踏切

 気がつくと激しい横殴りの風が吹き付けていた。銀色の筐体が目の前を恐ろしい早さで行き過ぎている。轟音――風を切る音、金属が擦れる音、それから後ればせながら警報の音が徐々に浮かび上がってきて、今踏切を電車が通り過ぎている最中なのだと気がついた。寒い。途切れ途切れに窓を通して煌々と明るい車内と、向こうの景色が見える。


 体がひどく冷えている。こわばった左手を持ち上げて腕時計を覗くと、深夜の一時を回っていた。右手が鞄の弦を――肩から提げた黒い革の学生鞄――握っている。弦から右手を剥がすと右手はそのままの形で固まっていた。指に力を込め、ゆっくりと開いてみる。わずかに抵抗があって、それから少しずつ動いた。握り、開いてみる。いつも通りに動かせるようになってからも、しばらく何度か無為に開閉する。


 轟音がやまない――電車は目の前をいつまでも通り過ぎ続けている。気が付くと足が頽れそうに震えていた。鞄を抱き寄せる。瞼を閉じて、深く息を吸って、ゆっくりと吐く。また吸って、吐いて、一つ、二つ、三つ、……、両手で抱えながら何度も深く息を続けていると、少しずつ震えが治まってくる。轟音はまだやまない。瞼を開く。回送列車なのか、無人の電車が目の前をいつまでも通り過ぎ続ける。


 *


「お鍋、もう出来てるニャー」


 聞きなれた声。振り向くと銀目がこちらを見ていた。街灯がぽつぽつ佇む夜道を背景にして、変わらず吹く風にも温そうなコートを羽織って、サンダルを引っ掛けた格好で、いつものように銀色の眼だけが爛々と煌いている。お鍋! 嬉しくて思わず顔がほころんでしまう。


「帰ろ、スミも待ってるよ」


「うん!」


 私が笑いながら答えると、銀目も少し困ったように笑った。眉尻を少し下げて、彼女はたまに、こんな風に困ったように――どこか寂しそうに笑う。

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