第十三章
頭の中に霞がかかったように知覚がハッキリとしない。次第に右と左より、甲高い音が聞こえ始めた。それが耳鳴りだと気づくのに、カクイの意識は時間を要した。
カクイは目をゆっくりと開けた。朦朧とする意識の中で、瞼を開ける動作を思い出すように。
視界はぼやけていたが、次第に景色にピントが合いだした。右側に地面らしき平面が見える。カーゴ内の壁は剥がれ、装甲板がひしゃげている。辺りには装備や機体の構造材が散らばっている。
「……墜落……したのか……?」
カクイは左手を動かしてみた。痛みも無い。視界には五本の指が揃った、見慣れた手が綺麗に映った。
体をゆっくりと仰向けにしたが、鈍い痛みがした。右手も動き、こちらも無事なようだった。
「視界明瞭……手も大丈夫。痛みは打撲だな……」
ゆっくりと体を起こすと、無事な足が見えた。
「うぅぅう……。Rの単語。ええとRocket、Remember、Rain……」
脳も背骨も首も無事だと確認出来たが、体中が殴られた次の日のように痣だらけなのがわかる。自分の体の状態を確認し終わったカクイは周囲を見渡した。嗅覚も復活しだした。油臭い煙の匂いに交じり、どこからか聞いたことのある発砲音が響いてきた。ピックアップに搭載した、リョーの重機関銃の音だ。
カクイはふらつく足で傾いだカーゴの中を歩いた。衝撃で開いたハッチから出ると、彼の灰色の瞳を強烈な日射が焼いた。彼は顔をしかめた。
ピックアップはカーゴの外に出ていた。その荷台でクローンが一人、重機関銃を撃っている。射線の先にはあの異形体達が、まばらだがこちらへとやってきている。
その内に機関銃は弾切れを起こした。クローンがライフルに持ち替え、残りを片付けているが、残り十七体になったところでビームナイフに切り替える。
腰部のベルトにさし込まれたグリップを引き抜くと、青白い光を発する鞭状の帯が二メートル引き出された。
クローンがそれをしならせるように振り回すと、光の帯が蛇のようにしなって異形体を三体まとめて輪切りにする。
次から次へと光の蛇は異形体へかみつき、それを両断してゆく。しかしクローンの立ち回りもそれで終わった。
木の槍が異形体の一体から放たれる。クローンはそれに反応しきれず、体を翻すので精一杯だった。
木の槍はクローンの右肩を貫通し、ナイフを腕ごと吹き飛ばした。衝撃と、体のバランスが崩れたことで彼女は荷台にひっくり返るように倒れてしまった。それに二体の異形体が殺到する。
それを見ていたカクイは、カーゴの床に転がるリョーのハンドガンを見つけた。地球を出るときに手渡されたものだ。
スライドを引き装填すると、荷台へと駆けていった。
カクイは見よう見まねで、リョーの射撃姿勢をとった。荷台の中でクローンに襲いかかる異形体を見つけるや、彼はその頭部に八発を発射した。
頭を撃ち抜かれた個体は力を失ったらしく、クローンによって蹴り飛ばされた。カクイは続けて七発をもう一体に撃ち込むと、それも無力化された。カクイはスライドが完全にバックしたハンドガンを周囲に振り回し、興奮した様子で警戒した。
「弾が空だぞ……地球人……」
荷台の中からクローンの声が聞こえる。カクイはハッとしてハンドガンを投げ捨て、クローンの側へと膝をついて寄った。
右腕は肩から完全に失われている。ヘルメットの一部もひびが入り、損壊している。
「ちょっと待ってろ! 確か座席に医療キットがある」
「このクローンはとうに死んでる。手当は無用だ」
「訳の分からん事を言うな! 意識混濁と間違える!」
カクイはピックアップの運転席へと移動した。運転席側のドアは千切れて無くなっていた。ダッシュボードも開き、中の物が何処かへと消えていた。彼は助手席のシートを持ち上げると、そこから青い蛇と杖のシンボルが描かれた白い箱を持ち出した。
荷台へ戻ってくると、カクイは手袋を装着してペン型の器具を取り出した。それを傷口へ近づけると、血の匂いが漂った。
「何をしている……」
「主要血管を焼いて止血する」
「この個体は死んでいる……」
「だから何を言ってるんだ。君は生きてるだろう」
クローンは左手でヘルメットを取り去ると、カクイにその顔を見せた。左側の髪が真っ赤に染まっている。
「…………」
カクイは思わず言葉を失った。
「お前の星に、大脳を失って生きている生き物がいるか?」
「元より大脳が無い生き物も多いが……。どうして君は生きているんだ」
クローンは鼻で笑った。
「後頭葉と小脳を電子頭脳に置き換えている。それが生命維持の役割を担っているから、この個体はまだ動いていられる。すでに自我は死んでいるが」
「君はまだ……話をしているじゃないか」
