリーだ。そして医療部長のミスター・ジェズニーク」
「モークリーだ。よろしく。あなたがソミカですか。話は聞いています」
モークリーはできるだけソミカに近づいて微笑みかけたが、セランデルと違い握手は求めなかった。
「ソミカ。案内を頼めるかな?」
セランデルの求めに対して、ソミカは首を横に振った。
「知らない者を大勢、聖域に入れるわけにはいかない。ロアキンに求められたから案内するのだ」
妙な信頼だった。
「――ミスター・ロアキンは急用で来られない。代わりに私が来ている」
医療部長のジェズニークが、セランデルの前へ出てくる。
「知らない者は入れられない」
「ならば案内は結構だ。我々は勝手に行くよ。だけど、聖域に土足で入られても良いのかい?」
セランデルの碧眼が、眼鏡の奥から恫喝する。
「……こっちだ」
ソミカは踵を返し、森の中へと入っていった。それにモークリーと護衛の兵士が続いていく。
「……すまないな、セランデルくん」
「いいえ、ジェズニーク部長。しかし、ロアキンから何か連絡は」
「無い。捜索隊を出したがそちらも連絡が途絶えた」
「不穏ですね……。安全のため、今日は引き揚げては」
「それは難しい。モークリー部長もそうだが、本部評議会から結果をせっつかれている。タダでさえ遺構調査部は金食い虫で、連中からは道楽者と陰口をたたかれているんだ。ここでプリカーサーテクノロジーを手に入れ、組織に還元しなければならない」
「――苦しいところですね」
「全くだよ」
立ち話もそこそこに、ジェズニークはモークリー達を追いかけた。
「――ソフィア」
「はい」
セランデルの背後から秘書の女性が現れた。今日は一段とタイトな、白いパンツスーツを着こなしている。
「君はここで待機だ。それと指令コード、ジュリエット・一一九一を発する。私に何かあったら、直ちに実行しろ」
ソフィアは片眉を上げた。
「承知しました。――ご無事をお祈りしています」
「元より生きているつもりは無いさ」
*
舗装のされていない道を、何の装備も無く歩くのはモークリー達にとって苦痛以外なにものでも無かった。途中より後からついてきたトラックに乗り換え、一行は巨大な石門の前に到着した。
研究施設のあった森の木とは比べものにならない、二十メートル、三十メートル級の木が連なる。木としての寿命も終えた個体が朽ち、肥沃な地面を形成していた。
その木漏れ日の下に、石門は静かに佇んでいる。苔むしており、茸のような物も影に見える。材質は確かに何かの石であることは確かだが、しっかりとした角やカットされた部分の鋭利さが目立つ。長い年月をここで過ごしているのであれば、摩耗しているはずなのだが。
「写真で見るより、美しいな」
モークリーはため息をついた。確かに木漏れ日に当てられて、構造体の澄んだ白さが目立つ。それが苔の緑や、茸に似た生物の警戒色で彩られている。そして光と闇でコントラストとグラデーションが与えられている。レンブラントの絵画のような、光の装飾である。
「……この『開かずの岩戸』は私が知る限り一度も開いたことがない」
ソミカが一行の先頭に立ち、呟くようにいった。
「多くの長老格が、この岩戸に触れては開けようとしてみた。だが、皆例外なく幻に襲われている。……それからは誰も近づかない」
「プリカーサーのインターフェイスが、彼らの遺伝子に共鳴したんだな」
モークリーが、突然に母国語を話し出した。ソミカは当然ながら、側で聞いている兵士達にも分かる者は居なかった。だが、ジェズニークだけは分かったようだ。
「本当に、アクセスされるおつもりですか?」
これもモークリーの母国語だった。
「当然だ。何のために彼らの臓器を移植したんだ。それに、プリカーサーのデータ端末を動かして実証済みじゃないか」
ごもっとも――といった風に、ジェズニークは頭を垂れ、モークリーの後ろへ退いた。同じくして、セランデルが到着する。でっぷりとした体を揺らし、額に汗を浮かべて近づいてくる。
「始めようか」
標準語に戻ったモークリーが、石門左の巨大な石柱へと近づいた。プリカーサーの遺構は多くの場合、左側にアクセスポートが設けられているのは統計的に分かっていた。
石柱は他の構造物と同じく苔むしていたが、地上より二メートルのところが白く、繁茂が抑えられていた。そこへモークリーが手をかざすと、彼は一瞬ひるんだ様子を見せた。
「部長……」
「大丈夫だ。やっぱり、ここがアクセスポートらしい。HUDが表示されたが、加えて音声も聞こえる」
モークリーは期待から来る笑いを浮かべていた。かつての宇宙の旅人の遺産に触れているばかりか、その生の声を聞いているのだ。当然の反応だった。
「アクセス出来そうですか」
