第四章
砂嵐の中は、二人が想像していたよりも過酷だった。視界はほぼ無く、陽光もほぼ遮られていた。それに応じてヘッドライトを点灯すると、砂にライトの光が乱反射して余計に視界が悪くなった。これではあの戦闘艇が入ってくるのは無理なのは明らかだった。
そんなことを考えつつも、必死にハンドルをきっていたカクイの背から、鈍い打撃音が聞こえてきた。ふと後ろを振り向くと、キャビンの後方窓を叩くリョーがいた。
「とめろーッ!」
ゴーグルをかけ、ハンカチをマスク代わりにしているリョーの口は、そう叫んでいるようだった。何しろ砂が車体を叩くように吹いているのだ。車体から伝わるエンジン音と、砂の擦過音、そして風の音以外はマトモに聞こえなかった。
カクイは車を止めた。リョーは直ちに荷台から飛び降りて助手席側のドアを開け、砂と共に飛び込んできた。ドアを閉め、マスク代わりのハンカチを取り去る。リョーは水筒の水を口に含んでゆすぎ、フロアマットへ吐き出した。
「何してんだ!」
カクイが怒鳴った。
「口ん中が砂でガサガサなんだよ! いいから早く出せ! スタックするぞ!」
「ガムを噛めばいいだろ! 命令するな!」
カクイは懐からニコチンガムを取り出し、リョーへ投げつけた。同時にピックアップトラックは二速発進する。
しばしの間、二人の間に沈黙が訪れ、キャビン内を砂と風の音が支配した。どこへ向かうのか、二人はそれすら口にしない。目の前で星を脱出する唯一の手段が破壊されたのだ。途方に暮れるより無かった。
「――なあ」
リョーが沈黙を破った。単調な、砂の吹き付ける音に飽きたらしい。
「黙れ」
カクイはそれを突っぱねた。
「……シャトルは悪かった。謝るし、金は出す」
「別に。君がシャトルを壊したんじゃないからな」
カクイは自嘲するように笑うと、ハンドルを殴りつけた。
「こんなバカな事に付き合った自分がムカつくんだ!」
色白の肌が紅潮する。こめかみが引きつり、怒りが毛穴から噴き出す勢いだ。さしものリョーも手がつけられない。
ハンドルのグリップを、ギリギリと握りしめる音がキャビン内に響く。よく見ると、カクイはアクセルを目一杯に踏み込んでいた。リョーはいくらか自責の念にかられた。ついてきたのはカクイの責任だとはいえ、自分のことを思って名乗り出てくれた気持ちは無視できなかった。
リョーは水筒を差し向けた。カクイは横目でそれを睨むように確認する。
「飲めよ。落ち着け」
カクイは水筒をひったくり、音を立てて水を飲んだ。そして水筒を返すと、切り出した。
「……どうする。どうやって脱出する」
「考えてる」
「――せっかくサンプルが手に入ったのに」
カクイはそう呟きながら、足下で転がる保管コンテナをみやった。その時に、アクセルペダルを目一杯踏みつけているのに気づいたのか、メーターの指示値が急速に下がった。
「なあ。これ、スポーツ系の車だろ」
「ああ」
「レーダーとかないのか? 視界不良時の……」
「……確かあったはずだ。使ったことないが」
リョーはダッシュボードを開け、電子説明書を取り出してレーダーの項目をタップした。
「あった。ちょっとまて……」
リョーはナビゲーションシステムのタッチパネルをいじった。するとフロントガラスが一瞬暗転し、砂嵐の代わりにワイヤーフレームモデルで再現された地形が投影された。
「良い車だな」
リョーの素直な感想に、カクイはいくらか顔をほころばせた。
緩やかな起伏と、いくつかの岩が示されるほかは、天と地しか区別がつかない。おまけに描画範囲はたかだか十数メートルに限られている。だが、何も見えないよりはいくらかマシだった。
「この車、シャトルの地形センサーとデータを共有してないか?」
リョーは説明書の目次を調べては、手当たり次第に機能を把握している。
