故郷

 小鳥の囀りが聞こえている。


 意識を取り戻したとき、カーテンの向こうは既に朝日でぼんやりと明るかった。窓は締め切っているけれど、その向こうから微かに楽しげな小鳥の囀りが聞こえてくる。手元の本を閉じて枕の脇に置き、今更仰向けになって目を閉じるものの、もう小鳥の声が気になってしまい、うまく寝付けない。目が冴えてしまった。再び寝ようとの試みもそれからしばらくだけで諦めてしまい、私は身を起こして布団を畳み、寝室を後にする。


 *


 玄関を出ると、外はもうだいぶ明るくなっていた。霧掛かっていたのか、細かい水の粒子を感じるほどの空気に、アスファルトのひび割れから生える雑草たちも、露に濡れてキラキラと朝日を照り返している。深く息を吸い込むと、湿った早朝の香りが鼻腔と肺を満たしていく。土、濡れたアスファルト、青草、……どれともつかない香しい匂い。視線の先の街灯にも、もう光はない。


 *


 足を滑らせないように気を付けながら坂道を下りていく。山肌に沿って敷かれた道路は、車二台がかろうじてすれ違えるくらいの幅で、クネクネと折れ曲がりつつ緩い角度で下っている。歩道沿いのガードレールの向こうを時折車が通り過ぎていき、走行音の余韻をしばらく遠くに聞いていると、それもいつしか風でザワザワ揺れる梢の音の奥に紛れて消え入ってしまう。


 歩道の更に外側に生えた木々の枝が、時たまこちらまで伸びていることもあって、気まぐれに緑色のままの紅葉の葉に触れてみたり、屈み込んで枝を避けながら歩いていく。カーブを更に一つ抜けたとき、それまで山肌に隠れて見えなかった、向こう側の景色があらわになる。


 海だ。それから港町。


 *


 左右の山が大きく海に向かってせり出していて、真ん中が湾になっている。真正面より少し右に、船が横付けるための埠頭があって、今はいくらかの船が泊まっていた。埠頭のはるか先、濃紺よりも少し暗くグレー掛かった海の上を、小さく白い船のシルエットが横切っている。天気の良いときは蜃気楼で船が浮いているように見えたりすることもあって、少し面白いのだ。そんなことを思い出しながら、しばらくの間船が進んで行くのを見つめ続け、それから足元に視線を落とすと、ふいに温かいものが鼻先に向かって伝う感覚があって、雫が一つ、ぽたりとアスファルトの上に落ちた。

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