「私はこのクローンじゃないからだ」
「意味が分からない」
「私は今、このクローンの死んだ脳細胞のうち、まだ使える部分をつなぎ合わせて意識を保っている。私はこのクローンの意識では無く、これらがオリジンと呼ぶ個体の、フォーマットされる前の意識だ」
「……よく分からないが、君はとにかく、別の個体の意識なのか?」
「そうだ。だからこの個体を手当てしても意味は無い」
カクイは腋下動脈を結紮したところで手を止めた。出血は大分止まったが、彼は不思議な無力感に襲われた。地球人と同じ赤い血を見ている内に、彼はある事を思い出した。
「……サンプル。サンプルは」
カクイは電気メスを放り出し、荷台を降りて運転席へと駆け込んだ。足元の保管スペースは蓋が壊れ、内容物が出ていた。
「無い!」
カクイは叫んだ。彼は全力でトライバルのカーゴへと戻ると、当てもなく血液サンプルの入った保管容器を探しはじめた。そして、見てしまった。
「うわぁぁっ!」
トライバルの外殻を突き破ってカーゴ内に入り込んだ木の槍が、エンジンの熱によって燃えていた。その先端は床へ突き刺さってつっかえ棒のようになっている。そこに保管容器が引っかかり、熱に炙られて口が開いていた。
「クソッ! クソッ! クソぉっ!」
見えているだけでも、サンプル十枚のうち六枚が丸焦げになっていた。カクイは駆けていこうとしたが、何かに動きを制された。彼が後ろを振り向くと、クローンが残った片腕でカクイのジャケットを引っ張っていた。クローンが叫んだ。
「外に出ろ! 燃料遮断弁が壊れた。金属水素が不安定になっている!」
「離せ! アレがないと……!」
「出ろ!」
クローンは片腕だったが、それでも力はカクイ以上だった。身長百八十センチの彼をズルズルと引きずりトライバルの外へと脱出させた。
間も無く金属水素の暴走が始まった。トライバルのエンジンのインジェクターから燃料が噴き出す。制御を失った推力のせいで、機体が仰向けに転がった。
「伏せろ!」
クローンがカクイに覆い被さる。カクイは横転して吹っ飛んでいくトライバルを凝視していた。トライバルは爆発を起こし、機体は完全にバラバラになった。
「く……く……ぅぅ……」
カクイは拳を砂に叩きつけた。
「大事な物か?」
「ああそうだよ!」
「また手に入れれば良い」
「この世にはもう無い! あの世にすらね!」
「…………」
カクイはクローンの下から這い出て、砂地にへたり込んだ。
「うう……ぅぅぅ……」
空にエンジン音が轟いた。後を追ってきたル・アの戦闘艇三機が着陸態勢に入っていた。
「助けが来た」
そう言うとクローンは、糸が切れた人形のように倒れた。
「おい!」
カクイは反射的にクローンを気遣った。
「……眼球が赤いぞ」
仰向けにされたクローンが、カクイの目を見て言った。
「充血しているだけだ」
「この個体の脳組織が崩壊し始めた。もう私の意識を再生する事はできない」
「死ぬのか……?」
クローンは笑った。
「私は潔くない。この電子頭脳のメモリー内で冬眠状態に入る。お前の身の安全が確保されるのと同時に、この死体の回収も頼む。電子頭脳は取り外され、ハイブのコアコンピュータに保存される。……それで私は戻れる」
カクイは小さく頷いた。
「……約束するよ」
「……久しぶりに自分以外の生命体と会話できて、楽しかった」
カクイは次第に耐えられなくなり、顔をうつむけた。
「……探し続けろ。この世にあったものなら、必ず痕跡があるはずだ」
「何を知ったふうに」
「私は見つけた。足跡を。神話の、足……跡…………を……」
クローンの目から生気が失せた。完全に、生命としての機能が失われたようだった。
戦闘艇の一つより、クローンの一団が降りてくる。
「地球人の生存を確認。二百二号は死亡。……立てるか?」
「ああ……」
カクイはゆっくりと立ち上がり、力なく戦闘艇へ入っていった。同時に二百二号と呼ばれたクローンの遺骸が運ばれていく。
カクイはカーゴの中で負傷したクローン達を見た。手足が千切れた者、出血が止まらない者……。十人近い、同じ顔をした重傷者がそのままにされていた。
「なんで誰も手当てをしない」
「医療技術者はいない。これらの個体は、全てハイブへ送り、そこで治療を行う」
カクイは出血の酷い個体を診た。
「間に合わないぞ!」
「ならばそれまでだ」
カーゴへピックアップがノロノロと入ってくる。カクイは荷台の医療キットをひっつかむと、受傷者の元へ戻って処置を始めた。
「医者ならここにいる」
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