「してる。ディーラーがそれをしつこく言ってきたから覚えてる」
「冴えてきたな。これだ」
タッチパネルのアイコンを触る。すると、複数のデータダウンロード記録が羅列された。
「良いぞ。着陸直後に同期してる」
まさにシャトルの忘れ形見だった。
データを選択すると、フロントに描画されている地形が、一気に広がった。その様子に、二人は思わず感嘆の声をあげる。
「――で、どうするんだ」
車の機能に一時ははしゃいだものの、事態は一向に好転していないのは確かだった。一々冷や水を被せてくるカクイを見て、お互いにペースが戻ってきたことをリョーは確信した。
「あの山まで走れ。そこで嵐を避けながら考える」
「わかった」
ピックアップはシャトルの遺したデータを頼りにひた走る。嵐は弱まる気配を見せない。リョーがふと後方を見ると、荷台はすり切り一杯の砂を蓄えていた。
山は確かに、周りの地形よりも高かった。だが、まるで砂漠の上に投げ出されたパンケーキのように扁平で間延びしており、台地と呼んだほうが適切だった。
車は台地の裾をなぞりだした。砂嵐の弱まる場所を探すが、なかなか見つからない。
「このまま一周する気かよ」
「文句いう暇があったら脱出手段でも考えたらどうだ?」
「待て!」
突然、リョーはカクイを制止した。咄嗟の事に、カクイはクラッチを切らずにアクセルから足を離してしまい、車はエンストを起こして力が抜けるように停車した。
「これ、洞窟じゃねぇか?」
リョーはナビゲーションの画面を指さした。確かに、現在地より数百メートル先の台地の裾に、洞穴のようなものが見える。
「……レーダー波が帰ってこなかっただけで、洞窟とは限らないんだぞ」
「それぐらい知ってる。いいから行ってみろ」
カクイはエンジンをかけ直し、ピックアップを前進させた。ナビゲーションの通り数百メートル進むと、確かに台地の横っ腹を穿つように、洞窟があいていた。
「この車ごと入れそうだな」
「入れっていうんだろ」
「ああ」
ピックアップは洞窟の中へ頭から入っていった。先ほどまで聞こえていた砂の騒音はフェードアウトし、エンジンの音だけが残された。その音も、カクイがエンジンを切ったことで静かになった。
「運転お疲れさん」
「ホントだよ」
リョーは外へ飛び出してガムを吐き出すと、タバコに火を点けた。タバコは僅かな音を立て、先端から灰へと変わっていく。
「大きな洞窟だな。レーダー波も乱反射して、この先は分からないみたいだ」
カクイがナビゲーションのディスプレイを見ながら言った。
「行く必要は無い。ここで嵐をやり過ごして、夜に出れば良い」
「そういえば、今何時だ?」
カクイに尋ねられ、リョーは腕時計を見やった。太陽系標準時間の文字盤は午後五時を指していた。
「夕方五時だ」
「腹が減るわけだな」
そう言うと、カクイはキャビンの後方を探り出した。ランタンと燃料バーナー、コッヘルのセットを携えて戻ってくると、リョーは洞窟の奥で壁を向き何かをしていた。
「――おいリョー!」
「小便ぐらいさせろよ」
「場所をわきまえろ」
「穴の外でやれっていうのか?」
カクイはため息をつき、それ以上の応酬を控えた。ピックアップの正面付近に道具を広げ、バーナーに火を点ける。火にかけられたコッヘルの中で水を沸き立つと、その中へレトルトパウチを二つ投じた。
「レーションか」
「ああ」
戻ってきたリョーに、カクイはどこからとも無くアルコールティッシュを取り出して投げ渡した。
「準備が良いな」
「ディーラー支給の遭難用オプションさ」
レトルトはすぐに温まった。アルミの皿に、香辛料のきいた豆と挽肉の煮込みが絞り出される。それにカサカサのパンが添えられた。
「見た目は最悪だな」
リョーの感想よりも先に、カクイは頬張っていた。