「ああ……。データ端末にもあった単語がいくつかある。いや、たった半年の解読作業でどうなるかと思ったが……」
石門が内開きに開いた。
「なんとかなりそうだ」
ソミカの取り巻き達はどよめいた。セランデル達の周りを護衛する兵士達も声こそ上げなかったが、銃口が自然に下りていた。
「まさか……」
ソミカは驚きと落胆のない交ぜになった言葉を漏らした。ソミカが知る二万年は誰も近寄らず、それより過去に行われた接触も『幻』に恐れたため失敗した。それが、ソミカにとって闖入者とも言うべき地球人によって進展したのだ。
「第一分隊、進入します」
無線機を通じた声が響き、十名ほどの兵士が石門へ入っていく。数名は銃では無く、各種検査機器を携えていた。
「大気分析結果良好。ガスおよび病原体、防衛センサー無し」
「結構」
モークリーは満足げに言うと、ソミカの傍らに立ち、入るよう促した。
「悪かった。安全を確保するためだ。さあ、君たちの聖域だ」
形だけの心配りだった。
ソミカはひび割れた皮膚をきしませ、取り巻きと共に石門をくぐる。それに続き、モークリーやジェズニーク、セランデルも護衛を伴って進入する。
ひんやりとした大気が充満している。だがかび臭さや、淀んだ感じは全くない。
「コンディショナーがまだ機能しているのか……」
セランデルはなんとなしに言った。
「帰らない主を待っているようだな」
ソミカが先頭、その後ろに彼の取り巻きが。さらにその両翼を兵士達がライトで照らしながら固めている。一見、この遺構がソミカ達の財産である事を尊重した動きに見えたが、何かのトラップの弾よけにも見えた。
真っ暗で、灯りのないホールを一行は進む。すると、先頭で小さな叫声が上がった。
「階段です」
先頭の兵士が階段を踏み外したらしい。その声だった。
ライトの頼りない光以外は何も灯りが無い。階段が続く深淵は相変わらず暗く、何も見通せない。音すらも吸い込まれている感じがあり、次は自分達の存在が吸い込まれてしまうのではないかという不安をかき立てる。
そんな中、ソミカが一段目を踏み出した。瞬間、階段を形作る石が淡く光り出した。
「なるほど。スイッチはそこか」
誰かが呟いた。
ソミカは取り巻き達と共に階段を降りていく。階段は踏まれた部分だけが光っていたが、取り巻きが広く横に広がって踏むことで、光は大きく広がっていく。まさしく、ソミカ達スードゥ人は、プリカーサーの遺伝子の継承者なのだ。
最後の一段を降りると、床に光が広がっていく。光は闇の中に佇む構造物を浮かび上がらせ、その盤上に文字や立体図形を、かがり火のように浮かびあがらせはじめた。地球人の祖先より遙か昔から待ち望んだ主を歓待しているようだった。
「ここは……コントロールルームか?」
セランデルが雰囲気から察した。中央にはスードゥの立体映像が浮かび上がり、天体情報を羅列している。映像の端では別のウィンドウが立ち上がり、せわしなく何かの情報を処理している。
「よし。――システムへのアクセスを始めろ」
モークリーの号令で、後方に待機していた分隊が動き出す。大型の電子機器を広げ、コンソールの一つへ端子をつなげ始めた。
「システムへ浸透中……。クリア。システムのコンバート開始します」
みるみるうちに、模様のようなプリカーサー文字が、地球人の見知った文字へと変換されていく。
「構造物の概要を出せ」
「今出ます」
スードゥの立体映像に変わって、横に倒した円柱が映し出された。
「軌道上からのスキャン通りだな……。船だ」
円柱はゆっくりと反時計回りに回転し、その全貌を示してくる。円柱の頂上には小山のような突き出しがあり、構造には前後の区別があることが分かる。
「これは……なんなのだ」
ソミカのつぶやきに、モークリーは誇らしげに答えた。
「君らの造物主の方舟だよ」
「我々の……造物主」
「そう。プリカーサーは君らを作り、この星へ君らを送り込んだんだな。軌道上からは少なくとも、同じ規模の船の残骸が十九見つかっている」
「何のために、我々は」
「これは単なる推測だが、おそらく一種のテラフォーミングだよ。この星には君たち以外の生物がいない。にも関わらず安定した気候と大気がある。君たちが繁栄し、惑星中に散らばって森を成し、根を張って土を耕し、地下水を吸い上げて大気を潤す。君らはこの星を居住可能にするための、一種の生体機械というわけだ」
「機械……」
「敬意を払い、植民の尖兵とでも言うか。――君たちは立派にこの星を作り替えた。だが、住むはずのプリカーサーは消えた」
「じゃあ我々が……。我々がこの星で営んでいることは全て、その造物主が意図したことだと?」
モークリーはソミカの肩へ手を乗せた。
