第十六章
六月。北米地区カリフォルニアの海岸沿いを走るルート一○一を、一台のピックアップが北へ疾走していた。赤く塗られた車体にバイソンの意匠が映えていたが、ドアだけが無垢の銀色だった。
「急げよ」
リョーが助手席から、ハンドルをとるカクイをせっついた。
「遅れたのは君じゃないか!」
「高速道路の降り口を間違えやがって。よくそれで医者が務まるな」
「言ってろ」
事件から数週間後、リョーとカクイはアトリが住むカリフォルニアを訪ねていた。当然、招待された卒業パーティに出席するためである。
リョーはブラックスーツの着心地が悪いようで、そわそわしていた。
「ヤニ切れか?」
カクイがニヤけた。彼はネイビーのオーダーメイドスーツを着こなし、社交経験の場数を押し出していた。
リョーはかぶりを振った。
「パッチで我慢するわ」
それを聞いたカクイはため息をついた。
突然、リョーの左腕から着信音が響いた。彼は左手をパッと開き、ホログラムディスプレイを展開した。着信の相手はアトリだった。
『兄さん! 今どこ!』
「ルート一○一を吹っ飛ばしてる。今は……今どのへんだ?」
リョーはカクイに尋ねた。
「目の前に航空博物館が見える」
「航空博物館だとさ」
『あと少しね! カクイ急いで! もう乾杯しちゃったけど』
「急げー」
明らかに兄妹だと、カクイは再確認した。
*
パーティ会場は、ベイエリアのレトロなレストランだった。古いながらもよく磨かれた調度品に交じり、ステンレスの椅子や小道具が置かれている。七十人ほどが手にグラスを持ち、話に花を咲かせていた。
「いらっしゃいませ。お名前を伺います」
入り口でリョーとカクイは呼び止められた。
「ヒヤマだ。こっちはボルストラップ」
「――確認出来ました。お飲み物を」
シャンパングラスが勧められたが、リョーはかぶりを振った。
「ワインはちょっとな。ビールくれ」
リョーの場違いな注文に、カクイは片眉をつり上げた。だが、特に突っ込まなかった。
「僕はガスウォーターを。ハンドルキーパーなんだ」
グラスを手に入れたリョーは、唐突に紳士然とした。もっとも、グラスの中の液体はビールだったが。
「兄さん! カクイ!」
「おう、アトリ!」
人混みの中から先に相手を見つけたのはアトリだった。三人はソロソロと近づいていき、会場の中央で再会を果たした。
「ようこそカリフォルニアへ!」
アトリは浅葱色の着物だった。僅かに鳥が描かれた大人しめの意匠に合わせ、華やかな帯を着けていた。
「元気そうじゃねぇか」
リョーはアトリの頭をくしゃくしゃとなでた。その様子をカクイはヒヤヒヤしながら見ていたが、アトリはリョーを抱きしめて何倍にも返している。
「ご招待ありがとう。それと、おめでとう」
カクイが頃合いを見てお祝いの言葉を言った。
「カクイこそ。お仕事忙しいのに来てくれてありがとう。料理はあっちのテーブル。セルフサービスね!」
「良いね。ちょっと取ってくる」
カクイはいそいそと料理へと向かった。腹が減っていたのと、リョーとアトリをできるだけ二人っきりにしたかったのだ。
三人は太陽系外の話題で盛り上がった。リョーが今まで転戦してきた土地の名物や人間、冒険譚はアトリの好奇心をくすぐった。
「――隣町まで七〇〇キロもあるんだ。殺風景でな。太陽が三つもあるから日が長い」
「暑そう!」
「それがそうでもないんだ。地殻の浅いところを極低温の地下水脈が走っててよ、星全体をウォータージャケットみたいにくるんでる。良いあんばいに乾燥してて快適なんだ。そこのオアシスに建てられたリゾートが綺麗だったなァ」
「良いなぁ。行ってみたい」
「お前も傭兵になるか?」
「G・Iジェーンかぁ。格好いいかも」
「古いな、また……」
話を横で聞きつつ、ソフトシェルのフライをかじっていたカクイが呟いた。
「アトリ!」
背後から同窓生に声をかけられたアトリは、ごめん、と小さく呟いてリョー達から離れていった。
「友達が多いみたいだな」
リョーはしみじみと言った。
「良いことだ。ネットワークはいつだって大事だからな」
カクイは小エビのフライをつまみながらグラスを傾けた。
「……君は偉いよ。よくここまで、彼女を養った」
それを聞いて、リョーは自嘲するように笑った。
「頑張ったのはアイツだ。勉強もして、人との繋がりももって……。俺とは違う」
カクイは横目でリョーを見た。目に寂しさが現れていた。
「人間、出来ることが違う。君はそのタフネスさで、他の人が見たことの無いものをいくつも見てきている。これからもそうだろう?」
「見る度に死にかけてるがな」
「死んでないから良いんだよ」
*
夜も更け、パーティはお開きとなった。参加者はめいめい、タクシーや迎えの車を呼んで家路につきはじめた。
「今日はありがとう」
アトリがリョーやカクイの手をとり、感謝を示した。