「味は悪くない。いけるぞ」
リョーは煮込みをパンにのせてかじってみた。確かに爽やかな辛さと、良く効いた塩味が疲れた体に染み渡り、旨かった。しばしの間、二人は無言で貪り続けた。
食事が終わると、カクイはレトルトを温めた湯を使い回して、インスタントコーヒーをいれた。
「……ミルクねぇか」
「コーヒーフレッシュなら」
「じゃあいらねぇ」
リョーはブラックコーヒーをカクイへ突き返すと、タバコを一本取り出して咥える。
「吸うのか」
カクイの問いに、リョーは怪訝な面持ちで答えた。
「食後の一服だ。悪いか」
「残り何本ある?」
「知らねぇよ。いちいち覚えてるか」
「これからは覚えておかなきゃならない。どうやって、いつ脱出できるのか分からないんだから。今やタバコは君にとって嗜好品では無い。生命線だぞ」
「…………」
リョーはタバコを口先でピコピコと上下させ、何か思案している様子をみせた。そして傍らに置いていた雑嚢をひっくり返し、タバコの箱を並べ始めた。
「十本入りが七箱。うち一箱はもう四本吸ってる」
「移動中はなるべくこのニコチンガムを噛め。あと、吸い殻を残しておけ」
「シケモクか? あいにく俺は最後まで吸う人間でな」
「いや。フィルターに吸着されているニコチンを、こいつで抽出する」
カクイは点滴用の生理食塩水を取り出して言った。
「正気かよ」
リョーは思わず笑った。だがカクイの据わった目を見て、笑いが引きつりに変わった。
「正気だ。助かるためならなんでもやるからな」
「……分かったよ。この一本からスタートな」
リョーはそう言うと、ゆっくりと、深くタバコをふかした。タバコはミリミリという、小さな音を立てて短くなる。そしていつになくゆっくりと排煙した。
「……改めて、どうする。リョー」
「俺たちを襲った輩みたいなのが、他にもいるはずだ」
リョーはタバコを地面にこすりつけた。カクイがタバコのフィルターのみを回収する。
「そいつらのシャトルを力尽くで奪って、逃げる」
「この星の表面積を知ってるのか?」
「知らねぇ」
「一億三千万平方キロだ」
「よく知ってるな」
「シャトルのスキャナの数字を読んでいればわかる。地球の陸地総面積なみだ。それを、こんな小さなピックアップで走り回ろうっていうのか? ラリーじゃないんだぞ」
「ここは協会の拠点だった。あの病院以外にも、何かしら施設があるはずだ。賊だけじゃない」
「どうやって奪うんだ」
「俺がやる」
リョーは新しく火をつけたタバコを吹かした。
「俺が一人でやる。お前は離れたところで見てろ」
「冗談言うな」
「本気だ」
「サシの勝負なら良いだろう。相手が十人だったら? 百人だったら?」
「全部殺せばいい」
「その前に君の体がもたない」
「……」
「脱出は当然だ。だけど、第一目的は君の血液の回収だ」
そう言ってカクイは保管コンテナをしまっている、運転席の足下あたりを指さした。
「そして君の体を元に戻す事だ。君が死んだら元も子もない」
「じゃあどうすりゃシャトルを奪える」
「それは……」
カクイが言葉に詰まった次の瞬間、リョーは洞窟の奥へ顔を向けた。その様子を訝しんで何かを尋ねる前に、リョーの体はアサルトライフルを構えていた。フラッシュライトのビームが暗がりへ伸びる。
「――出てこい!」
リョーは誰何した。カクイも釣られて、ハンドガンを構えた。
洞窟の奥から、何かが砂を踏みしめる音が近づいてくる。すると、ライトの光芒の中に人の形が浮かび上がった。
地球人と変わらない姿をした、ヒューマノイド型生命体だった。肌は白っぽく、浅黄色の髪が肩より下まで伸びている。大きな目は赤く、ライフルから伸びる光芒をまぶしがっている。裸に見えたが、のっぺりと平滑なボディスーツを着込んでいるようにも見えた。
「――眩しい」