「そう悲観しないで欲しい。確かに機械仕掛けの営みだったことはショックだろう。だが君らは、宇宙の端から端までを知り尽くした探検家の末裔だと思えば」
彼は微笑んだ。
「これほど誇らしいことはないだろう」
「――同感だ」
「……? うっ。いぎぃいぃぃい!」
突然、モークリーは頭を抱えて転げ回った。周囲の兵士達は突然の叫び声に驚き、手を止めた。医療従事者のジェズニークは異変をいち早く察知し、モークリーの側へと駆け寄った。
「モークリー部長! ぶちょ……。あぎぃいいい!」
ジェズニークは胸の、心臓が納まっている辺りを掻きむしり、その場に崩れるように倒れた。そしてピクリとも動かなくなる。
「なんだ! ガスか?」
「マスク装着! 二人を早急に搬出しろ!」
誰かが「ガス」と口にした瞬間、兵士達の間に動揺が広がる。分隊長がマスクの装着を発し、搬送の手配をする。セランデルにもマスクが配られる。
「セランデル連絡官! 後退して下さい!」
兵士達に流されるようにしてセランデルが駆け出す。
「ぎゃーっ!」
無線に新たな叫び声が加わった。セランデルは護衛の兵士達と共に、その叫び声の方向へ目を向けた。そこには、搬出準備をしていた衛生兵が三人、血だまりの中に倒れていた。
「ソミカ……」
セランデルは思わず呟いた。ソミカの左腕は二割ほど長くなり、その先端はバラの刺のように鋭く、そして禍々しくささくれ立っている。
「同胞の一部を持ち出すことは許さぬ」
その言葉に、セランデルはハッとした。倒れたモークリーもジェズニークも、その体にスードゥ人の臓器を移植していた。モークリーは骨髄を、ジェズニークは心臓を。
「……君が殺したのか」
「同胞の怨嗟を解放しただけだ」
兵士達はライフルを構えた。特に誰も命令は出さなかったが、ソミカが敵となったことは明らかだった。
「君が何をしたのか分かっているのか」
「お前達の社会構造や、力関係に興味は無い」
「報復が行われるぞ! 君らは今以上に虐げられる!」
「セランデル連絡官! 発砲許可を!」
セランデルの肉付いた顎が震える。
「――ソミカ。二人から離れろ」
「お前の指図は受けん」
その言葉を聞いた瞬間、セランデルは僅かに頷いた。その機微を察した分隊長達は一斉に射撃の号令を出した。
赤い閃光がソミカの胴部に注がれると、羽織っていた落ち葉の衣がレーザーの熱で瞬時に燃え落ちた。胴部に次々と光線が命中するが、黒い焦げ痕を作るばかりで燃え上がらない。大きく外皮を抉っても、その下から湧き出る赤黒い体液が延焼を阻む。
「――生木が燃えるかァッ!」
ソミカが、今まで聞いたことの無い大音声でがなり立てた。同時に樹脂のような眼に赤い光が宿ると、周囲の取り巻きが猛然と辺りの兵士達に飛びかかっていった。
飛びかかってくるソミカの取り巻きに銃口を向けて応戦するものの、効果が上がらない。皆、悶えるほどの痛みも感じていないようだ。次々に兵士達は組み伏せられ、装備で守られていない部分を殴打されて絶命していく。
「撤退! 撤退ーッ!」
セランデルを始め、多くの協会武装隊員達は隊伍を辛うじて維持しながらコントロールルームを出ようとした。
「報復だと……?」
ソミカは地球人達の絶叫や怒声、それを襲う取り巻き達の、正気を失った吠え声を背に受けながら操作卓の一つに近づいていった。
「誰が報復される?」
ソミカは操作卓の上に手を置いた。その瞬間彼の目に、方舟の様々な情報が羅列された。動力、環境制御そして――高出力エネルギー機器。
「……報復するのは我々だ。地球人」
絶頂のあまり、ソミカは咆哮した。低く太い音が室内の空気を震わす。
長老となってから、自分たちの虚無的な生を常日頃から考えていた。その一方で深く考えまいと押し殺していた。ふらりやってきた地球人に隷属されてからも、意味の見いだせない自分達種族を勇気づけようと、虚しい精神活動を行ってきた。――それがたった今報われたのだ。山のように巨大な船と、地球人ですら手に余る技術力が手中にある。
方舟が震えだした。
*
方舟内部の異変に気づいた外の隊員達は救出を図ろうとしていた。だが、地面からの突き上げるような激震によって混乱を余儀なくされた。
森の広い範囲で地面が隆起し、木々が根っこから倒れていく。天変地異から逃れようと、戦闘艇が次々と高空へ上がっていく。
森が大きく、小山のような盛り上がりへと変わっていく。しかしその頂上部から木や土砂が滑り落ち、白い構造物が続けて姿を現した。
支配者の方舟がその末裔を迎え入れ、永き眠りから目覚めたのだった。
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