「楽しかったよ。料理も美味しかったし。お持たせまで貰っちゃって」
カクイはデリカパックに包まれた、料理の残りを見せた。
「幹事さんに言っておく。ねぇ兄さん」
「あ?」
「今日はどこに泊まるの?」
リョーの表情が曇った。
「……実は、今日はもうこれから発つ」
「……仕事?」
「ああ」
二人の間に重い空気が漂った。それを見ていたカクイは、どうしたものかと思案した。だが、その雰囲気を打ち破ったのはアトリだった。
「次はいつ会える?」
「……わからん。ちょっと遠い所にいく」
「どこ? 会いに行けるところ?」
「ちょっと秘密任務でな」
「――格好いい!」
アトリの声は弾んでいたが、無理をしているのはリョーにもカクイにも分かっていた。それを見ていたカクイが提案をした。
「家まで送ろう。まずアトリの家に行き、それから空港でリョーを降ろす。どうだ?」
だが、カクイの提案はアトリによって却下された。
「ごめん。二次会に誘われてて……」
「そ、そうか……」
リョー以上に、露骨に残念がるカクイだった。
「良いさ。楽しんでこい」
「手紙、ちょうだいね!」
「おう」
「地球の近くに来たら電話ちょうだいね!」
「おう」
リョーとアトリは何度も言葉を交わした。その度にアトリの姿が遠ざかっていき、最後は友達らに交じり、見えなくなった。
「……終わったな」
「ああ」
リョーの確認の言葉に、カクイは短く答えた。そして二人は向き直った。
「リョー。バイタルは月に一度、条約監視室を通じて送ってくれ。サボるなよ?」
「分かってる」
「変な物を食べるなよ。前それで、ひどい寄生虫症になったよな?」
「分かってる」
「それとアトリへの手紙を添えろよ?」
「……分かってる」
「ル・アと上手くやれよ?」
「それは自信がねぇな」
カクイはため息をついた。そしてかぶりをふり、真剣な面持ちで仕切り直した。
「血液サンプルのこと、本当にすまなかった」
「おぉい。今更そんなことウジウジ言うのかよ! 忘れてたのに!」
リョーは大げさな身振りで呆れて見せた。
「君の体は、僕が責任をもって元に戻す。知り合いの遺伝子研究者にも、片っ端から当たってみる」
「俺がタバコで死ぬ前に見つけろよ」
「今時タバコでは死なないさ」
二人はからからと笑い合った。
「……そろそろパッチじゃキツくなってきた」
「分かった。元気でな」
「おう。――ホログラム終了」
リョーがそう呟くと、彼の輪郭がぼやけた。だんだんと色の境界が不明瞭になり、最後にはランプの火が消されるように姿が消えた。彼が立っていた場所にはマネキン型の風船があった。
マネキンはシュルシュルと音を立てて小さくなり、足元の小さな機械へと吸い込まれていく。収納が終わると、機械はプロペラを四つ出して空へと飛び去った。
その様子をボンヤリと眺めていたカクイは、言い知れぬむなしさを味わった。この気持ちを持て余した彼は、無性に酒が飲みたくなった。車は代行を頼めば良い。今は一人で酔って、憂さを晴らしたかった。そう思い、彼は踵を返した。
背後にアトリがいた。
「アトリ!」
カクイは小さく叫んだ。
「兄さんは?」
「ああー……いや、その……」
「兄さん凄いね。小さく折りたたまれて、空飛べるんだ」
万事休すだった。全てを見られていた。リョーとカクイが計画した苦肉の策が、完全に頓挫した。
「アトリ、これには深いわけがあって」
「うん」
「リ、リョーは全力で君に会おうとした! でも、ちょっと事情があって」
「うん」
「ああーううー……だからその」
「うん」
カクイはへどもどするばかりで、話がまとまらなかった。ジェイから通達された秘密保持規約を遵守するため、開示してはいけない情報が多すぎるのだ。
「兄さんは生きているんでしょ?」
「もちろん!」
「今日話したのは、兄さんでしょ?」
「一応。どこにいるのかは言えないが……」
「なら良いよ」
アトリは夜空を見上げた。
「……いつから気づいていたんだい?」
カクイは恐る恐る尋ねた。
「兄さんが私の頭をなでてくれた時かな」
カクイは顔を手で覆った。予感は的中していた。
「良いの。ここまでして会いに来てくれるのって、兄さんらしくて好き」
「むちゃくちゃな感じが?」
「それそれ」
カクイはフッと笑いを漏らした。
「二次会じゃないのかい」
「兄さんを油断させるための方便」
カクイは感心した。
「カクイも帰るの?」
「いや……。ちょっとそのへんのパブで飲もうかと」
「付き合って良い?」
アトリの申し出に、カクイはしばし答えを戸惑った。だが一人で飲んで気が滅入るより、二人で飲みつつ秘密保持抵触ギリギリの会話をするほうが、楽しいのは間違いなかった。
地球に残された二人は肩を並べ、心地よい夜風に吹かれながら歩いた。
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