ヒューマノイドは呟くように言った。ハッキリとわかる地球の言語だった。高い声色は、若い女のように聞こえる。
「スードゥ人か?」
リョーが尋ねる。
「そうだ」
赤目のスードゥ人はふてくされたような声で答えた。
「その眩しい光をこちらへ向けるな。武器は持ってない」
カクイにとってはスードゥ人とのファーストコンタクトだった。思わず、構えていた銃を下ろし、気を緩めた。
「おいカクイ!」
「武器は持ってないんだから、銃はいらないだろう」
「病院はコイツらのゲリラに襲われたんだ。信用できるか」
スードゥ人の女はリョーの言葉に反応した。
「ゲリラ? ソミカがやっていた抵抗活動の事か?」
彼女はかぶりをふって、続けた。
「ソミカ達は半年前の蜂起で徹底的に弾圧された。もはや牙を抜かれたも同然だ」
「ずいぶんと他人事のように喋るな。同胞じゃないのか」
「地球人の腰巾着に成り下がった者など、同胞ではない」
この個体が地球人に対して、良い感情を抱いていないのは明らかになった。だが、カクイは努めて友好的になろうとした。味方は作った方がよい。
「僕はカクイ。医者だ。こっちはリョー」
「知っている。お前達の考え、特に、そっちの黒髪の考えていることは全てわかる」
「……エンパスか。驚いたな」
精神感応を生物的特徴とする生命体との邂逅に、カクイは心が躍った。
「なんで俺の考えてることが特に筒抜けなんだ」
女はリョーの胸を指さした。カクイは察した。
「君の肺だ。リョー。いや、正確には彼らの同胞の肺か……」
「多くの地球人と同じだ。我々の体を搾取し、血までも穢そうとしている。――聞こえるぞ。お前の胸に埋め込まれた、同胞の臓腑の怨嗟が」
赤い双眸が、リョーとカクイを見据える。
「お前達は邪悪だ。地球人」
気のせいか、空気が淀んでいるように感じたカクイは居心地が悪かった。
「そんなに嫌いなら、なんでわざわざ姿を見せた」
リョーの問いに、女はすぐに答えた。
「言っただろう。同胞の怨嗟を見舞いに来た。それだけだ」
「――なあ、その……」
カクイは呼び方を思案しているようだった。それを察知した彼女は、すかさず被せた。
「ティウだ」
「なあティウ。僕たちは協会とは無関係なんだ。いや、関係はあるが、敵対的だ。だから一緒にして見ないでほしい」
「敵の敵は味方、だと言って言いくるめようと考えたな」
カクイは唇を噛んだ。非常にやりにくい相手だ。考えている事は全て筒抜けなのだから。
「カクイ。交渉するだけ無駄だ」
「そういう事だ」
リョーとティウが、不思議と同調した。カクイは余計に苦々しい顔を作った。この場に居ても生産的ではないと判断したのか、ティウはゆっくりと踵を返して洞窟の奥へと歩き出す。
「ティウ。君はこの洞窟に住んでいるのか」
「この洞窟は通路であり、聖域だ。台地の向こうに広がる森につながっている」
「そこへの道は広い?」
「……その角張った乗り物が通るほどの広さはある」
「なら、その出口への道案内をしてくれないか」
「――答えが分かっているのに、頼み事をするのか」
「それが交渉だ。頼む」
「断る」
「断れば、僕らはここで野宿する」
「勝手にしろ」
「いいのか? 言っておくが僕らは上品じゃないぞ。飲み食いするし排泄もする。聖域を汚すことになるぞ。つけ加えると、このリョーは悪臭を放つ嗜好品を愛用している。明朝には洞窟が燻されているかもな」
ティウが振り向き、二人を睨み付けた。その双眸は怒気をはらんでいた。
「僕らをさっさと追い出した方がいいんじゃないか」
カクイの目には、何かを得た高揚感が浮かんでいた。それを端から見ていたリョーは、何か腑に落ちない気分であった。
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